SHIKIBUさんのブログ 別館

iPhoneアプリ開発者のSHIKIBUさんが、歴史・文化・オカルトその他の雑学をいろいろ呟きます

政治色ゼロの当ブログでも見過ごせない民主党の立ち振る舞い

2016-12-03 06:39:05 | 時事

(担当S)

 
■とにかく旧民主党はネタが豊富!
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 皆さんおはようございます。担当Sでございます。ここ最近はネタを選ばずに、どんなネタに対しても貪欲に関わって行こうというスタンスでブログの更新に邁進しております。
 だからと言うわけではないのですが、今回は政治っぽいネタを取り上げてみたいと思います。
 初めに断わっておきますが、当ブログのモットーとして政治色ゼロをかがげております。ですから今回、取り上げる民主党に関しても彼らの政治主張には一切触れません。
 政治色を極力薄めるため、現在は民進党と名を変えているのは承知の上で、民進党を旧名である民主党と呼ばさせて頂きます。
 ここまで気を使って政治色をゼロにしたい当ブログが民主党をネタとして何故えらんだのか?それは民主党は余りにネタが豊富で見過ごせなかったからです。
 ネタと言っても失言ばかりですけどね…
 写真は蓮舫議員のかの有名な「一番じゃないとダメなんですか?」発言当時の写真ですけど、実際は「2位じゃダメなんですか?」と発言していたみたいですね。どうやら伝言ゲームみたいに人々の間にこの発言が伝播するうちに、発言内容が変わってしまったみたいです(と言っても、意味合いは合っていますが)。
 ネット上では、もはや伝説にもなっている「一番じゃないとダメなんですか?」発言ですが、どうしてこんな発言が蓮舫議員の口から出てしまったのか、その経緯を振り返ってみたいと思います。
 2009年に総選挙で圧勝し政権を取った民主党は、同年にそれまでに無い新しい政策として事業仕分けを実施しました。事業仕分けを平たく言うと、必要の無い政策や国家プロジェクトはどんどん中止にして行って税金を節約しましょうと言う事です。
 と、ここまでは良かったのですが、どうした訳か民主党はスパコンの開発予算にまで口を出してしまいました。
 民主党としては国民の多くがスパコンの開発なんて無駄だと思っていると予想していたんでしょうね。実際、そんな事を口にする評論家もいたみたいですし。
 しかしこれが大誤算。蓮舫議員は事業仕分けの席に出席していた理研の代表者に向かって例の「一番じゃないとダメなんですか?」発言をぶちかますわけですが、これには科学分野の研究者だけでなくネット民までが大激怒。
 政治的中立を保つ為に敢えて蓮舫議員を擁護しますけども、蓮舫議員の言いたかったことは新規に開発するスパコンは性能よりも使い勝手を優先するべきであり、氏の発言内容の全文を読めばそれほど的外れな事は言っていないと擁護する意見もあります。
 ですがもう一つの誤算が民主党にはありました。それは、事業仕分けの様子をあたかもショーの様にテレビで放送してしまった事です。これが民主党の思惑とは裏腹に、見事に裏目に出てしまいました。
 先に紹介した事業仕分け当時の蓮舫議員の写真ですが、同様の写真はネットで検索をかけたら幾らでも出てきます。ネット上では蓮舫議員の発言が一人歩きしている状態です。
 そうなると蓮舫議員の発言内容がどうとかと言うよりも、あの「一番じゃないとダメなんですか?」発言にばかり注目が集まって、バッシングされる続ける羽目になります。
 担当Sは蓮舫議員が言いたかったことの真意までは分かりませんし意見する立場にもありません。しかしテレビカメラが回ってる前で、こういう発言をしてしまうのはどうなんやろうと思ったりするわけです。
 蓮舫議員は多くの人が知っている通り元クラリオン・ガールで、政治家になる前はテレビタレントとして活躍してましたから、普通の議員とは違ってテレビ慣れしていました。だからこそ「これは発言しないほうがいいのではないかしら…」と言う判断が働きそうなもんですが、残念ながらそういう判断は一切働かなかったみたいです。
 これは蓮舫議員の政治家としての資質というよりも人間としての資質が問われる問題だと思います。
 事業仕分けの様子をあたかもショーの様に演出したのは民主党です。そこには「民主党はこれだけ頑張っているんだぞ!」と国民にアピールする狙いがあったのだろうと思います。そこまではいいのですが、残念ながら民主党には腕のいい脚本家や演出家がいなかったみたいですね。
 ショーであるならば当然、腕のいい脚本家や演出家が不可欠だと思うんですけど、そう言ったものを欠いた状態で事業仕分けをショーのように演出してしまったものですから、民主党の思惑とは裏腹に多くの国民の反感を買ってしまいました。
 まぁ、これだけでもネタとして既にお腹がいっぱいなんですが、民主党にはもう一人ものすごい刺客が存在します。そう鳩山由紀夫元総理です。
 
■政治家とか元総理とか、そういう以前の問題かも…
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 鳩山由紀夫元総理に関しては当ブログで取り上げるまでもなく、色んなサイトやブログで取り上げられています(その99.99%までが否定的な内容ですが…)。
 だから当ブログでは鳩山由紀夫元総理を政治家として取り上げる事はせず「タレント鳩山由紀夫」として取り上げたいと思います。
 とにかく鳩山由紀夫氏はネタが豊富で、氏が東大出身の秀才である事を忘れてしまうほどです。
 写真はネットで拾ってきたものですが、一時はこういう形でワイドショーやバラエティ番組に顔を連ねる常連でした。
 鳩山由紀夫氏自身も強烈なキャラクターなんですけど、氏の妻である幸(みゆき)夫人は更に強烈なキャラクターでした。「UFOに乗って金星に言った」と発言したかと思えば「私は太陽をパクパクと食べている」と発言してみたり、彼女の発言は日本のメディアだけでなく海外のメディアまで驚愕させました。
 その数々の発言(迷言?)のお陰で夫婦共々、海外での注目度は非常に高いものでした(と言っても、素直に喜べませんが…)。
 その鳩山由紀夫氏がアメリカのワシントン・ポストから「ルーピー」の称号を頂くのは時間の問題でした。
 ルーピーとは直訳すると「頭が変」と言う意味で、昨今の放送コードの厳しいテレビとかでは、そのまま流せないような意味合いの言葉でした。
 この全く有難くない称号を頂いた鳩山由紀夫氏の勢いは止まりません。その後も数々の迷言でネット民に最も注目される人物となりました。
 なんか書いている内容がとても皮肉めいた感じになってますけど、担当Sはただ単に事実を書いているだけなんです。
 それなのに皮肉めいた内容になるなんて鳩山由紀夫氏おそるべし。
 鳩山由紀夫氏についているもう一つの称号が「宇宙人」。どう言う経緯でこの称号が鳩山由紀夫氏についたのかはハッキリしません。担当Sの中でも、いつの間にか「鳩山由紀夫氏=宇宙人」と言うイメージが定着していました。
 しかし、この宇宙人の称号の由来がわからなくても、鳩山由紀夫氏の行動や言動を見ていたら「そりゃ、宇宙人って呼ばれるわな…」と納得する人は大勢いると思います。
 鳩山由紀夫氏が元総理でもなんでもなければ、腹を抱えて笑えるような行動や言動が多いんですけども、そこは元総理だということで多くの日本国民や、果ては外国の高官にまで嘲笑と反感を買ってしまいました。
 何の先入観もなく鳩山由紀夫氏や民主党の行動を見ていたら、堅苦しい国会と言う政(まつりごと)に笑いの風を入れたかったのでは無いかと思ってしまいます。そう錯覚させるくらいに、当時の鳩山由紀夫氏や民主党はトボけたことを平然とやっていました。
 これは別に嫌味でも何でもなくて、担当Sの目には鳩山由紀夫氏や民主党がやっていた事はそういう風にしか映らないんですね。
 戦後の日本の政治家で、周囲にこんなにネタを振りまいたのは後にも先にも鳩山由紀夫氏ただ一人でしょう。
 そういう意味では偉大な人物だったのかもしれません。偉大と言っても、歴史に名を残すことはないでしょうが…
 
■当時の民主党のやっていた事を見ていると、吉本新喜劇も真っ青のお笑い集団だったと言えるかも…
 繰り返しになりますが、当ブログでは政治的発言はしないようにしてますし、そう言う事にクビを突っ込まないようにしています。
 担当Sは東日本大震災で民主党の手際の悪さが多くの国民の命を奪い、また怒りを買ったことも知ってますし、その事実を忘れた事は一度もありません。
 ですが意識してそう言う民主党の負の部分を一切見ないようにすると、政治家なのにお笑い芸人顔負けの面が見えてくるんですね。特に蓮舫議員や鳩山由紀夫元総理とかは。
 政治家を一つの職業だと捉えると、民主党の議員の多くは残念ながら、この職業をこなす能力が欠けていたと思います。
 それは政治的主張がどうだとか、政治的に右だ左だとか言う話以前の問題です。
 政治的主張が右とか左とか関係なく、日本の国を良くすることができれば、それでいいんではないかと担当Sは思います。
 
 
 次回は過去ネタの掘り起こしでもやろうかと思います。
 担当Sでした! 
 
 
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【冬到来】エアコンの暖房と灯油ファンヒーターでは、どっちがお財布に優しいのか?

2016-12-03 06:05:44 | 経済

(担当S)

 
■なかなか理解されない"ヒートポンプ"と言う言葉
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 皆さんおはようございます。ブログ担当の担当Sです。いかがお過ごしでしょうか?
 担当Sは寒いのが大の苦手です。現在、担当Sは大阪に住んでいるんですけど、大阪と言う所は東・南・北を山に囲まれ、西には淡路島があって、一種の盆地みたいな地形になっています。
 そのため冬は比較的過ごしやすいんですが、それでも2月頃になるとかなり寒くなります。
 かなり寒くなるとは言っても氷点下を下回るのは稀で、北国のように毎日、氷点下以下の気温が続くなんてことはありません。
 寒いのが苦手な担当Sは、氷点下以下の気温の日が毎日続くとか、そんな事は考えただけでめまいがします。
 北国の人はホンマにタフやなぁと、担当Sは素朴に思ってしまいます。
 もし担当Sが北国に移住したら、おそらく一日中、ストーブの前から離れられないでしょう。
 そこで今回は、暖房器具に焦点を当てて話を進めていきたいと思います。
 さて、本題に入る前に、暖房器具の歴史について、少し説明させて頂きます。
 その昔、暖房器具と言えば石炭をくべて使うダルマストーブが主流でした。
 ダルマストーブは戦後しばらく使われていて、担当Sが通っていた小学校の校舎にもダルマストープ専用の煙突なんかが残っていました。
 残っていましたと書いたのは、ダルマストーブを使っている所を担当Sが一度も目にした事がないからです。担当Sが小学生の頃は、既に灯油ストーブが主流でした。
 灯油ストーブに送風ファンを取り付けたのが、灯油ファンヒーターです。灯油ストーブだとストーブの周辺しか暖まらず、部屋全体を暖めようとすると時間がかかりますが、送風ファンが付いている灯油ファンヒーターなら短い時間で部屋全体を暖める事ができます。
 それらストーブや灯油ファンヒーターに比べると、エアコンの暖房が現れたのは結構、最近です。
 今時のエアコンは、冷房も暖房も両方できるのが当たり前になっていますが、その昔エアコンと言えばクーラーの事を指すのが一般的でした。
 夏はクーラー、冬は灯油ストーブで暮らすのが昭和の終わり頃までは一般的でした。
 実はクーラーも、冷暖房が可能な現在のエアコンも、構造的には殆ど一緒なのです。何が違うのかと言うと、エアコンの中に充填されている冷媒ガスを、逆転できるかどうか、その違いなんです。
 冷暖房が可能な現在のエアコンは、冷媒ガスを正転させたり逆転させたりして冷房と暖房に対応しています。
 さて、そのエアコンでどうして暖房できるのかと言うと、家の外の熱を取り込んで、取り込んだ熱を室内で解放する能力がエアコンに備わっているからです。
 エアコンには必ず室外機(下の写真参照)と言うものが付いています。プロペラみたいなものが付いているので、部屋の空気を換気していると誤解されることがあるみたいですが、室外機に部屋の空気を換気する能力はありません。
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 室外機のプロペラは何をしているのかと言うと、家の外の熱を取り込んだり、それとは逆に家の中の熱を外に逃がしたりするときに、それが効率的に行われるように手助けをしています。
 さっきから担当Sは「家の外の熱を取り込んで…」と何度も繰り返し書いていますが、これは一体、どういう意味なのでしょうか?
 実はエアコンには、お部屋を直接、暖める(あるいは冷やす)能力はありません。
 こんな事を書くと「じゃぁ、何でエアコンをつけたら部屋ん中が暖かくなんねん?」とツッコまれそうですが、エアコンに直接的な暖房能力はなくても、家の外の熱を取り込んで、その熱を家の中に解放する能力がエアコンにはあるので、それを上手く応用して暖房を行っているのです。
 世の中には色んなタイプのエアコンがありますけど、つまるところ、どのエアコンも、家の外から家の中へ熱を運んでいるだけの装置なんですね。
 こういう働きをする機械や装置を総じて"ヒートポンプ"と呼びます。
 この"ヒートポンプ"と言う言葉はイメージし辛いので、なかなか世間の人には理解されません。
 しかし、理解されずとも、省エネとかを考えた場合は、"ヒートポンプ"は非常に有効な技術なのです。
 '"ヒートポンプ"を利用する事で何のメリットがあるかと言うと、少ないエネルギーで家の中を沢山あたためたり、あるいは逆に沢山ひやしたりできるので、その点にメリットがあります。
 電気ヒーターなどの暖房器具と、エアコンの暖房時の消費電力を比較比すると、その差は歴然です。
 例えば消費電力が4kw(キロワット)の電気ヒーターと比較して、同じ分だけの暖房をエアコンを使って行った場合、だいたい1~2kw(キロワット)くらいの消費電力でエアコンは同等の仕事をしてくれます。
 電気代の節約にも"ヒートポンプ"は有効なんですね。
 最近の、乾燥まで全部やってくれる自動洗濯機には、この"ヒートポンプ"が搭載されているのですけど、それは従来の電気ヒーターで乾燥させる方式よりも"ヒートポンプ"を使ったほうが、大幅に電気代を節約できるので採用されているのです。
  
■気になる灯油ファンヒーターとのコストの差は…
 単純にエネルギーの消費量だけを見たら、これは圧倒的にエアコンの暖房の方が有利です。
 例えば畳12畳用の4kw(キロワット)の灯油ファンヒーターと、同じ能力の4kw(キロワット)のエアコンの消費するエネルギーの量を比較すると、4kw(キロワット)の灯油ファンヒーターは必ず4kw(キロワット)分の灯油を燃やす必要がありますが、エアコンなら暖房する能力が4kw(キロワット)の場合だと1~2kw(キロワット)くらいしか電力を消費しません。
 この辺りまでは前章で比較した、電気ヒーターと事情は全く一緒ですね。
 しかしエネルギーの消費量ついてエアコンの方がお得だとは言っても、灯油と電気じゃ単価が違うので、単純にどっちが損とか得とかいう比較はできません。
 と、言うわけで、それぞれのエネルギーのコストについて検証してみます。
 まず石油ファンヒーターについてですが、4kw(キロワット)の灯油ファンヒーターの場合、1時間あたり約390ccの灯油を消費します。灯油の1リットルあたりのお値段が約70円(店頭価格)くらいなので、お部屋を1時間あたためるには27円かかる計算になります。
 一方のエアコンの暖房のコストはと言うと、4kw(キロワット)のエアコンなら最も効率が良い状態の時で、1時間に1kw(キロワット)の電力を消費します。電力1kw(キロワット)の単価が、だいたい23円(関西電力 従量電灯A)くらいですから、灯油ファンヒーターと比べるとエアコンの暖房の方が若干お得になります。
 ただしエアコンの暖房の場合、気温や使われている環境により効率が変化しますから、同じ4kw(キロワット)の能力のエアコンでも電力を2kw(キロワット)消費する場合があります。そうなると灯油ファンヒーターの方が経済的にお得になります。
 また、灯油価格もここ最近は下がってきてますが、需要の高まる冬場には価格が上昇する傾向にあるので、そうなるとエアコンに対して石油ファンヒーターはコスト的にかなり不利になります。
 
■結局は見極めが大事
 前章でエアコンの暖房と灯油ファンヒーターと、どっちがお得かを検証しましたけれど、そんなに大きな違いはありませんでした。
 エアコンの暖房の方が若干お得ですけど、エアコンを効率が悪い状態で使っていると、灯油ファンヒーターよりもコストかかる場合があります。結局、両者はどっこいどっこいと言う感じです。
 ただし灯油価格は電気料金に比べ変動が激しいので、価格が急騰するような事があれば、エアコンによる暖房の方がコスト的にかなり有利になります。
 エアコンもだんだん進化してきてますから、皆さんの自宅で今現在、使っているエアコンよりも、電気屋さんの店頭に並んでいる新型機種のエアコンの方が、より少ない電力で同等の暖房を行うことができます。
 最新の一番効率の高いエアコンだと、灯油ファンヒーターよりもコスト的に、かなりお得になっています。
 じゃぁ、灯油ファンヒーターは将来、必要とされなくなるかと言うと、そうじゃありません。
 灯油ファンヒーターにはエアコンには無い、空気に潤いをもたらすと言うメリットがあります(注:灯油を燃やすと酸素と炭化水素が化学反応を起こして、二酸化炭素と水を発生させるから)。
 人間の暑い寒いと言う感覚は、湿度にかなり左右されますから、体感的には灯油ファンヒーターによる暖房の方が、エアコンの暖房よりも暖かく感じられます。
 エアコンの暖房だと、別に加湿器を使って空気に潤いをもたらさないと、体感的に寒く感じられるだけではなく、静電気の発生や季節性インフルエンザの感染(注:季節性インフルエンザは絶対湿度10mg/m3以下になると感染しやすくなります)を引き起こします。
 結局は見極めが一番、重要だと思います。
 以前、かなり急騰した灯油価格ですが、いろんな諸事情により、ここ暫くは安定した状態が続くと思います。
 しかし再び灯油価格が急騰するような事があれば、奮発して新型のエアコンに買い替えた方が、結果的には安く付くかもしれません。
 
 ちょっとネタが枯渇気味なので、今回は季節に関係するネタをやってみました。
 次回はズバリ、タイムマシーンを取り上げます。
 担当Sでした!
 
 
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(時事ネタ)安倍さんはどうして偏屈な指導者に好かれるのか?

2016-12-03 06:01:34 | 時事

(担当S)

※お断り:この記事の原稿は11/18に書かれたものです。
 
■安倍さん「今度、アメリカに立ち寄るんで一緒に酒でも飲みに行きませんか?」 トランプ「ええでぇ!死ぬほど酒を飲もうやぁ!」
 
[写真]安倍首相とプーチン大統領
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 皆さんおはようございます。ブログ担当の担当Sです。
 毎回、口癖のようになってしまっていますが、当ブログは政治色ゼロの方針で運営させて頂いております。
 よって政治思想的にも右でも左でもなく、ど真ん中一本勝負で邁進してます。
 …と言ってても、それじゃぁネタが無くなってしまうんですよねぇ。
 と、いう事で今回は安倍首相を取り上げたいと思います。
 初めに断わっておきますけど、このブログではアベノミクスがどうだとか安倍さんの政治思想がどうだとか、そう言う事には一切、触れません。
 いわゆる「安倍批判」とかに関しては他のサイトやブログで、もうそれこそ、お腹いっぱいになりすぎて、下痢でも起こしそうなくらいに取り上げられていますし、そんな事をこのブログでやっても無意味です。そもそも当ブログのモットーである「政治色ゼロ」の精神にも反します。
 そう言うメディアや他所のブログが殆ど取り上げない、安倍さんの意外な一面に焦点を当てて話を進めていこうと思います。
 まず冒頭の写真の説明から始めたいと思います。冒頭の写真は2015年9月29日に国連総会出席のためニューヨークを訪れていた安倍さんが、ロシアのプーチン大統領と日露首脳会談を行った時の写真です。
 知っている人が多いかもしれませんが、この時、安倍さんは出席に遅れて、プーチン大統領を待たせてしまっています。
 ロシアのプーチン大統領については語る必要もないでしょうが、独裁的な手腕で知られる強面の指導者です。平たく言うと、とても怖い人です。
 そんな怖い人を待たせたらエライ事になるのでは!?と普通は思うのですが、プーチン大統領に怒られることもなく、安倍さん見つめるプーチン大統領の目は笑っているように見えます。
 実は安倍さんって、どうした訳かプーチン大統領のような偏屈な指導者に好かれるんですよね。
 理由は担当Sにも判りません(タイトル詐欺かよ!と言われそうですが…)。
 過激な治安政策を実施したことで知られているフィリピンのドゥテルテ大統領とも、今のところは良好な関係を築いています。
 一説では、こう言った偏屈な指導者をリードするのが非常に上手なんではないかと言われています。
 そうなると、やっぱり気になるのはアメリカの次期大統領に決まったトランプ氏の事。
 数々の過激な発言を見ていてもわかる通り、トランプ氏もかなりの偏屈な人物のようです。
 でも安倍さんだったら、そんなトランプ氏が大統領になっても上手くやれるかも…と思っていたら、既に飲みに行く約束を取り付けているそうです。これには流石の担当Sもビックリ!
 そもそも安倍さんとトランプ氏は全く面識がありません。それなのに安倍さんの方からトランプ氏に電話して「今度、アメリカに立ち寄るんで一緒に酒でも飲みに行きませんか?」と切り出したそうです。
 これには安倍さんの側近もヒヤヒヤ。そりゃヒヤヒヤしますよね。トランプ氏の過去の発言の数々を見てたら、偏屈な上になんだかおっかない人にしか見えませんから。
 しかしトランプ氏は、この安倍さんの誘いを快諾。内心、生きた心地がしなかった安倍さんの側近たちも、胸を撫で下ろしたのではないかと思います。
 こう言うのを、生まれながらの才能だと言うのかもしれません。
 
 
■自民党には安倍さん以上の刺客がいた!
 
[写真]プーチン大統領に肘鉄を食らわせる麻生首相(当時)
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  安倍さんの話だけでも、既にお腹いっぱい状態ですが、更にその上をいく究極の刺客が自民党にいるんですね。
 勘のいい人は誰の事だか分かったかと思いますが、そうです、麻生副総理の事です。
 写真はネットでも話題になった、麻生首相(当時)がプーチン大統領に肘鉄を食らわせた時の写真です。
 たびたびプーチン大統領が収まっている写真を使ってしまって、なんだか恐縮です。
 担当Sの中ではプーチン大統領はダントツのトップで「怖い人」なんです。
 エリツィン政権の時のロシアは、マフィアが政治と経済を牛耳っていましたけれど、それを強権を発動して一掃したのがプーチン大統領ですから、怖いと言うイメージを持っている人は担当S以外にもいっぱいいると思います。
 それに日露共同の石油掘削プロジェクトだった「サハリン2」の施設を、言いがかりをつけて日本から取り上げたのもプーチン大統領でした。
 そんな怖い人物であるプーチン大統領に麻生さんは肘鉄を食わらしたんですから、日本のネット民はビックリ仰天。
 当時のネット民の反応を覚えている範囲で列記すると
 「日本オワタ。こりゃロシアからミサイル飛んでくるわ」
 「これコラだよね?誰かコラだと言ってくれ ガクブル」
 「麻生さんオワタ\(^o^)/ついでに日本もオワタ」
 「いや~、生きている間に第二次日露戦争が見れるとか胸熱」
 「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ~(省略)~もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」
 と、まぁ、プーチン大統領やロシアからの報復を恐れるコメントが大半を占めていました。
 実際にはそんな事は起こりませんでしたけど、この章の冒頭の写真にはそれだけインパクトがあったと言うことです。
 写真を見ればわかりますけど、プーチン大統領は笑っていますよね?安倍さんとのツーショットの写真でもプーチン大統領は笑っているように見えましたけど、麻生さんと一緒に写真に収まっているプーチン大統領は明らかに笑っています。
 プーチン大統領は外国の指導者や高官に、あまり笑顔を見せないことで知られています。
 2007年にオバマ大統領がロシアを訪問した時にオバマ氏はプーチン大統領と一緒に朝食をとったのですが、その時のプーチン大統領は全く笑顔を見せませんでした。
 その時の映像がYouTubeにが上がっていましたけれど、オバマ大統領は盛んにプーチン大統領に話しかけているのにプーチン大統領はずっとガン無視。まるでお通夜の様な感じの朝食会で、オバマ大統領が可哀想に感じられたほどです。
 ですから麻生さんに対してプーチン大統領がこんな笑顔を見せるのは異例中の異例。ネットで話題になるのも分かる様な気がします。
 麻生さんにも安倍さんの様な、偏屈な指導者に好かれる何かがあるのかもしれません。 
 
 
■まとめ
 安倍さんや麻生さんが、どうして偏屈な指導者に好かれるのかは担当Sにも分かりません。
 ただ、この二人には共通点があると思うんですよね。
 二人とも昔からのお金持ちの家のお坊ちゃんで、端から見ても育ちのいい人の様に見えます。
 そういうお坊ちゃんな所が、偏屈な指導者に好かれているのではないでしょうか?
 この二人がそういう風に見られるのは、当然といえば当然の事です。安倍さんは岸元首相の孫で皇族とも繋がりがありますし、一方の麻生さんは麻生財閥のご子息で吉田茂の孫に当たります。
 育ちがいいから偏屈な指導者にも受けるんだと結論づけたい所ですが、そういう家に生まれても正確が歪んだ人もいますし放蕩息子になって身を持ち崩す人もいますから、こればっかりは、その人の資質によるとしか言いようがありません。
 とりあえず、あのトランプ氏と安倍さんは上手くやっていけそうなのでメデタシメデタシと言うことで、ブログを締めくくりたいと思います。
 
 やっと時事ネタを投入できました!
 次はどんなネタを投入しようか考え中です。
 担当Sでした!
 
 
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「カネよりも大切なものは無い!」に反論できるか?

2016-12-03 05:44:17 | 経済

(担当S)

 
■結論から先に言うと「できます」
 
[写真]紙切れになったマルク紙幣
 皆さんおはようございます。ブログ担当の担当Sです。
 ブログの記事を書くのに使っているMac Book Airが絶不調で、ブログの更新もままなりません。
 ブログに写真を貼り付けるだけの単純な作業が何故か上手くいかなくて、10分くらい右往左往してました。
 担当Sは個人所有でWinのノートPCも持ってるので、ブログはそっちで書こうかと検討中です。
 さて、どうでもいい私ごとほっといて、今日はズバリ「お金」をテーマに話を進めていきたいと思います。
 1~2週間くらい前に某ニ○ニコ動画を見ていた時なんですけど、画面上に表示されるニューステロップの欄に今回のブログの表題と、ほぼ同様のブログ記事が表示されていました。
 気になってブログの内容を確認すると「カネより大切なモノはない!カネより大切モノがあるなんて綺麗事だ!」みたいな事が書いてあって、ちょっとガッカリした記憶があります。
 ガッカリしたと言うのは、そのブログ主の価値観に対してじゃなくて記事自体が面白味に欠けたからです。まぁ、一種の炎上商法でしょうね。
 もちろん、こんな過激な事を書いていたら沢山の人に反論されます。この記事には非常に沢山のコメントがついていましたが、その殆どがブログ主の価値観を批判ないし攻撃するものでした。
 担当Sが覚えている範囲で、どんな反論がされていたかを書き出すと
 「自分にとってはお金よりも子供の方が大事」
 「あなたは、つまらない人生を歩んできたんですね。わかります」
 「俺にとっては趣味が一番大事。カネなんか二の次」
 「ふ~ん。君に友達がいないのは良くわかったよ」
 と、言う感じで自分にとってお金よりも大切なものを書くか、あるいはストレートにブログ主を攻撃するかのいずれかに終始していました。
 いきなり「カネより大切なもの無い!違うと思うのなら反論してみろ!」と言われて、的確な反論が出来る人は極少数だと思います。
 人は誰でも個人的に、お金より大切にしているモノを必ず持っています。それは家族だったり友人だったり恋人だったり、あるいは車や時計などのグッズ類、自分が熱中している趣味だったりと、人によって違いはありますが、何かあるはずです。
 しかし「カネより大切なもの無い!」という暴論に対して各個人が、自分がお金より大切にしているモノを紹介しても、それは有効な反論になりません。
 じゃぁ、お金より大切なモノが無いかと言うとそうじゃありません。実はお金よりも、もっと大切なものがこの世の中には存在しているのです。
 その事を詳しく説明する前に、まず上の写真をご覧ください。
 上の写真は戦前のドイツ(ワイマール政府)で撮られたものです。少女らしき人物が紙束を積み上げている様子が映ってますが、紙束の全てが当時、ドイツで流通していたパピエル・マルク紙幣です。
 「おぉ、ごっつ~大金やないかぁ~!」と思ったそこのあなた。なんだか様子が変だとは思いませんか?
 こんな大金を子供に数えさせているなんて不自然ですよね。実はこの少女が積み上げているマルク紙幣には、お金としての価値が殆どありません。
 殆ど価値がありませんと言ってもゼロではないですから、この紙幣を使って何かモノを買ったりできるのですが、当時の記録によると喫茶店でコーヒー1杯飲むのに、トランクいっぱいにギュウギュウに詰めなければいけない程の大量のマルク紙幣が必要だったそうです。しかもコーヒー1杯飲む間にコーヒーの値段が二倍に跳ね上がっていており、支払いの時に腰を抜かすほどビックリしたと言う話も残ってます。
 
■インンフレになったらお金は紙くず。コレ世界の常識
 (注意:この章はちょっと長いので、先を急いでいる方は読み飛ばしてもらって結構です)。
 戦前のドイツで一体何が起こったのでしょうか?それを理解するにはまず、インフレ(インフレーションの略)という経済現象を理解しなければなりません。これからインフレについて、順を追って説明していきたいと思います。
 突然ですが皆さんは海外に旅行に行ったことはあるでしょうか?海外と言ってもハワイとかヨーロッパとか台湾とか、そういう経済的に安定している国や地域じゃなくて、ちょっと経済的に不安定な国にです。
 経済的に不安定な国に行くと気がつくのですが、そういう国の国民は自国の通貨を全く信じていません。日本の様な経済が非常に安定している国にいるとなかなか気が付かないのですが外国、特に経済的に不安定な国ではインフレが頻繁に起こります。
 インフレとはお金の価値が目減りして、モノの値段が非常に高くなる現象の事です。
 日本でも消費税の増税なんかがあると、昔は100円で買えた缶ジュースが120円になったりする事とかがありますが、経済的に不安定な国は消費税の増税などとは関係なく、どんどん物価が上がっていきます。
 例えばテレビ一つを取っても先週は5万円くらいの売値だったのに、今、テレビの値段を見たら15万円になっていた、なんて事が当然のように起こります。
 どうしてこんな事が起こるのかと言うと、そういう経済が不安定な国の政府は、外国から借金をしている場合が多いのですけど、返済に行き詰まると自国の紙幣を刷って刷って刷りまくって何とかしようとするからです。
 国と国同士がお金の貸し借りをする場合はドルで行われる事が多いのですけど、借金の返済に行き詰まった国の政府は、国民や民間の銀行が所有しているドル紙幣を、どんな手段を使ってでも、とにかく掻き集めようとします。
 そうする為には、その国が発行している紙幣と国民や民間の銀行が所有しているドル紙幣を交換すればいいわけですけど、そういう国の政府に限ってお金をそんなに持ってません。
 じゃぁ、どうするのかと言うと、先にも少し説明しましたけれど、自国の紙幣を刷って刷って刷りまくって、その擦りまくった紙幣を使って国民や民間の銀号が所有しているドル紙幣を買い上げるわけです。
 これの何がいけないのかと言うと、その国の食料や衣類、家電や車の取引の量は増えても減ってもいないのに、いきなりお金の量だけが激増するわけですから、モノ(食料や衣類、家電や車の事です)の値打ちに対してお金の値打ちが相対的に下がってしまいます。
 お金の価値が相対的に下がってしまったら、必然的にモノの値段が上がります。これがいわゆるインフレと呼ばれている現象です。
 実際のインフレは複合的な要因が複雑に絡みあってますから、こんなに単純ではありませんし、インフレが起こる原因も一つではありません。
 ちょっと説明が分かり辛かったと思うので日本の場合に置き換えて説明すると、日本政府がアメリカに借金を返せなくなったからと言う理由で「明日から日銀の輪転機を使ってピン札を大量に発行するでぇ~!お前ら下僕どもが持っているドル札は政府が強制的に買い上げるから、そのつもりでおれよ。反抗した奴は厳罰やで。ええなぁ!」と国民に対して無茶振りしているのと何も変わりません。
 今の日本はアメリカから殆ど借金をしていないので、こう言う事態が実際に起こる可能性はほぼゼロですけど、自国の政府がお金を大量発行することが、いかに異常な事態なのかは、何となく理解してもらえたと思います。
 インフレは何処の国でも多かれ少なかれ起こってますけど、経済に打撃を与えるような悪性のインフレは99.99%、経済が不安な国で起こってます。教育水準が高く工業力も高い先進国でそう事が起こる可能性はほぼゼロです。
 しかし、先進国では起こる可能性がほぼゼロなはずの悪性インフレを経験した国がヨーロッパにあります。それが前の章で触れた戦前のドイツ(ワイマール政府)です。
 ドイツのマルク紙幣が紙くず同然になったのは、第一次世界大戦と深いつながりがあります。
 第一次大戦で連合国に負けたドイツは敗戦国になりました。ドイツは連合国から天文学的な賠償金を課せられ、その額はなんと驚くことに1320億金マルク(今の日本円で200兆円相当)でした。
 戦争で負けて国力が衰えたドイツは当然、こんな額の賠償金をすぐには払えません。しかも敗戦で植民地や(ドイツ国内の)鉄の産地も戦勝国に没収されていたので、経済がボロボロ。なんとか賠償金を払おうとはするのですが、支払いが滞ることもしばしばありました。これに怒ったフランスが、なんと軍隊を出動させてドイツ屈指の工業地帯であるルール工業地帯を占領してしまいます。
 そのお陰でドイツの工業生産能力は一気に落ちました。こうなるとモノ不足のインフレが起こります。この章の初めでは、お金の刷りすぎによるインフレを紹介しましたが、モノが不足してもインフレは起こります。
 例を挙げると、震災の時、食べるものや着るものが不足して困っている被災者の足元を見て「弁当1個5000円」なんて事をする悪徳業者が何処の国や時代にもいますけど、戦前のドイツでは、それと同様のことが国家単位で起こっていたのです。
 しかしそれだけで冒頭の写真のようなインフレは起きません。ドイツのワイマール政府は何を血迷ったのか、そんな状況下でマルク紙幣の大量発行を始めます。原因は幾つかあるようですけど結局、謎とされています。
 これで一挙にインフレに火がつきました。それがどれだけ凄かったのかと言うと、1兆マルク札と言う冗談みたいな額の紙幣を発行するまでに至ります。
 日本でも大阪の小学生とかが「100万円札で払うわ」とか冗談で言ったりしますけど、それと同じような事を当時のドイツはしていたという訳です。
 こういう事が起こるとドイツ国民の誰もが自国の通貨を信用しなくなります。
 ある人は薪を買うよりもマルク紙幣を燃やした方が安上がりだと言うことで、本当にお札を燃やして暖をとったそうです。
 またある兄弟は、兄は大酒飲みの放蕩息子で弟は実直な倹約家だったのですが、倹約家だった弟はインフレで預金の殆どを失いましたが、大酒飲みだった兄は自分が家の庭に捨てた空き瓶を掘り返して売り、実直な弟よりもいい生活をしていたそうです。
 こう言う壊滅的なインフレが起こると「カネよりも大切なモノは無い!」と言っても説得力がありません。時と場所を選んで発言しないと下手したらぶん殴られかねません。
 
■じゃぁ、お金よりも大切なモノって何なの?
 人はそれぞれ自分の中で、お金よりも大切にしているモノがあると思います。前の前の章でも述べましたけど、それは家族や友人、恋人だったり、あるいは車や時計などのグッズ類だったり、はたまた熱中している趣味だったり、人によって様々です。
 そういう価値観も大切だと担当Sは思います。
 しかし、そういう価値観とかの問題ではなくて、お金よりも大切なラスボス的な存在が実は現実の世界に存在します。それは「信用」です
 前章でお話しした(前章を読み飛ばした方は、長ったらしい文章ですが、一度読むことをお勧めします)インフレのお話しも実は「信用」の低下から発生している問題なのです。
 一万円札にどうして一万円の値打ちがあるかなんて、当たり前すぎて普通は考えないでしょうが、その一万円の値打ちは実は、日本と言う国に対する信用から生まれているのです。
 例えば担当Sが自分で紙に「一万円の担当S券」と書いて何か買おうとしても、気が触れたか頭がおかしくなったかと思われるのが関の山です。
 しかし同じ紙に日本銀行が輪転機を使って「一万円 日本銀行券」と刷ったら、それはたちどころに現実の世界でも通用する生きたお金になります。
 よくよく冷静になって考えてみれば一万円札が高額紙幣とはいえ、物理的には単なる紙切れにしか過ぎません。それに一万円の値打ちを与えているのは日本銀行に対する「信用」であり、日本銀行の親分である日本政府に対する「信用」です。
 日本の国が「あなたが今持っている一万円札は、明日も明後日も明々後日も同じ一万円の価値がありますし、それをお店に持っていけば一万円と言う範囲内でどんなモノとも交換できますよ」と言うことを保証してくれているから、一万円札は一万円札として通用するのです。
 前章でお話ししたような経済が不安定な国だと、この常識が通用しません。酷い時には、お金の価値を担保するはずの政府が「明日から一万円札は使えなくなりますよ。但し銀行預金は別。現金で一万円札を持ってる人は今すぐ最寄りの銀行に預けてね」なんて感じのお触れを、何の前触れもなく出したりします。
 こういう国ではお金の価値そのものが怪しいので、お金を手に入れたら取り敢えず何かモノに変えようとします。それは食料や衣料のような生活必需品かもしれませんし、テレビや洗濯機のような家電製品かもしれませ。
 今、自分が握っているお金に一万円の価値があったとしても明日は1000円くらいの値打ちに下がっているかもしれず、そういう事が多々あるからです。
 しかしお金の価値が下がったとしてもテレビは明日もテレビのままですし、洗濯機も同様に洗濯機のままです。
 経済が不安定な国で少しでも経済成長が始まると、爆発的な消費ブームが訪れるのはこの為です。
 そういう国に比べたら、日本はお金の価値が下がることを心配しなくていいので、恵まれていると言えるかもしれません。
 
 今回は話が少し固苦しくなってしまいました。
 次回こそはオカルトネタに挑戦したいと思います。
 担当Sでした!
 
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 11月3日よりAppStoreから配信となりましたアクションパズルゲーム「バルーン クラッシュ」です。
 ゲームのジャンル的には落ちものゲーム(いわゆる、落ちげー)になります。
 他の落ちものゲームと同様、ルールは単純ですが意外にハマります。
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兵隊クマ、ヴォイテクの話

2016-12-03 05:39:33 | 歴史

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(担当S)

 
■かつて伍長を務めたヒグマがいた!
 
[写真]ポーランド軍兵士とヴォイテク
 皆さんおはようございます。ブログ担当の担当Sです。ブログ更新を、1日数回の頻度で行えるように頑張っているところです。ブログを書くのに使っているMac Book Airがもう少し機嫌よく動いてくれれば楽なんですけど、とにかく頑張ってブログの記事を書いていこうと思っています。
 突然ですが、担当Sは案外、動物好きです。性別的には完全なる♂なんですが好きなんですよねぇ。
 女性が猫とか犬とか見て「かわいい~!」と騒ぐのはよくあることですけど、男がそれをやってしまうと正気を疑われるのでなかなか出来ません。
 じゃあ今流行りの「萌え」とかも好きなのかと言うと、あっち方面には全く興味がありません。アニメなんかも殆ど見ぃひんし…
 その担当Sが特にかわいいと思っているのが、第二次大戦時にポーランド軍の伍長を務めたことのあるシリア・ヒグマのヴォイテクです。担当Sは歴史も好きなので、ヴォイテクは正に担当Sにはうってつけのマスコットです。
 ヴォイテクの話を紹介する前に、まずポーランドの歴史に触れたいと思います。
 近代史を少しでも知っている人なら、ポーランドはロシアとドイツに独立や国土を蹂躙された可哀想な国というイメージがあるでしょう。そんなポーランドが中世の頃には、かなりの大国であったことは、日本ではあまり知られていません。
 中世のポーランドはリトアニアと連合を組んでいて、オスマン帝国を除けば当時のヨーロッパで最大の人口を擁する大国でした。しかし18世紀の終わり頃には国力が衰微し、ロシア帝国の版図の中に組み込まれます。第一次大戦後は独立を回復しますが1939年の第二次大戦勃発と共にナチス・ドイツに屈服。再び独立が失われます。
 第二次大戦後はソ連の衛星国として独立を回復しますが、それは形だけの独立であり戦後、長い間、ソ連の外地のような扱いが続きます。そんなポーランドが真の意味で再び独立を回復したのはベルリンの壁の崩壊が起きた1989年。ベルリンの壁の崩壊と共に多くの衛星国を失ったソ連は1991年に崩壊してしまいます。
 ポーランドの近代史は正に波乱という言葉がぴったりと来ます。
 そんな波乱に満ちた歴史を持つポーランドの陸軍にヴォイテクは拾われます。1942年の事です。拾われた当時はまだ小熊でした。ヴォイテクを拾った当初は、ポーランド軍にヴォイテクを兵役に就かせようとかそんな発想はなく、ただなんとなく可哀想だったからという理由で拾ったまででした。
 これが普通の国の軍隊だったら、ただなんとなく可哀想だったからと言う理由も分かるんですけど、当時のポーランド陸軍は祖国を持たない"根無し"陸軍として活動していました。どうして"根無し"陸軍として活動していたかと言うと、帰るべき祖国をナチス・ドイツに占領されていたからです。
 だからポーランドの陸軍は連合国の各戦域に分散して派遣されてました。ある時は英軍の指揮下、またある時はソ連軍の指揮下に入って戦う、なんて事もしばしばありました。
 そういう経緯もあってヴォイテクが拾われたのはポーランドではなく、ポーランドから遠く離れたイラン国内です。
 こういうのを運命に巡り合わせと言うんでしょうね。平和な時ならイランにポーランドの軍隊がいるなんてこともありえず、またヴォイテクにとっても彼を拾ってくれるような人間はいなかったと思います。
 もう少しだけヴォイテクがポーランド陸軍に拾われた経緯を説明すると、ヴォイテクは母グマを猟師に撃たれ孤児になります。孤児になったヴォイテクはまず、イランにいたポーランド難民に拾われますが、自分たちが食べる物すら事欠いてるような有り様の難民たちの手には余るようになり、難民たちと一緒に行動していたポーランド陸軍の部隊に引き取られ、そこでヴォイテクは面倒を見てもらうことになります。
 
■どうしてヒグマが伍長になったのか?
 こうしてポーランド陸軍に引き取られたヴォイテクですが、引き取られた当時はかなり衰弱しており、与えられた餌を上手く飲み込む事が出来なかったので、ポーランド陸軍の兵士たちも苦労したようです。
 しかし兵士たちの手厚い看護の甲斐もあってスクスク成長していきます。
 ヴォイテクの話で凄いなぁと思うのが、本来ヒグマのような非常に獰猛な動物でも、小さい頃から人間に飼われると、まるで借りてきた猫のように人間に対して従順になるという点です。しかもヴォイテクの場合、人間に従順なだけでなく兵士たちとレスリングをしたり敬礼の仕方を覚えるなど、どうも自分を人間だと思っていた節があります。
 またヴォイテクが大好物だったというモノが面白くて、彼の好物はビールとタバコ。まるでオッサンみたいなクマですけど、これだけ人間臭くてしかも愛嬌があれば、ポーランド陸軍の兵士たちに可愛がられたのも、ある意味当然かもしれません。担当Sがヴォイテクを好きなのは、この何とも言えない人間臭さがヴォイテクにあるからです。
 兵士とレスリングを興じるのもヴォイテクは大好きで、時にはわざと負けて相手を勝たせる事があったそうです。肉食獣は草食動物と比べて知能が発達しているとされていますが、ヴォイテクは本当に利口なクマだったようです。
 しかも元々は獰猛な肉食獣の癖してかなりの寂しがりやで、一人ぼっちにされると寂しそうに鳴き、兵士たちと常に寝食を共にするのを好みました。兵士たちが朝、ヴォイテクに顔を舐められて起こされてビックリするような事も度々あったそうです。
 そんな感じで兵士たちに愛されたヴォイテクですが、ある事件が起きるまでは誰もヴォイテクを伍長にするつもりなんてありませんでした。
 その、ある事件というのはポーランド陸軍がエジプトから南イタリアに向った時に起こります。
 エジプトから南イタリアに向かう際に輸送船に乗り込んで移動するようにポーランド陸軍は命じられたのですが、輸送船で動物を運ぶのは禁止されていました。これに困ったポーランド陸軍のヴワディスワフ・アンデルス中将が、常軌を逸した苦肉の索を思いつきます。なんとヴォイテクをポーランド陸軍の伍長に任命して「このクマはポーランド軍の兵士だから一緒に連れて行け!」と輸送船の船長に迫ったのです。
 まぁ普通の感覚で考えたら、幾らポーランド軍の中将が「このクマは我が軍の兵士だ!」と必死になって主張した所でクマはどう見てもクマですから拒否られると思うのですが、輸送船の船長もユーモアを理解する人だったらしく、この無茶苦茶な主張がなんと通ってしまいます。
 こうしてヴォイテクは、ポーランド陸軍の正式な「伍長」に任命された訳です。
 
■戦線でもヴォイテクは大活躍。しかし戦後、悲しい運命が…
 
[写真]ポーランド第22輸送中隊の部隊章
 ここまでのヴォイテクの話は、ポーランド陸軍にマスコットのクマがいたくらいの話で、国境を越えて後世の日本にまで伝わる程のぶっ飛んだ話ではありませんでした。
 もちろんクマが伍長を務めたというのは、十分に面白い話ではあるんですけど、それでもまだインパクトが弱いです。
 ヴォイテクは戦後、ヨーロッパの各メディアの注目を集めることになるんですけど、それはヴォイテクが戦線で本当の兵士として活躍したクマだったと言う話が、大衆に大いに受けたからだとおもいます。
 兵士と言っても所詮はクマですから敵軍を機銃でやっつけるとか手榴弾を投げ込んだとか、そんな事はしませんし出来ません。
 戦場でヴォィテクがどんな活躍をしたのか?この事についてポーランド軍の友軍であった、英国陸軍の兵士たちの証言が残っています。
 英軍の兵士が戦場で何を見、そしてヴォィテクに対してどんな反応を示したのか、その事について少しお話しさせて頂きたいと思います。
 ポーランド陸軍の間では既に有名人(と言うか有名熊)になっていたヴォイテクですが、英軍はポーランド陸軍に伍長を務めているクマがいるなんて事は知る由もありません。それに、まさかクマがポーランド兵と行動を共にしているとは露ほども思っていませんでした。
 そんなある日の事です。
 一人の英軍兵士がいつものようにドイツ軍と戦っていると、どこからか獣がいるような気配を感じます。
 「こんな戦場に獣なんているわけない」と、その兵士は自分を納得させようとしますが次の瞬間、彼は信じられない光景を目の当たりにしました。
 ゆうに体長が180cmもあろうかと言う立派な体格のクマが、弾薬箱を抱えて彼の眼の前を横切ったのです。それだけでも十分に驚愕に値することなのですが、更にそのクマは自分が抱えていた弾薬箱を友軍であるポーランド兵に当たり前のように手渡しました。ポーランド兵も、それがあたかも当然のように受け取って戦闘を続けます。
 その様子をじっと見ていた英軍の兵士は、開いた口が塞がらないほどビックリしました。
 戦闘が終わった後に友軍のポーランド兵に自分が見たクマについて尋ねると、ポーランド兵は淡々とした口調でそのクマはヴォイテク伍長と言う名前であり伍長には弾薬輸送を手伝ってもらっていると説明します。
 この話が戦後、「兵隊クマ」ヴォイテクの目撃談としてイリギリスからメディアを通して伝わり、ヴォイテクはポーランドだけでなくヨーロッパ各国で一躍人気者となります。
 英軍兵士の中には「俺は戦場で砲弾を抱えて運ぶクマを見たんだ!」と証言する者まで現れました。ヴォイテクが実際に砲弾を抱えて運んだことはなかったそうです。しかし弾薬箱に関してはヴォイテク自らが好んで兵士の元に届けたと言うことです。
 ヴォイテクのこの活躍から、ポーランド陸軍第22輸送中隊は「クマが砲弾を抱えている姿(上の写真を参照のこと)」を隊の部隊章にする事に決めました。
 6年の長きにわたり続いた第二次世界大戦でしたが、ドイツ軍の劣勢が誰の目から見ても明らかになると、兵士達の間にも「この戦争はもう直ぐ終わるのでは?」と言う観測が広がります。この観測がポーランド陸軍の中にも広がると、ヴォイテクと共に戦った兵士達の間に、ある希望が生まれます。
 それはヴォイテクを自分たち祖国ポーランドに連れ帰り、首都ワルシャワをヴォイテクと一緒に凱旋すると言うものでした。
 「ドイツ軍さえやっつければ俺たちの祖国が戻ってくる!」兵士達がそう思うのも無理はありませんでした。
 まさかソ連が祖国ポーランドを衛星国とせんが為に淡々と準備を整えていたなんて、その時の彼らには想像だにできないことでした。
 ポーランドはその歴史からロシアと言う国を全く信じていません。が、それでもまさかロシアがそこまでする訳がないと思っていたからです。
 そんな事をすればイギリスやアメリカが黙っているはずがなく、今度は英米とソ連の間で戦争が起こりかねません。
 そんな彼らの予想に反して戦争が終わった直後からベルリンの壁が崩壊するまで、冷戦と言う形で英米とソ連はいがみ合うことになります。しかし、当時のポーランド兵にそんな事は知る由もなく、戦争が終われば祖国が戻ってくるものと信じ切っていました。
 ヴォイテクと一緒にワルシャワを凱旋するんだという夢が、兵士達にとっては、この辛い戦争を戦い抜く為の一種の励みになっていました。
 ですが現実は冷酷でした。ドイツ軍がポーランドから退くと、今度はソ連の赤軍がポーランドに雪崩のように流れこんできました。そして事実上、ポーランドを征服します。傀儡政権をポーランドに樹立したソ連は、ドイツ侵攻時にイギリスに亡命していたポーランド亡命政府を拒否。戦争が終わった後も亡命政府がポーランド本国に戻って来るのを絶対に許しませんでした。
 このソ連の行動に各国政府は非難を表明しますが、ソ連との戦争が起こる事を恐れて具体的な行動は何一つ起こしませんでした。
 こうしてポーランドは、1989年までソ連に侵略されたような状態が続きます。
 戦争を戦い抜いたポーランド兵もこの非情な現実に打ちのめされます。彼らの祖国への帰還はポーランドの傀儡政府から拒否され、帰る国がなくなったポーランド兵達は、やむなくヨーロッパ各国へと散っていきました。
 ヴォイテクも例外ではありません。戦後ヴォイテクは一度もポーランドの土を踏むことなく、イギリスのエディンバラ動物園で余生を過ごすことになります。1963年に22歳で息を引き取るまで彼はエディンバラ動物園で過ごしました。
 エディンバラ動物園に引き取られたヴォイテクが幸せだったどうかは分かりません。BBCのテレビ番組に何度も出演するなど、人気者として余生を過ごしましたが、それがヴォイテクにとって本当に幸せな事だったかどうかはヴォイテク本人が知るのみです。
 ヴォイテクと一緒に行動し一緒に戦った兵士達の中には「自分たちがヴォイテクの面倒を見る!」と主張し続ける者もいましたが、それは遂にかないませんでした。
 エディンバラ動物園に引き取られたヴォイテクは完全な檻に閉じ込められていた訳ではなくて、日本の動物園でもよく見かける天井がなくて開放感がある「ハーゲンベック式」と呼ばれる檻で飼われていました。
 それでもポーランド兵たちと一緒に戦線を移動していたヴォイテクにとっては、とても窮屈な環境だったはずです。
 戦後、ヴォイテクと同じ部隊にいた元ポーランド兵がエディンバラ動物園に尋ねることが度々あったそうですが、ヴォイテクは兵士たちの顔をよく覚えており、観客の中に自分が知っている兵士がいると他の観客が見ても分かる位に嬉しそうな仕草をしたそうです。
 元兵士の中にはヴォイテクを見て懐かしさの余り柵を乗り越えて檻の中に入り、一緒にレスリングを楽しむ者もいました。
 このエピソードからしても、かつての戦友からヴォイテクがいかに愛されていたかが伝わってきます。
 
 今回は趣向を変えて動物のエピソードを取り上げてみました。
 次回こそはオカルトネタに挑戦したいと思います。
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 5月1日よりAppStoreから配信となりました、カラフルなサイコロが印象的なアクションパズルゲーム「ダイスポップ」。
 ゲームのジャンル的には落ちもの系ゲーム(いわゆる、落ちげー)になります。
 指一本で遊べるとても簡単な操作性ながら、ぷよぷよの様な「連鎖反応消し」等のテクニックも使えます。
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 [gooブログ]兵隊クマ、ヴォイテクの話