自分を「よい種」に作りなさい。「よい種」になって蒔かれなさい。
<種>はただ感謝、ただ愛だ。
神様はいつも喜び、感謝し、笑い、全ての人たちのお手本になり、すてきで輝かしく、栄光を帰して聖三位を愛する人たちを<種>にして大切にし、彼らを蒔いて、植えて「黄金の平野」にお作りになる。
腐る文化なんかに溺れていて、天に向けて不平不満を漏らし、悪評を言い、インターネットやスマートフォンに溺れて楽しみ、さまざまな不義なことをして、神様にとって目障りな人たちは、絶対に<種>になさらない。
不平不満を漏らし、悪評を言い、悪口を言い、恨む人たちを「種」にしたら、その種を蒔いて農作が終わるまで、不平不満の声、悪評の声、悪口の声、恨む声ばかりが出てきて、大きくなっても顔をしかめて恐ろしく成長するから、神様はそのような人たちを「種」になさらない。ただ「ご飯にして食べて終わる穀物」として使ってしまう。
神様が遣わしたモーセに導かれて<エジプトの400年の奴隷生活>から抜け出したイスラエルの民たちは<シン荒野>に行って、荒野の生活がつらいから、畜生(ちくしょう)と悪口を言い、悪評を言い、ぶつぶつ言った。
<不平不満を漏らし、悪評を言う人たち>は種子(しゅし)が悪いから、神様は「種」にしなかった。
結局、彼らは「シン荒野で食べて終わる消耗品の人生」で終わり、そこで、畜生、ちぇっ、ちぇっと言いながら生きて死んだ。
神様は善評を言い、感謝し、神様の御言葉を聞いて行なう<よい種>だけを選んで「カナンの地」に蒔かれた。