「あら、さとみちゃん」玄関の百合恵が言って、くすっと笑う。「相変わらず、ポコちゃんなんだ」
「これって、動きやすいんです」さとみは開き直る。「百合恵さんだって、どこかのアニメキャラじゃないですか」
百合恵は、ぴっちりとした黒いジャンプスーツに黒のブーツだ。
「さとみちゃんじゃないけど、この格好が動きやすいのよねぇ」百合恵は言って、長い髪を右手で梳く。「百合恵ちゃ~ん、って感じ?」
二人は笑う。
「……良いわね。緊張はしていないようね」百合恵はうなずく。「じゃあ、行きましょうか? ……忘れ物は無い?」
「無いです!」さとみはちょっとむっとする。「もうお子ちゃまじゃないって、言ったじゃないですかぁ」
「でもね、念には念を入れないとね。片岡さんからのお話だから……」
「分かりました」
さとみはオーバーオールの胸ポケットや両脇のポケット、ポシェットの中などを、百合恵と共に確認して行く。
「ハンカチにポケットティッシュにお財布……」百合恵はつぶやく。「何だか普通にお出掛けって感じね」
「母は、わたしがデートをするんだって思い込んでいるんです!」さとみはぷっと頬を膨らませ、まだ二階から下りて来ない母親を思う。「それどころじゃないって言うのにぃ!」
「そうなんだ」百合恵は笑う。「良いんじゃないかしら? 普通なのが一番力を発揮できるわよ」
「そうなんでしょうけど、母は普通じゃないです!」
百合恵は笑う。
百合恵もいつもと変わらない。いや、変わらなくしているのかもしれない。今夜が大変な事は分かっているからだ。変に緊張するよりは絶対に良い。
「準備も出来たし」百合恵が言う。「じゃあ、行きましょうか」
「はい!」さとみは気合の入った返事をすると、室内に向かって大きな声を出す。「じゃあ、お母さん! 行って来るね!」
と、どたどたと階段を下りて来る音がした。母親が玄関に来る。
「百合恵さん、さとみを色々とお願いしますね」母親は「色々と」を強調する。さとみはイヤな顔をする。「あ、それと……」
母親は握った右手をさとみに突き出す。さとみは怪訝な顔で、母親の拳と顔とを見比べる。
「ほら、忘れ物よ」
母親は握った手を広げる。母親の手の平に、細い金の鎖に白い大きな勾玉(まがたま)が付いたペンダントが乗っていた。片岡から借りたペンダントだ。さとみは片岡の言葉を思い出す。「さとみさん、これを身に着けていて下さい。完璧と言う訳ではありませんが、ある程度は守りとなるでしょう」言葉とともに、優しい微笑みの片岡の顔も浮かぶ。
「……ありがとう」さとみは言うとペンダントを取る。「すっかり忘れていたわ……」
「ダメねぇ……」母親はため息をつく。「こんな素敵なプレゼントをくれたのに、忘れるなんて。彼氏が知ったら泣いちゃうわよぉ」
「だから、そうじゃないんだってばぁ!」さとみは顔を真っ赤にして言い返す。「お母さんは、何にも分かっていないんだからぁ!」
「はいはい……」母親はにやにやしながら、百合恵を見る。「とにかく、さとみをお願いしますね」
「分かりましたわ、お母様」百合恵は楽しそうに答える。「さとみちゃんはお任せください」
何かさらに言いたそうなさとみの腕を引っ張って、百合恵は外に出て、家の前に停めてあった百合恵の黒塗りの大きなスポーツカーに乗り込んだ。迫力ある排気音を唸らせると発進した。
さとみたちが学校に着いた。排気音で気がついたのか、アイを筆頭に朱音としのぶが駈け寄って来た。朱音としのぶはさとみと同じ格好をしてる。アイは黒のジーンズに黒のTシャツ姿だ。
「お疲れ様でございますぅぅぅ!」
三人は、車から出て来たさとみと百合恵に向かって直角になる。
「みんな揃っています」アイが言う。「いよいよですねぇ……」
「そうね……」
さとみはつぶやくように言う。朱音もしのぶも、そして、アイまでもが緊張した表情だ。つられて、さとみも緊張してくる。
「さあさあ」百合恵が明るい声で言うと、ぱんぱんと手を叩いた。「終わったら、わたしのお店で何か食べましょう。今日は奢るわよ」
「良いんですか?」アイが驚く。それから、朱音としのぶに振り返る。「お前たち、百合恵姐さん、いや、特別顧問にお礼を申し上げるんだ!」
「ありがとうございますうぅぅぅ!」朱音としのぶが直角になる。その後にしのぶが付け加える。「お腹いっぱいになるまで食べさせて頂きますうぅぅ!」
「こら、のぶ!」朱音が叱る。「相変わらずの食いしん坊ね!」
「良いのよ、朱音ちゃんもそうしてね」百合恵は楽しそうに言う。皆の緊張がほぐれたのを見て取った。「……麗子ちゃんは?」
「麗子は松原先生たちと一緒に居ます」アイが答える。「片岡さんに何度も『わたしは居るだけで良いんですよね?』って聞いていました」
「そう……」
百合恵はくすっと笑う。さとみは「弱虫麗子」と心の中で言う。
職員昇降口の照明が点いていた。そこに片岡と松原先生と麗子がいた。片岡は、いつものように穏やかな笑みを浮かべている。松原先生は、百合恵を見ると笑みを浮かべる。百合恵も笑みを返す。
「うわあ、松原先生、百合恵特別顧問と何かあるんですかぁ?」朱音が二人の遣り取りを見逃さずに訊いて来る。「そこの所、詳しく!」
返事に窮している松原先生の傍には麗子がいた。何故か制服姿だ。
「麗子、どうしたの。珍しいじゃない、制服って?」さとみが訊く。「学校にさえ私服で行きたがっているのに?」
「だってさ」麗子は口を尖らせる。「朱音ちゃんやしのぶちゃんが、さとみと同じ格好にしてくれって言うんだもの! わたしにポコちゃんになれって言うの? 出来るわけないじゃない? だったら、制服の方がマシよ」
「麗子先輩、意地になっちゃって……」しのぶが言う。「でも、制服だったら文句は言えませんから……」
「さあ、早く終わらせて帰りましょ!」麗子が言う。「学校以外で制服なんて、やっぱりイヤだわ!」
「今から学校へ入るんだから、良いじゃない?」
「そう言う事じゃなくってぇ!」
「分かっているわよ」さとみが笑う。「わざと、からかって言っているのよ」
「もうっ!」
「もうっ! は、牛よ」
「おいおい、大きな声で騒ぐんじゃない」松原先生が注意する。「それに、これからが大変なんだぞ。もう少し緊張感を持ったらどうだ?」
「緊張のしすぎはいけませんわ、松原先生……」百合恵が笑みを浮かべて言って、松原先生の隣に立つ。「これが片付いたら、片岡さんと御一緒にわたしのお店で祝杯をあげて下さいな」
「え?」松原先生は片岡を見る。片岡はうなずく。「……そうですか。百合恵特別顧問と片岡さんがおっしゃるんじゃ、従わざるを得ませんねぇ」
皆は笑う。楽しそうな雰囲気に、傍にいる碌で無しの霊体どもは苦々しげな表情を浮かべて去って行く。明るい気は強いものなのだ。
「そうそう、谷山先生も来る事になっているんだけど……」松原先生の言葉に、きいきい声の谷山先生を思い出した「百合恵会」の生徒たちの表情が曇る。「まあ、そんな顔をするなよ。谷山先生は、ああ見えて、結構心霊に詳しいんだ。それに、片岡さんを紹介してくれたしさ」
「……それにしても遅いですね」片岡が言う。「都合がつかなくなったのかもしれません」
松原先生は携帯電話を取り出して谷山先生に掛ける。しかし、谷山先生は出ない。松原先生は電話を切って、困った顔をする。
「仕方がありません。行きましょう」
片岡が言う。松原先生が昇降口の鍵を開ける。
つづく
「これって、動きやすいんです」さとみは開き直る。「百合恵さんだって、どこかのアニメキャラじゃないですか」
百合恵は、ぴっちりとした黒いジャンプスーツに黒のブーツだ。
「さとみちゃんじゃないけど、この格好が動きやすいのよねぇ」百合恵は言って、長い髪を右手で梳く。「百合恵ちゃ~ん、って感じ?」
二人は笑う。
「……良いわね。緊張はしていないようね」百合恵はうなずく。「じゃあ、行きましょうか? ……忘れ物は無い?」
「無いです!」さとみはちょっとむっとする。「もうお子ちゃまじゃないって、言ったじゃないですかぁ」
「でもね、念には念を入れないとね。片岡さんからのお話だから……」
「分かりました」
さとみはオーバーオールの胸ポケットや両脇のポケット、ポシェットの中などを、百合恵と共に確認して行く。
「ハンカチにポケットティッシュにお財布……」百合恵はつぶやく。「何だか普通にお出掛けって感じね」
「母は、わたしがデートをするんだって思い込んでいるんです!」さとみはぷっと頬を膨らませ、まだ二階から下りて来ない母親を思う。「それどころじゃないって言うのにぃ!」
「そうなんだ」百合恵は笑う。「良いんじゃないかしら? 普通なのが一番力を発揮できるわよ」
「そうなんでしょうけど、母は普通じゃないです!」
百合恵は笑う。
百合恵もいつもと変わらない。いや、変わらなくしているのかもしれない。今夜が大変な事は分かっているからだ。変に緊張するよりは絶対に良い。
「準備も出来たし」百合恵が言う。「じゃあ、行きましょうか」
「はい!」さとみは気合の入った返事をすると、室内に向かって大きな声を出す。「じゃあ、お母さん! 行って来るね!」
と、どたどたと階段を下りて来る音がした。母親が玄関に来る。
「百合恵さん、さとみを色々とお願いしますね」母親は「色々と」を強調する。さとみはイヤな顔をする。「あ、それと……」
母親は握った右手をさとみに突き出す。さとみは怪訝な顔で、母親の拳と顔とを見比べる。
「ほら、忘れ物よ」
母親は握った手を広げる。母親の手の平に、細い金の鎖に白い大きな勾玉(まがたま)が付いたペンダントが乗っていた。片岡から借りたペンダントだ。さとみは片岡の言葉を思い出す。「さとみさん、これを身に着けていて下さい。完璧と言う訳ではありませんが、ある程度は守りとなるでしょう」言葉とともに、優しい微笑みの片岡の顔も浮かぶ。
「……ありがとう」さとみは言うとペンダントを取る。「すっかり忘れていたわ……」
「ダメねぇ……」母親はため息をつく。「こんな素敵なプレゼントをくれたのに、忘れるなんて。彼氏が知ったら泣いちゃうわよぉ」
「だから、そうじゃないんだってばぁ!」さとみは顔を真っ赤にして言い返す。「お母さんは、何にも分かっていないんだからぁ!」
「はいはい……」母親はにやにやしながら、百合恵を見る。「とにかく、さとみをお願いしますね」
「分かりましたわ、お母様」百合恵は楽しそうに答える。「さとみちゃんはお任せください」
何かさらに言いたそうなさとみの腕を引っ張って、百合恵は外に出て、家の前に停めてあった百合恵の黒塗りの大きなスポーツカーに乗り込んだ。迫力ある排気音を唸らせると発進した。
さとみたちが学校に着いた。排気音で気がついたのか、アイを筆頭に朱音としのぶが駈け寄って来た。朱音としのぶはさとみと同じ格好をしてる。アイは黒のジーンズに黒のTシャツ姿だ。
「お疲れ様でございますぅぅぅ!」
三人は、車から出て来たさとみと百合恵に向かって直角になる。
「みんな揃っています」アイが言う。「いよいよですねぇ……」
「そうね……」
さとみはつぶやくように言う。朱音もしのぶも、そして、アイまでもが緊張した表情だ。つられて、さとみも緊張してくる。
「さあさあ」百合恵が明るい声で言うと、ぱんぱんと手を叩いた。「終わったら、わたしのお店で何か食べましょう。今日は奢るわよ」
「良いんですか?」アイが驚く。それから、朱音としのぶに振り返る。「お前たち、百合恵姐さん、いや、特別顧問にお礼を申し上げるんだ!」
「ありがとうございますうぅぅぅ!」朱音としのぶが直角になる。その後にしのぶが付け加える。「お腹いっぱいになるまで食べさせて頂きますうぅぅ!」
「こら、のぶ!」朱音が叱る。「相変わらずの食いしん坊ね!」
「良いのよ、朱音ちゃんもそうしてね」百合恵は楽しそうに言う。皆の緊張がほぐれたのを見て取った。「……麗子ちゃんは?」
「麗子は松原先生たちと一緒に居ます」アイが答える。「片岡さんに何度も『わたしは居るだけで良いんですよね?』って聞いていました」
「そう……」
百合恵はくすっと笑う。さとみは「弱虫麗子」と心の中で言う。
職員昇降口の照明が点いていた。そこに片岡と松原先生と麗子がいた。片岡は、いつものように穏やかな笑みを浮かべている。松原先生は、百合恵を見ると笑みを浮かべる。百合恵も笑みを返す。
「うわあ、松原先生、百合恵特別顧問と何かあるんですかぁ?」朱音が二人の遣り取りを見逃さずに訊いて来る。「そこの所、詳しく!」
返事に窮している松原先生の傍には麗子がいた。何故か制服姿だ。
「麗子、どうしたの。珍しいじゃない、制服って?」さとみが訊く。「学校にさえ私服で行きたがっているのに?」
「だってさ」麗子は口を尖らせる。「朱音ちゃんやしのぶちゃんが、さとみと同じ格好にしてくれって言うんだもの! わたしにポコちゃんになれって言うの? 出来るわけないじゃない? だったら、制服の方がマシよ」
「麗子先輩、意地になっちゃって……」しのぶが言う。「でも、制服だったら文句は言えませんから……」
「さあ、早く終わらせて帰りましょ!」麗子が言う。「学校以外で制服なんて、やっぱりイヤだわ!」
「今から学校へ入るんだから、良いじゃない?」
「そう言う事じゃなくってぇ!」
「分かっているわよ」さとみが笑う。「わざと、からかって言っているのよ」
「もうっ!」
「もうっ! は、牛よ」
「おいおい、大きな声で騒ぐんじゃない」松原先生が注意する。「それに、これからが大変なんだぞ。もう少し緊張感を持ったらどうだ?」
「緊張のしすぎはいけませんわ、松原先生……」百合恵が笑みを浮かべて言って、松原先生の隣に立つ。「これが片付いたら、片岡さんと御一緒にわたしのお店で祝杯をあげて下さいな」
「え?」松原先生は片岡を見る。片岡はうなずく。「……そうですか。百合恵特別顧問と片岡さんがおっしゃるんじゃ、従わざるを得ませんねぇ」
皆は笑う。楽しそうな雰囲気に、傍にいる碌で無しの霊体どもは苦々しげな表情を浮かべて去って行く。明るい気は強いものなのだ。
「そうそう、谷山先生も来る事になっているんだけど……」松原先生の言葉に、きいきい声の谷山先生を思い出した「百合恵会」の生徒たちの表情が曇る。「まあ、そんな顔をするなよ。谷山先生は、ああ見えて、結構心霊に詳しいんだ。それに、片岡さんを紹介してくれたしさ」
「……それにしても遅いですね」片岡が言う。「都合がつかなくなったのかもしれません」
松原先生は携帯電話を取り出して谷山先生に掛ける。しかし、谷山先生は出ない。松原先生は電話を切って、困った顔をする。
「仕方がありません。行きましょう」
片岡が言う。松原先生が昇降口の鍵を開ける。
つづく
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