「ほらあ、もたもたしてんじゃねぇよ!」
「あ…… ごめん……」
「どん亀百合子! さっさと寄越しな!」
「……うん」
放課後、武道などを行う第二体育館の裏の人目のない場所だった。あまり手入れされていない樹々が伸びていて、校庭を照り付けている陽がここでは薄暗い。
いかにも不良と言った格好に制服を着崩しているの女子生徒が、にやにやしながら校庭に向かう。
残された真面目そうな小柄な女子生徒は、悔しそうに下唇を噛み、胸に抱えたカバンを強く抱きしめながら、不良の後ろ姿を見つめていた。
不良の生徒は君原幸恵と言い、真面目そうな生徒は亀田百合子と言った。
「百合子……」
名を呼ばれた百合子は、反射的に声の方を向いた。
信子が立っていた。心配そうな、緊張したような表情をしている。
「ああ、信子……」
百合子は笑顔を作る。しかし、その笑顔には力が無かった。
二人は部活動は違うが、隣同士の教室を使っている。信子は手芸部で百合子は文芸部だ。信子は、いつも賑やかな手芸部が迷惑をかけて申し訳ないと、文芸部に謝りに行ったことがあった。その時に応対してくれたのが部長の百合子だった。百合子は優しく微笑んで、何も気にする事は無い、楽しい声を聞けて、かえって嬉しいと答えてくれた。それ以来、妙に気が合って、クラスは違うが、休み時間に話をしたり、部活が終わると一緒に帰ったりもした。
信子は百合子に駈け寄る。
「今のは……?」
「うん、何でもないわ……」
「問題児の君原じゃない?」
「うん……」
「何かされたの?」
「いや、別に……」
「嘘よ、お金、取られたんでしょ?」
「……うん」
百合子の頬に涙が流れた。押し殺しながらも漏れ出す嗚咽で震える百合子の背を信子は優しくさすった。
落ち着いた百合子と並んで帰り道を歩いていた。
「幸恵とは、君原幸恵とは幼馴染だったの……」
百合子が言う。信子は頷いた。
「とっても仲が良かったの、いっつもけらけら笑っていたのに…… 中学くらいからあんな風になっちゃって…… それで、仲間に入れって誘われたんだけど断って……」
「それから、色々と始まったのね?」
「……うん……」
「先生とか、親とかに相談した?」
「いや、してない…… そのうち、昔の幸恵に戻ってくれるって信じているから……」
「そうかしらねぇ……」
「そうであってほしい……」
「これからも色々されるかもよ?」
「それでも、きっと戻ってくれるわ……」
途中の四つ角で別れた。淋しそうな百合子の後ろ姿を信子は見ていた。信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべた。
「百合子!」
翌日の昼の休み時間に信子は百合子を訪ねた。百合子は読みかけの本をしまうと教室から出てきた。
「どうしたの?」
信子は持っていた紙袋を百合子に渡した。
「開けてみて」
微笑む信子を見ながら、百合子は口を数回丸めて閉じている小さな紙袋を開けた。
中には手の平より少し小さい、ビーズで作った人形が五つ入っていた。それぞれ青・黄・赤・白・黒の大きめなビーズをテグスに通して人型にしたものだった。それぞれの頭の部分には、より小さな金色のビーズで輪が付いていて、それをさらにテグスの輪で通して、五つが並んでぶら下がるようになっていた。
「これは……?」
「お守りよ。百合子を守ってくれるわ」
「そう、ありがとう……」
「カバンにぶら下げておくといいわよ」
「うん……」
「よう! どん亀百合子!」
そう言いながら二人に割り込んできたのは君原幸恵だった。他の生徒たちは避けるようにして離れた。幸恵はにやにやしながら百合子の肩に手を置く。
「百合子、こいつは何だ? お友だちか? お前にそんなのがいたんだな!」
幸恵は大声で笑う。百合子は泣き出しそうな顔をしている。信子は平然と幸恵を見ている。その視線に気づいた幸恵は信子に詰め寄る。
「何だぁ、お前? 焼き入れてやろうかぁ?」
普通だと、脅せば泣いたり謝ったりするのだが、信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべただけだった。調子を狂わされた幸恵は舌打ちをして百合子に視線を戻した。そして、手にしているビーズの人形にそれが止まった。
「なんだ、それ?」
「わたしが上げたのよ。お守りとしてね」
信子が穏やかな口調で答える。幸恵は信子を睨みつける。しかし、信子は相変わらずの笑みを浮かべたままだ。幸恵は信子の胸倉をつかんだ。周りが騒然となった。
「幸恵、止めてよう!」
百合子は泣きながら信子から幸恵の手を放そうとする。
「ふん!」
幸恵は信子から手を離した。
「代わりにこれを貰ってやるよ!」
そう言うと幸恵は百合子の手から五つの人形の下がったテグスを取り上げた。そして、そのまま行ってしまった。周りは次第に何事も無かったようになる。
「……信子、大丈夫?」
「大丈夫よ。それより、助けてくれてありがとう」
「でも、あれが精一杯よ…… それに、せっかく作ってくれたお守り、取られちゃったし……」
「いいのよ、また作るから」
「うん……」
その夜、幸恵は久しぶりに自宅にいた。遊ぶ気になれなかったのだ。部屋は音楽が爆音で鳴っている。
幸恵は信子のあの平然とした表情を思い出すたびに腹が立った。机の上には百合子から取り上げたビーズの人形があった。
「何がお守りだ!」
幸恵は言うと、何も入らないくらい薄いカバンの中から大きくて頑丈そうなカッターナイフを取り出した。護身用あるいは喧嘩用に持ち歩いている物だった。
幸恵はそれでテグスを切り裂いた。音を立てながらビーズが机に床にとこぼれ落ちる。信子をばらばらにした様な気分になり、幸恵は満足そうな笑みを浮かべる。
喉が渇いた幸恵は階下のリビングに行き、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。両親はすでに幸恵の存在がないものとして扱っているようで、声もかけず見もしなかった。
「ふん! 馬鹿親が!」
悪態を吐きながら階段を上る。部屋の前で缶ビールのプルトップを開ける。缶ビールに口をつけながらドアを開ける。
「あ……」
机を見て幸恵は固まった。ばらばらにした人形が、元に戻っていた。
「え? ばらばらにしたのは気のせいか……?」
幸恵は缶ビールを一気に流し込む。空になった缶を握りつぶし、床に捨てる。酔いが回る。机に向かい、人形の脇に置いてあるカッターナイフを手にする。
「やっぱ、さっきばらしたはず…… ま、いいか!」
幸恵は五体の人形をまとめているテグスをつまみ上げた。カッターナイフでそれを切った。五体の人形が机の上に転がる。信子が転がっているように思えた。
「あいつは苛め抜いてやる! そして死なせちまうかな」
幸恵は笑う。しかし、すぐにその笑みが消えた。
不意に、机に転がった人形が立ち上がったからだ。左から青・黄・赤・白・黒の順に並び、整然とした足取りで五体の人形はゆっくりと歩を進める。本物の人間が歩いているようだ。
「なんだ、こいつら!」
人形は机の端まで進むと、幸恵に向かって一斉に飛び掛かり、宙を舞った。幸恵は手にしたカッターナイフを振り回した。
使い方に慣れている幸恵は最初に向かってきた白い人形を横に切り裂いた。
しかし、二つになった白い人形は、映像を逆回しにしたように動き、切り裂かれる前の姿に戻った。
「なんなんだ! なんなんだよう!」
幸恵は叫びながらカッターナイフを振り回す。他の色の人形も切られるが、すぐに元に戻った。幸恵は大声で叫びながらカッターナイフを振り回す。床の物を蹴散らしたり壁にぶつかったりしたが、爆音の音楽にかき消された。
しばらくすると、幸恵がはあはあと肩で息をし始めた。振り回していた腕がだらりと下がる。五体の人形は幸恵の頭の周りを輪のように囲むと回り始めた。幸恵は虚ろな眼差しでその動きを追う。青・黄・赤・白・黒の色が目の前を巡っている。次第にそれが早くなり、一本の帯のようになった。幸恵はその動きから目が離せなくなった。が、しばらくするとふらふらとからだが揺れ、白目を剥いてその場に倒れてしまった。
次の日、幸恵は学校を休んだ。
昼休み、信子は百合子と屋上にいた。
「お母さんから聞いたんだけど、幸恵、部屋で気を失っていたんだって……」
「そうなの?」
「あまりに夜遅くまで音楽がうるさいから、注意をしようと思って部屋に行ったら、倒れてたんだって。全く意識が無くって、入院したんだって……」
「そう…… じゃあ、当分出てこないわね」
「そうね…… でも、大丈夫かしら……」
「百合子は優しいんだね」
「だって、幼馴染みだし……」
午後の開始のチャイムが鳴った。
「じゃ、また部活の後で」
「いえ、今日はすぐ帰るわ。幸恵の見舞いをしたいから……」
「本当に、百合子って優しいのね」
「あ、そうそう……」
「なあに?」
「昨日くれたお守り、幸恵が持ってっちゃったやつ。あれね、机の上にちゃんと置いてあったんだって。幸恵のお母さんが珍しいものがあるって思ったから覚えてたって。わたしのお母さんが言ってたわ」
「そうなの?」
「わたし、ばらばらにしちゃうって思ってたんだけど……」
「ひょっとしたら心入れ替えたのかもよ」
「そうだと良いけど……」
「じゃあさ、それ持ってお見舞いに行ったらいいんじゃない?」
「そうね、わたしと幸恵のやり直しの証しにするわ」
百合子は教室へ戻って行った。その後ろ姿には昨日のような淋しさは無かった。
「ふふふ…… 思った通りの運びになったわね。あの場じゃなくても、絶対あの不良が百合子から取り上げて持って帰るって思っていたから。……それにしても『五色の人形』ってすごいわ。仏様を表わす五色はやっぱり強力ね。あの不良が改心するまで、あの人形たちはずっと付きまとうから、覚悟しておくことね。……でも、あの不良の意識が戻って、目の前にあの人形があったら、また気を失うかな」
信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべた。
作者註:仏教の五色
青(緑)=仏陀の頭髪の色。心乱れず穏やかな状態の禅定(ゼンジョウ)「定根」を表わす
黄=仏陀の体の色。豊かな姿で確固とした揺ぎ無い「金剛(コンゴウ)」を表わす
赤=仏陀の血液の色。人々を救済しようとする慈悲心が止むことのない「精進(ショウジン)」を表わす
白=仏陀の歯の色。さまざまな悪行や煩悩を浄める清浄(ショウジョウ)を表わす
黒(紫)=仏陀の袈裟の色。侮辱や迫害に怒りを抑えて耐え忍ぶ「忍辱(ニンニク)」を表わす。
「あ…… ごめん……」
「どん亀百合子! さっさと寄越しな!」
「……うん」
放課後、武道などを行う第二体育館の裏の人目のない場所だった。あまり手入れされていない樹々が伸びていて、校庭を照り付けている陽がここでは薄暗い。
いかにも不良と言った格好に制服を着崩しているの女子生徒が、にやにやしながら校庭に向かう。
残された真面目そうな小柄な女子生徒は、悔しそうに下唇を噛み、胸に抱えたカバンを強く抱きしめながら、不良の後ろ姿を見つめていた。
不良の生徒は君原幸恵と言い、真面目そうな生徒は亀田百合子と言った。
「百合子……」
名を呼ばれた百合子は、反射的に声の方を向いた。
信子が立っていた。心配そうな、緊張したような表情をしている。
「ああ、信子……」
百合子は笑顔を作る。しかし、その笑顔には力が無かった。
二人は部活動は違うが、隣同士の教室を使っている。信子は手芸部で百合子は文芸部だ。信子は、いつも賑やかな手芸部が迷惑をかけて申し訳ないと、文芸部に謝りに行ったことがあった。その時に応対してくれたのが部長の百合子だった。百合子は優しく微笑んで、何も気にする事は無い、楽しい声を聞けて、かえって嬉しいと答えてくれた。それ以来、妙に気が合って、クラスは違うが、休み時間に話をしたり、部活が終わると一緒に帰ったりもした。
信子は百合子に駈け寄る。
「今のは……?」
「うん、何でもないわ……」
「問題児の君原じゃない?」
「うん……」
「何かされたの?」
「いや、別に……」
「嘘よ、お金、取られたんでしょ?」
「……うん」
百合子の頬に涙が流れた。押し殺しながらも漏れ出す嗚咽で震える百合子の背を信子は優しくさすった。
落ち着いた百合子と並んで帰り道を歩いていた。
「幸恵とは、君原幸恵とは幼馴染だったの……」
百合子が言う。信子は頷いた。
「とっても仲が良かったの、いっつもけらけら笑っていたのに…… 中学くらいからあんな風になっちゃって…… それで、仲間に入れって誘われたんだけど断って……」
「それから、色々と始まったのね?」
「……うん……」
「先生とか、親とかに相談した?」
「いや、してない…… そのうち、昔の幸恵に戻ってくれるって信じているから……」
「そうかしらねぇ……」
「そうであってほしい……」
「これからも色々されるかもよ?」
「それでも、きっと戻ってくれるわ……」
途中の四つ角で別れた。淋しそうな百合子の後ろ姿を信子は見ていた。信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべた。
「百合子!」
翌日の昼の休み時間に信子は百合子を訪ねた。百合子は読みかけの本をしまうと教室から出てきた。
「どうしたの?」
信子は持っていた紙袋を百合子に渡した。
「開けてみて」
微笑む信子を見ながら、百合子は口を数回丸めて閉じている小さな紙袋を開けた。
中には手の平より少し小さい、ビーズで作った人形が五つ入っていた。それぞれ青・黄・赤・白・黒の大きめなビーズをテグスに通して人型にしたものだった。それぞれの頭の部分には、より小さな金色のビーズで輪が付いていて、それをさらにテグスの輪で通して、五つが並んでぶら下がるようになっていた。
「これは……?」
「お守りよ。百合子を守ってくれるわ」
「そう、ありがとう……」
「カバンにぶら下げておくといいわよ」
「うん……」
「よう! どん亀百合子!」
そう言いながら二人に割り込んできたのは君原幸恵だった。他の生徒たちは避けるようにして離れた。幸恵はにやにやしながら百合子の肩に手を置く。
「百合子、こいつは何だ? お友だちか? お前にそんなのがいたんだな!」
幸恵は大声で笑う。百合子は泣き出しそうな顔をしている。信子は平然と幸恵を見ている。その視線に気づいた幸恵は信子に詰め寄る。
「何だぁ、お前? 焼き入れてやろうかぁ?」
普通だと、脅せば泣いたり謝ったりするのだが、信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべただけだった。調子を狂わされた幸恵は舌打ちをして百合子に視線を戻した。そして、手にしているビーズの人形にそれが止まった。
「なんだ、それ?」
「わたしが上げたのよ。お守りとしてね」
信子が穏やかな口調で答える。幸恵は信子を睨みつける。しかし、信子は相変わらずの笑みを浮かべたままだ。幸恵は信子の胸倉をつかんだ。周りが騒然となった。
「幸恵、止めてよう!」
百合子は泣きながら信子から幸恵の手を放そうとする。
「ふん!」
幸恵は信子から手を離した。
「代わりにこれを貰ってやるよ!」
そう言うと幸恵は百合子の手から五つの人形の下がったテグスを取り上げた。そして、そのまま行ってしまった。周りは次第に何事も無かったようになる。
「……信子、大丈夫?」
「大丈夫よ。それより、助けてくれてありがとう」
「でも、あれが精一杯よ…… それに、せっかく作ってくれたお守り、取られちゃったし……」
「いいのよ、また作るから」
「うん……」
その夜、幸恵は久しぶりに自宅にいた。遊ぶ気になれなかったのだ。部屋は音楽が爆音で鳴っている。
幸恵は信子のあの平然とした表情を思い出すたびに腹が立った。机の上には百合子から取り上げたビーズの人形があった。
「何がお守りだ!」
幸恵は言うと、何も入らないくらい薄いカバンの中から大きくて頑丈そうなカッターナイフを取り出した。護身用あるいは喧嘩用に持ち歩いている物だった。
幸恵はそれでテグスを切り裂いた。音を立てながらビーズが机に床にとこぼれ落ちる。信子をばらばらにした様な気分になり、幸恵は満足そうな笑みを浮かべる。
喉が渇いた幸恵は階下のリビングに行き、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。両親はすでに幸恵の存在がないものとして扱っているようで、声もかけず見もしなかった。
「ふん! 馬鹿親が!」
悪態を吐きながら階段を上る。部屋の前で缶ビールのプルトップを開ける。缶ビールに口をつけながらドアを開ける。
「あ……」
机を見て幸恵は固まった。ばらばらにした人形が、元に戻っていた。
「え? ばらばらにしたのは気のせいか……?」
幸恵は缶ビールを一気に流し込む。空になった缶を握りつぶし、床に捨てる。酔いが回る。机に向かい、人形の脇に置いてあるカッターナイフを手にする。
「やっぱ、さっきばらしたはず…… ま、いいか!」
幸恵は五体の人形をまとめているテグスをつまみ上げた。カッターナイフでそれを切った。五体の人形が机の上に転がる。信子が転がっているように思えた。
「あいつは苛め抜いてやる! そして死なせちまうかな」
幸恵は笑う。しかし、すぐにその笑みが消えた。
不意に、机に転がった人形が立ち上がったからだ。左から青・黄・赤・白・黒の順に並び、整然とした足取りで五体の人形はゆっくりと歩を進める。本物の人間が歩いているようだ。
「なんだ、こいつら!」
人形は机の端まで進むと、幸恵に向かって一斉に飛び掛かり、宙を舞った。幸恵は手にしたカッターナイフを振り回した。
使い方に慣れている幸恵は最初に向かってきた白い人形を横に切り裂いた。
しかし、二つになった白い人形は、映像を逆回しにしたように動き、切り裂かれる前の姿に戻った。
「なんなんだ! なんなんだよう!」
幸恵は叫びながらカッターナイフを振り回す。他の色の人形も切られるが、すぐに元に戻った。幸恵は大声で叫びながらカッターナイフを振り回す。床の物を蹴散らしたり壁にぶつかったりしたが、爆音の音楽にかき消された。
しばらくすると、幸恵がはあはあと肩で息をし始めた。振り回していた腕がだらりと下がる。五体の人形は幸恵の頭の周りを輪のように囲むと回り始めた。幸恵は虚ろな眼差しでその動きを追う。青・黄・赤・白・黒の色が目の前を巡っている。次第にそれが早くなり、一本の帯のようになった。幸恵はその動きから目が離せなくなった。が、しばらくするとふらふらとからだが揺れ、白目を剥いてその場に倒れてしまった。
次の日、幸恵は学校を休んだ。
昼休み、信子は百合子と屋上にいた。
「お母さんから聞いたんだけど、幸恵、部屋で気を失っていたんだって……」
「そうなの?」
「あまりに夜遅くまで音楽がうるさいから、注意をしようと思って部屋に行ったら、倒れてたんだって。全く意識が無くって、入院したんだって……」
「そう…… じゃあ、当分出てこないわね」
「そうね…… でも、大丈夫かしら……」
「百合子は優しいんだね」
「だって、幼馴染みだし……」
午後の開始のチャイムが鳴った。
「じゃ、また部活の後で」
「いえ、今日はすぐ帰るわ。幸恵の見舞いをしたいから……」
「本当に、百合子って優しいのね」
「あ、そうそう……」
「なあに?」
「昨日くれたお守り、幸恵が持ってっちゃったやつ。あれね、机の上にちゃんと置いてあったんだって。幸恵のお母さんが珍しいものがあるって思ったから覚えてたって。わたしのお母さんが言ってたわ」
「そうなの?」
「わたし、ばらばらにしちゃうって思ってたんだけど……」
「ひょっとしたら心入れ替えたのかもよ」
「そうだと良いけど……」
「じゃあさ、それ持ってお見舞いに行ったらいいんじゃない?」
「そうね、わたしと幸恵のやり直しの証しにするわ」
百合子は教室へ戻って行った。その後ろ姿には昨日のような淋しさは無かった。
「ふふふ…… 思った通りの運びになったわね。あの場じゃなくても、絶対あの不良が百合子から取り上げて持って帰るって思っていたから。……それにしても『五色の人形』ってすごいわ。仏様を表わす五色はやっぱり強力ね。あの不良が改心するまで、あの人形たちはずっと付きまとうから、覚悟しておくことね。……でも、あの不良の意識が戻って、目の前にあの人形があったら、また気を失うかな」
信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべた。
作者註:仏教の五色
青(緑)=仏陀の頭髪の色。心乱れず穏やかな状態の禅定(ゼンジョウ)「定根」を表わす
黄=仏陀の体の色。豊かな姿で確固とした揺ぎ無い「金剛(コンゴウ)」を表わす
赤=仏陀の血液の色。人々を救済しようとする慈悲心が止むことのない「精進(ショウジン)」を表わす
白=仏陀の歯の色。さまざまな悪行や煩悩を浄める清浄(ショウジョウ)を表わす
黒(紫)=仏陀の袈裟の色。侮辱や迫害に怒りを抑えて耐え忍ぶ「忍辱(ニンニク)」を表わす。
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