天の門ーThe gate of heavenー

ここでは鄭明析先生のメッセージを紹介しています。

<行なわない人>は心にだけ希望があるのであって、実際には何もできていない。

2015-10-19 08:51:04 | 明け方の箴言


<行なわない人>は心にだけ希望があるのであって、実際には何もできていない。

<引き上げ>も「実体」だ。<肉>で行なって「霊界の実体」を作る。自分が行なったから「引き上げ」を確信するのだ。

<行なわない人>は全て「考えと妄想」で終わり、「実体」はない。

例えばある人のことを、その肉体が死んだことを知らずに、いい暮らしができるようにと祈ってあげたとしよう。無駄な苦労をしたのだ。

変わってしまい、りんごが腐るように終わった人のために祈っても、腐ったりんごは再び回復しない。

<自分の人生>は「一つ」だ。その一つの人生が腐ったら、「肉体」はそのまま終わる。<肉体>は罪の代価で終わり、その<霊>は霊の世界でたった一度機会がある人もいるし、肉体が終わる時に永遠に機会なく終わる人もいる。

<忠誠を尽くしていた人>も<よくやっていた人>も変わる。なぜだろうか?

2015-10-19 08:48:19 | 明け方の箴言


<忠誠を尽くしていた人>も<よくやっていた人>も変わる。なぜだろうか?平素「形式的な信仰生活」をしていて、徐々に少しずつ変わったからだ。だから一すじの心で最後まで行なうことだ。

肉の考えと行ないが変われば、天でも変わったとおりになる。

完全に行なったことは完全になる。

偽る人たちは、偽るほうに変わっている。外から見たら誰もわからないが、すでにその「霊」は「自分の肉の行ない」どおりに変わっているし、それに該当する位置に行っている。

自分がすべきことをしておかないで、誰かが訊いたらやったと言うからといって、やっていない仕事ができているだろうか。霊界は「自分の行ない」どおりになっている。