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怪談 青井の井戸 8

2021年09月16日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 翌朝、わたくしは息苦しさに目を覚ましました。文机にうつ伏せたままだったので、そう感じたのでございましょう。はしたなさと恥かしさに、独り頬を熱くしておりますと、雨戸を開ける音が致しました。ばあやの毎朝の日課でございます。わたくしは立ち上がり、部屋の障子戸を開けました。
 ばあやは驚いた顔をしておりましたが、すぐに表情を戻すと、朝の挨拶をしてくれました。わたくしもいつものように挨拶を返しました。昨夜の事など気に掛けていないと思わせたかったのでございます。ばあやとの付き合いは長うございます故、このような素振りを示せば、ばあやの方からあれこれと話をして来ると言うのが分かっておりました。
 案の定、ばあやはそわそわとし始めました。それからわたくしに顔をと近付けました。
「きくの様、昨夜のお話でございますが……」
「何でしたえ?」
 わたくしはとぼけて見せます。
「ほら、あれでございますよ……」ばあやはじれったそうです。「お庭の、あの井戸の事でございます……」
 ばあやそう言いながら、開いた雨戸から見える例の井戸を指差しました。
 わたくしも目を井戸へと転じました。いつもと変わらぬ井戸、それでいて、いつもとは違って見えておりました。
「ああ、そう言えば、そんな事を話しましたね」
 わたくしはさも今思い出したよ言う態を装いました。
「……朝餉の後にお話し申し上げまする……」
 ばあやはそう言うと、軽くうなずいて行ってしまいました。
 ばあやが去った後、改めて井戸を見ました。気のせいなのでございましょうが、井戸を封じております大石が左右に揺れたかに見えました。わたくしは慌てて部屋に戻り、文机の護符を手に取り、四つ折りのまま、袂に入れました。

 朝餉の席では、父は相変わらず無口でございました。父がすっと空になった椀を差し出されました。普段ですと、給仕のばあやが素早く気付いて受取り、お替りを盛るのでございますが、ばあやは上の空でした。母が軽く咳払いをしてばあやに注意を促されます。その時になって、ばあやはようやく気が付き椀を受け取ろうとしましたが、父は椀を自分の膳に置かれました。ばあやは伸ばした手のやり場に困っておりました。
「本日は登城する」
 父は短くそうおっしゃいますと、立ち上がられ、部屋を出て行かれました。母はまだ途中でございましたが、立ち上がって父の後に従われました。父のお召し変えの手伝いでございましょう。部屋にはわたくしとばあやだけとなりました。
「ばあや、今は二人です。井戸の事を話してくださいな」
 わたくしはばあやに言いました。ばあやは居住まいを正しました。
「……では、お話しいたします……」
 ばあやはそこまで言うと口を噤みました。母がお戻りになるやもと思ったのでございましょう。しかし、気配はございませんでした。ばあやはほっと短く息を吐きました。
「……お庭の古井戸の事でございましたね……」
「そうです。昨日、ふらりと立ち寄られたお坊様に言われて、気になってしまったのです」
「左様でございましたか……」
 ばあやは話すと言っておきながら、口が重うございました。わたくしは焦れて、つい強い口調になって言いました。
「話すと言って何をためらう! わたくしをまだ子供と思うてか!」
 ばあやは慌てて、その場に平伏をいたしました。わたくしは言い過ぎたかと己をは恥じたのでございますが、これが功奏いたしましたのか、ばあやが話を始めました。


つづく

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