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仏陀の教え

2024-09-26 22:27:22 | Weblog

 

いちおう明日は休みだが会議があるので出勤

大切なコロナウイルス対策の会議なので

出席することは、やぶさかでは無い

 

 

最近、仏陀の教えをよく聴く

量子力学と仏教の共通点を多く感じてから

仏陀の教えを聴くようになったが

以前はおかしな話と思っていた内容が

今はスーッと頭に入ってくる

 

これが洗脳って奴かwと思ったが

おかしな内容と思っていた部分は

自分を追い求めることで真理に近づく事を目的とすれば

些かも不思議なことは無く、むしろ今まで気づかなかった想いを

知ることが出来る

 

特に怒りの感情に関しては

怒りっぽい自分への戒めとして

わざわざ怒りを増幅させてしまうことが

いかに愚かなことかを教えてくれる

 

今日も赤信号で止まった

いけるかどうか迷いながら結局止まったのだが

「ついていない」と怒りを表わすのは実に愚かで

単なる確率の問題だと諦めることは出来ていた。

そしてその、怒っても何にもならない事に時間を割くのが馬鹿らしくなり

有効な時間の使い方を思うようになったのがアンガーマネージメントの本を

読んでからになるが、今日はまた少し違った。

 

寸前で止まった私の車の後ろの車

赤信号に止められて「ついてない」と思う感情は

私より薄らいでるだろうなと思った。

それだけで私が止められた事の嫌な気持ちが

和らいでいるのが判った

 

私が怒りをわざわざ増幅していたのは

それがストレス発散になるからだろうと思う。

狭い車内で一人でいるとき

そこには普段出したら恥ずかしいエゴが有り

気に入らない運転をするドライバーの愚かさを

怒りという感情を増幅することで

とんでもない犯罪者にまで昇華させていた。

そうすることで自分の正当性と

それを大きな声で主張できる自分に安堵していたのだ

 

まったく馬鹿げた話だ

内弁慶、小市民、子悪党、

どんなそしりも当てはまりそうな自分がそこには居る

 

年齢的な物も有る

活力の減退と面倒くさい感情が

図らずも怒りを抑えてくれている部分もある

いずれにせよ今の自分は

怒りを表に出す事の罪深さ、相手を傷つけると同時に

自分も傷ついていることを思わざるを得ない

 

これは洗脳では無く、自然の流れに抗うこと無く生きる事だと思う

これからも仏陀の言葉に意外性を感じるとき

それは新しい発見に繋がるのだと思う。

他にもアドラーやアインシュタインなどの名言も繰り返し聞くが

どの言葉にも力強さがあり、心に響くものがある。

これからもそんな言葉に耳を傾ける機会があれば

深くそれを考察して身につけたいと思う。