森英恵さんが亡くなった
96歳の大往生だったようだ。
私がまだ21か22歳の頃
ジュエリーの仕事に就く際に
デザイナーか職人か、どちらかを選ばなくては
ならない状況に、私は迷いに迷って職人になった。
デザインも加工もどっちも好きだった私は
デザインも諦めきれずコンテストに挑戦していた。
そしてプラチナギルドインターナショナルが主催する
プラチナデザインコンテストにて
プラチナギルド賞を受賞した。
受賞したのも嬉しかったが
それ以上に嬉しかったのは
審査員の一人だった森英恵さんが
表参道の森英恵ビルで、私を含む4人の受賞者の作品で
ミニファッションショーを開いてくれたことだ。
近くで拝見する森英恵さんは
テレビで観たままの優しそうな方で
廻りの方たちが異常に気を使っていたのを覚えている。
デザイナーとしての格とでも言いましょうか
別世界の人だなと眺めていたことを思い出す。
手仕事から始め、手仕事を最後まで大切にした方だと思う。
何でも手に入る使い捨て文化の世の中で
自分らしい仕事、自分らしい逸品を見つけると言う事は
やはり思いやりのある手仕事に尽きると思う。
私も物作りの端くれとして
森さんの大切にしていた手仕事を
出来るだけ大切にして行きたい。
その想いを感謝の気持ちに添えたいと思います。
96歳の大往生だったようだ。
私がまだ21か22歳の頃
ジュエリーの仕事に就く際に
デザイナーか職人か、どちらかを選ばなくては
ならない状況に、私は迷いに迷って職人になった。
デザインも加工もどっちも好きだった私は
デザインも諦めきれずコンテストに挑戦していた。
そしてプラチナギルドインターナショナルが主催する
プラチナデザインコンテストにて
プラチナギルド賞を受賞した。
受賞したのも嬉しかったが
それ以上に嬉しかったのは
審査員の一人だった森英恵さんが
表参道の森英恵ビルで、私を含む4人の受賞者の作品で
ミニファッションショーを開いてくれたことだ。
近くで拝見する森英恵さんは
テレビで観たままの優しそうな方で
廻りの方たちが異常に気を使っていたのを覚えている。
デザイナーとしての格とでも言いましょうか
別世界の人だなと眺めていたことを思い出す。
手仕事から始め、手仕事を最後まで大切にした方だと思う。
何でも手に入る使い捨て文化の世の中で
自分らしい仕事、自分らしい逸品を見つけると言う事は
やはり思いやりのある手仕事に尽きると思う。
私も物作りの端くれとして
森さんの大切にしていた手仕事を
出来るだけ大切にして行きたい。
その想いを感謝の気持ちに添えたいと思います。