やはり刺があるからだろう。それも,隠し持つのではなく。あからさまに,これみよがしに。あたかも誇示するが如く。
人もまた,同じであろうか。自らの持つ刺を隠さずに,
「私に刺されても,いいのなら」
と,
凛として,己が美しさを誇るのなら。
その方が,罪がないのかもしれない。
その実に,人を酔わせ。長恨歌にうたわれし虞美人草。より罪作りなのかもしれぬ。
知らぬうちに,すべてを忘れさせる麻薬の如きものを内在するものが。わずかな風のそよぎにも,抗すべきこともできず。只管,その身を委ねるが如きか。
人も,また。
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迷える衆生であるが故に,
その道程を,迷わないようにと。火を灯す。しかし,時として,道を見失い,途方に暮れる。足元を照らす多くの火は,彼方の道を照らしはしない。
まことに必要なものは,遠くにありて,見失うことも,道に迷うことも。足下の火もなければ,掬われることも。多くの火を求めるにあらず。
また,済度されんと欲するが故に多くの火を求めんとす。
我が狂気をも燃え上がらす火も,またありなん。
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今日は,雨。窓を叩く音も,時折激しさを増すような,街中の喧騒をかき消すように。そして,一瞬の静寂。
腕を手に,茶の香りが鼻腔を擽る。番茶も出端とか,
一つの傘に二人して入れば,それが蛇の目であれば言うことなし。濡れるもまた嬉し。
おや,雨脚も遠のいていったような。
一人で,行くも風情がありなん。
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ごく日常的な日々の営みの奥底に,淀みの如く溜まる,狂気。
人は,自らの狂気とどのように付き合っていくんだろう。狂気が全くないって人もいるだろうけど。私は,常に自分の狂気に付き合って生きてきたような。それを,押さえつけ,意識の奥底に沈み込ませ。ごく普通の生き方をしてきたような。
小さい頃から,本を読むのが好きだった。小学校等学年では,谷崎潤一郎なんて本をよく読んだし。中学になって,大江健三郎,高橋和巳,サルトル,カミュそれから,高校では,マルキ・ド・サドなんてのも。フロムも,マルクスも。手当たり次第に読んだような。
その頃からだろうなぁ。全てを認めろ,そして全てを疑え。疑わしきは検証しろってのが,心情になったのは。HSPの傾向が,それをより一層深めたのでは。人とあまり関わらずに自分の心の中に入り浸っていったような。
でも,この頃かなぁ。うちなる狂気に,面と向かって対峙できるようになったのは。以前は,心の奥底にそれらの狂気を封印していたような
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