世界の主要国は共同で学者や技術者を総動員してオチラの撲滅を目的とした兵器の開発を行っていた。世論は軍事力も科学力もオチラには通じないのに無駄な事をしていると批判をした。
そして、その批判は世界の大都市での抗議デモと言う形で展開され、パリや北京では市民と当局とが衝突し流血の事態を招いた。また、ワシントンの抗議デモでは、そのさなかにオチラが現れ、多大な犠牲者と都市の破壊とがもたらされた。この惨状を知ったアメリカ大統領ピーター・アンドリュウは、オチラに向けて核ミサイルによる総攻撃を軍に命令しようとし、この狂気の命令を実行させまいとした副大統領のマイケル・ピートローに射殺されると言う前代未聞の事件が起こった。
この様な人類同士の争いに疲弊した人々は救いを宗教に求めた。オチラの出現によって生まれた「オチラ教」は、当初邪教扱いをされていたが、オチラが大聖堂や大寺院を破壊するごとに、既存の宗教の無力さに失望した人々の入信が相次ぎ、信者の数を増やして行った。
ただ、一人一教祖と言えるほど、相変わらず分裂分派を繰り返し「オチラ教」の名を冠しながらも、互いに優劣をつけたり、敵呼ばわりをしたりと、内紛が絶えなかった。
ついに「オチラ教」最大宗派「オチラ・カトリックス」の初代大法王に選出されたヘガテモリフェーラ一世は、武装したグループ「オチラの盾」を組織し、それら分派の掃討に乗り出した。分派の一掃が終わると、ヘガテモリフェーラ一世は「オチラ・カトリックスにあらざるものに救いなし」との教義を確立し、「オチラの盾」へ一般信者の参加を奨励し、さらに武装強化を図り、「布教と改宗」の名目で未信者への弾圧と既存の宗教への掃討を開始し始めた。
騒然とした世界情勢の中、生物学の分野で次代を担う逸材と評価されていた日本の大学生田中太郎は、オチラの出現時から生物学的興味を持ち、その生態の研究を続けていた。だが、東京に現れたオチラにより母校の大日本帝都総合大学を含む地域一帯が壊滅され、恩師や友人たちが死傷したのを期に、研究の内容はオチラ対策へと変わって行った。
田中は武器によってオチラを滅ぼすと言う世界の動きとは一線を画した方法をとった。それはオチラを地上に出させない手段の模索だった。オチラの生態も研究した田中は、オチラが地上に現れても何も捕食しない事に注目し、本来オチラは地上に出現する必要がないと結論づけていた。
田中は人の密集して住んでいる場所が被害を受けた地域である事、逆を言えば、人が疎らな砂漠や森林は被害を受けていない事を確認した。ただし、破壊された都市から人々が砂漠や森林に移住した場合は、ある程度の生活基盤が整った時点でオチラが出現していた。田中はオチラの出現には、人の密集と何がしかの生活サイクルが関係しているのではないかと推測した。
破壊された都市の状況を分析してみると、徹底して破壊された地域と、破壊の程度が少ない地域とがあった。さらに、破壊された都市を比較してみると、より大都市のほうが破壊の程度が大きい。国同士の比較でも、あちこちに出現しているように見えるオチラが一度も出現をしていない国があった。内戦状態の国や極端な発展途上の国がそれだった。
この事に果たしてオチラの意思が関わっているのか、それとも単なる偶然なのか、田中の模索はこの点に絞られて行った。
そして、ついに結論の出る時が来た。
次回「大怪獣オチラ 伍」の衝撃を待て!
そして、その批判は世界の大都市での抗議デモと言う形で展開され、パリや北京では市民と当局とが衝突し流血の事態を招いた。また、ワシントンの抗議デモでは、そのさなかにオチラが現れ、多大な犠牲者と都市の破壊とがもたらされた。この惨状を知ったアメリカ大統領ピーター・アンドリュウは、オチラに向けて核ミサイルによる総攻撃を軍に命令しようとし、この狂気の命令を実行させまいとした副大統領のマイケル・ピートローに射殺されると言う前代未聞の事件が起こった。
この様な人類同士の争いに疲弊した人々は救いを宗教に求めた。オチラの出現によって生まれた「オチラ教」は、当初邪教扱いをされていたが、オチラが大聖堂や大寺院を破壊するごとに、既存の宗教の無力さに失望した人々の入信が相次ぎ、信者の数を増やして行った。
ただ、一人一教祖と言えるほど、相変わらず分裂分派を繰り返し「オチラ教」の名を冠しながらも、互いに優劣をつけたり、敵呼ばわりをしたりと、内紛が絶えなかった。
ついに「オチラ教」最大宗派「オチラ・カトリックス」の初代大法王に選出されたヘガテモリフェーラ一世は、武装したグループ「オチラの盾」を組織し、それら分派の掃討に乗り出した。分派の一掃が終わると、ヘガテモリフェーラ一世は「オチラ・カトリックスにあらざるものに救いなし」との教義を確立し、「オチラの盾」へ一般信者の参加を奨励し、さらに武装強化を図り、「布教と改宗」の名目で未信者への弾圧と既存の宗教への掃討を開始し始めた。
騒然とした世界情勢の中、生物学の分野で次代を担う逸材と評価されていた日本の大学生田中太郎は、オチラの出現時から生物学的興味を持ち、その生態の研究を続けていた。だが、東京に現れたオチラにより母校の大日本帝都総合大学を含む地域一帯が壊滅され、恩師や友人たちが死傷したのを期に、研究の内容はオチラ対策へと変わって行った。
田中は武器によってオチラを滅ぼすと言う世界の動きとは一線を画した方法をとった。それはオチラを地上に出させない手段の模索だった。オチラの生態も研究した田中は、オチラが地上に現れても何も捕食しない事に注目し、本来オチラは地上に出現する必要がないと結論づけていた。
田中は人の密集して住んでいる場所が被害を受けた地域である事、逆を言えば、人が疎らな砂漠や森林は被害を受けていない事を確認した。ただし、破壊された都市から人々が砂漠や森林に移住した場合は、ある程度の生活基盤が整った時点でオチラが出現していた。田中はオチラの出現には、人の密集と何がしかの生活サイクルが関係しているのではないかと推測した。
破壊された都市の状況を分析してみると、徹底して破壊された地域と、破壊の程度が少ない地域とがあった。さらに、破壊された都市を比較してみると、より大都市のほうが破壊の程度が大きい。国同士の比較でも、あちこちに出現しているように見えるオチラが一度も出現をしていない国があった。内戦状態の国や極端な発展途上の国がそれだった。
この事に果たしてオチラの意思が関わっているのか、それとも単なる偶然なのか、田中の模索はこの点に絞られて行った。
そして、ついに結論の出る時が来た。
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