ブックオフで買ってきて『騎士団長殺し 還ろうメタファー編』を読んでいます。
イデア編を読み終えてから随分時間がたってから読んでいます。前半いろいろなことが謎だらけで終わっていましたがこのメタファー編で解明されていくのだろうと楽しみながら読んでいます。
免色さん、秋川まりえ 騎士団長 雨田具彦 スバル・フォレスターの男 等々 魅力的で謎めいたキャラの今後が楽しみです。
イラストは秋川まりえをイメージして描いてみました。
◆「男女の仲はある種のゲームと考えられる。お互いがルールをもっていて、お互いに相手のルールを尊重し合わないとうまくいかない。ゲームがうまくすすまないようになると試合を中断して、新たな共通ルールを定めなくてはならなくなる。あるいはそのまま試合を止めて競技場から立ち去らなくてはならない」
◆「記憶は時間を温めることができる。そして もしうまくいけばということだが、芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる」
◆「『人に訪れる最大の驚きは老齢だ』…老齢は人にとって、あるいは死よりも意外な出来事なのかもしれない。それは人の予想を遥かに超えたものかもしれない。自分がもうこの世界にとって、生物学的に(そしてまた社会学的に)なくてもいい存在であると、ある日誰かにはっきり教えられること」
◆「壁はもともとは人を護るために作られたものなのです。…しかしそれはときとして、人を封じ込めるためにも使われます。…壁の高さにはずいぶん威圧感があります。そこにはある種の無力感が生まれます。私は同じような壁をしばらく前にパレスチナで目にしました。イスラエルがこしらえた八メートル以上あるコンクリートの壁です。(免色の言葉)
「我々は生きている限りその制約(時間と空間と蓋然性に縛られていること)から逃れ出ることはできない。言うなれば我々は一人残らず、上下四方を堅い壁に囲まれて生きているようなものだ。たぶん。」(主人公の言葉)
◆「この人生にはうまく説明のつかないことがいくつもありますし、また説明すべきではないこともいくつかあります。とくに説明してしまうと、そこにある一番大事なものが失われてしまうというようば場合には」(免色の言葉)
◆「完成した人生を持つ人なんてどこにもいないよ。すべての人はいつまでも未完成なものだ。」(主人公の言葉)
◆「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とは関係のない場所で勝手に決められて、勝手に進められているのかもしれないって。つまり、私はこうして自由意志みたいなものを持って生きているようだけれど、結局のところ私自身は何一つ選んでいないのかもしれない。」(ユズの言葉)
◆「外に広がる太平洋を眺めた。水平線がせり上がるように空に迫っていた。私はそのまっすぐな線を端から端まで目で辿った。それほど長く美しい直線は、どんな定規を使っても人間には引けない。そしてその線の下の空間には、無数の生命が躍動しているはずだ。この世界には無数の生命と、それと同じ数だけの死が満ちているのだ。」
◆「心臓の出血は続いていたが、勢いは弱まっていた。右手をとってみたが、ぐにゃりとして力がなかった。肌にはまだ少し温もりは残っていたものの、皮膚の感触には既によそよそしさのようなものが感じられた。生命が着々と非生命に向かっているときに漂わせるよそよそしさだ。」
読み終えてみて
すみません、あまり難しく考えることをしないで、窓を開けて風を部屋に招き入れベランダ近くで陽光を浴びながらさらっと読みました。村上春樹の作品は音楽を聴くように読むと気持ちがよいと自分は思っています。
イデアあるいはメタファーといった観念としての世界や人物を認識するようになった主人公そして秋川まりえの話。
次の展開が気になって気になって一気に読めてしまう作品でした。
登場人物やストーリーについて深く考察して読むというよりは、物語の世界観を主人公の言葉を通して楽しんで読むという読み方をしました。
だから気持ちよくさらっと読めました。
多分本来は一つ一つのイデアやメタファー(比喩)が意味するものは何かを考えながら読むのが、この本の読み方だったと思いますが。
村上作品の文章は一つひとつが平易で分かりやすく女性的でとても綺麗で、外国語訳したときはきっと綺麗なフレーズになるのではないか、それが海外の若者にうけている理由の一つではとも思いました。
免色渉 秋川まりえ 騎士団長 など魅力的なキャラクターのことを時々振り返り思い出したいと思います。