「我が家の本当の物語：２」

「お嫁ちゃんのたたかい」

　　Young  man  be  not   forgetful   of  prayer .

      ー青年よ　祈りをわすれては　ならないー

これは、大江健三郎氏の小説の中で登場する言葉。　僕はたびたびこの言葉を「ぐぐっ」と

かみしめる様に、深くこころに刻む事が多い。

 

僕の「お嫁ちゃん」は漢字がとにかく苦手だ。彼女から送られてくる携帯メールも、

その影響で「解読」に苦労する事がたびたびだ。

「じでんさでみなみおしていきます。のるのわこわいから　一時間くらいやわ八時について、

それからかえりました　ぶじでついて　ぶじでかえりました」

これを「解読」すると「自転車でみなみ（息子）をのせて、おして行きます。

乗るのは怖かったので、一時間かけて、８時につきました。無事について、そのあと無事に帰りました。」

といった調子。　他に

「誠一こばんのごはんは　ゆうとうふかいさぐらめんにするの」

さて、これが「解読」できるだろうか？

「誠一（僕）、今晩のごはんは、湯豆腐か、一作ラーメン（近くのラーメン屋さん）にするか、どうする？」

おそらく、彼女にとって、携帯メールのプッシュ操作の「濁点」や漢字への変換はおそろしく面倒な

作業で、理解の範ちゅうを超えているのだ。メールの文面に幾つか「濁点」がふってあるのは、

たぶんたまたまそうなったのだ・・

 

今年の３月、不況の煽り直撃だった我が家の、いちおう大黒柱（しょぼい）の僕も

勤めていた会社を辞めることとなった。これはもめた！かなりもめた。「派遣社員」だった僕の契約は

３月で「期間満了」となるが、いままでずっと「期間満了」が来ても、本人からの特別な「辞める申し立て」が

ないかぎり、自動的に更新になっていた。だから「期間満了」そのものをわすれていて、

知らない間に「満了」してて、知らない間に「更新」もしてて、といった感じでずっと行っていた。

しかし今回は一味ちがっていた。

正月明けから、「井川さん、世の中大変な事になってきてますよね～」　　「うちも、そのうちヤバくなって

きそうですね～」　「今月で退職者２０人ですよ！井川さんは勤怠がいいから、大丈夫でしたね」

と、やんわり～っと伏線が・・

「井川さん、来月期間満了ですけど、更新しますよね？」

あたりまえやないかと思いつつ、「更新します。ところで、僕はいつクビになりますか？」

と、相手の言いにくい事を先に言ってみた。

「いやあ！井川さん、するどいですよ！でもクビってことはありませんから！今までも本当に

よくやってくれてたし、実績もつまれてはるし・・ただ、可能性はあるかも知れませんけど・・」

 

こういうのを「退職勧奨」という。自分の意思で退職した、というふうに持って行く。　僕はちょっと

おもしろくなってきて、徹底して「退職の意思なし」で通してやった。

しかし、結局は一番「マシ」なかたちでの「会社の都合」での退職となった。それからが、強烈だ。

毎日が綱渡りだ。それは今も続いている。特に月末の支払日前後はスリル満点だ

ATMに駆け込んで入金してすぐ、残高をみてみると、もうなくなっている、という事もよくある。

心が元気な時はそれが「スリル」と感じ、けっこうその状況を楽しんでいる自分がある。

しかし、しんどくなる時は、本当にしんどい・・・　　で、そういう時ほど、

ぎりぎりで間に合わない支払いがあったりする。

 

「お嫁ちゃん」からメール。

「誠一すいどうがでないので　みずがでませんおふろはいれませんごはんがたく　

おみずがないからごはんないですどしようみなみをふけつにしたら　びょきになてしまう

からたいへんで　こまりものです」　

あっ！！忘れていた！！完全にわすれていた！！水道代の支払い！！日雇いの仕事中だった僕は

あわてて嫁に電話し、水道局に電話するように言った。

しかし・・・「水道代を明日には支払えるので、今晩にでも開栓しに来てください」・・・

これがちゃんと言えるだろうか・・

うちに帰ると、ちょうど、「さあ、今から電話しよう」という空気だ。家に上がる前に、自宅の電話をプッシュ

する音と、話す前にガチャと受話器をおく音の繰り返しが聞こえた。

そう、彼女は闘っていた！！

僕が嫁に電話してから２時間はたっている。

その間ずっと彼女は闘っていた。　意地悪な僕は、しばらく外で様子をうかがう事にした。

プッシュ音・ガチャっ、プッシュ音・ガチャっ・・・で、時折「は～っ」というため息。

「・・・・・もしもし・・」

「水道局ですか？あの・うちのおふろが、沸かせないようになってて、もう、水がなんで出えへんか

おもて、」　　　ちがうちがう、まず、何処の誰か言わんと・・・

「・・・・・あ、はい・・そうです。水がないから、ごはんも・・・・」　　いやいや、ごはんもおふろもいいから、

とにかく支払うって事と、つないでって事と・・・

「・・・はい、そうです・・井川です・・えっと、寝屋川市の・・・・はい・」

僕はたまらず、家にあがっていくと、そこにはピースサインの嫁の笑顔があった。　で、帰った僕に

ちょっとあきれたように、「も～、帰ってくるの遅かったから、わたしがみんなやっといたで！！！」

嫁は格闘のすえ、「水道」に勝利したのだ！

ギリギリの支払いとなれない日雇いの仕事疲れで、だいぶとへこみ気味だった僕は

「ごめんごめん！！！」って言いながら、一気に「疲れ」も「へこみ」も飛んでいる事を実感していた。

 

多くの夫婦が、その始まりの時に、いろんな目標や誓いをたてるのではないか。

僕はたくさんの誓いを、立てている。それは、現実との格闘の中で、いずれ消えて行くものなのかも

知れないが、こうした、ちょっとした出来事のなかで、僕の「お嫁ちゃん」の「ことば」は

「ことば」を超えた、絶対に忘れてはいけない「何か」を、僕に伝えてくれる。

それは、「祈り」の様な、「誓い」の様な、「大切」な「何か」だとおもう。

  Young  man  be  not  forgetful  of  player .