天の門ーThe gate of heavenー

ここでは鄭明析先生のメッセージを紹介しています。

肉的な世界で見ても、霊的な世界で見ても、

2015-11-04 03:32:55 | 明け方の箴言


肉的な世界で見ても、霊的な世界で見ても、<全能者の御心>どおりに生きないで、<自分の意向>どおりに肉的にばかり楽しんで生きる人たちは、誰でも定まった日に運命が傾いて、闇が襲いかかり始める。その時はすべての罪の代価を「自分」が払わなければならないし、どんな人でも「自分」を救うことは難しい。

祈りを深くしてこそ、<天の仕事>が「適時」にできる。

2015-11-04 03:30:12 | 明け方の箴言


祈りを深くしてこそ、<天の仕事>が「適時」にできる。

どんなことでも「適時」にやってこそ問題が解決できる。大きいことでも小さいことでも、「適時」にやって問題を解決したことが本当に大きい。

<小さいこと>でも「適時」にやって解決しておいてはじめて、それを足台にして<大きいこと>も解決するようになる。

適時にやったら、<時>が助け、<天>が助け、<地>が助け、<人>も助けてくれるから易しくできる。

2015-11-04 03:28:38 | 明け方の箴言


適時にやったら、<時>が助け、<天>が助け、<地>が助け、<人>も助けてくれるから易しくできる。

時が過ぎてからやったら、「冬に高い山で生花を求めること」のように難しく、不可能だ。

北風、冷たい雪、吹雪が吹き荒れるから、<人>もいないし、<花が咲く時>も過ぎ去って、無駄に吹雪と戦わなければならない。
もし、吹雪と戦って勝ったからといって、<花が咲いている時に行なった人>に自慢できるだろうか。
すべき時にやらなくて、<北風、冷たい雪、吹雪が吹き荒れる時>を迎え、無駄に吹雪と戦って終わったから、「得たもの」は何であり、「自慢できるもの」は何だろうか。

<脳>は「目」と同じで、見れば見るほど深く見るように、そのようにする時、もっとよい考えが思い浮かぶ。

2015-11-04 03:20:54 | 明け方の箴言


<脳>は「目」と同じで、見れば見るほど深く見るように、そのようにする時、もっとよい考えが思い浮かぶ。

<脳>は「肢体」だ。<体>も運動をすれば全身がほぐれてよくできるように、<脳>もしばらくの間集中して動いてこそ、鋭利になって、そのセンターのもっとよい考えをするようになる。そうしていて、他のことをやったら、また忘れてしまい、下手になる。

明け方には脳が天才になる。睡眠をとったので、疲れがとれて、聡明で、記憶もよくでき、整理もよくでき、判断もよくできる。

<脳>も「一つの肢体」だ。じっとさせておいたら、無気力になる。考えながら続けて働くようにさせなければならない。