
個人も民族も「死の直前」に助けてくれたらどんなことでもすると言う。それで助けてあげたら、最初は感謝するけれども、一時(いっとき)が過ぎたらその恩を忘れ、心が変わって、神様に背を向け、考えないで生きる。そうしていて、また「死の罠」に引っ掛かるようになる。
天の前に恩を被(こうむ)っていながら、心が変われば、その行為どおりに死の方に行くようになる。
死から助けてあげたら、人生を生きる間聖三位を愛し、聖三位に感謝して、栄光を帰しなさい。
そのようにして生きる人が「個人のこと」も「民族のこと」も願い求めれば、神様はその人の祈りを聞いて民族の問題を解決してくださる。
死や困難から助けてくれと急迫して哀願する時のその心を持って、いつも聖三位を愛し、聖三位に感謝しなければならない。そうしてこそ変わらない新婦だ。
聖三位と救い人の愛と恩恵を受けてから変わったら、それによって見捨てられるようになる。天が見捨てた人は回復が難しい。
自分が三位と救い人を捨てても、三位と救い人が捨てなかったなら、天の側から再び呼んできて救ってくださる。