早田明は市立陽光中学校に通う二年生だ。
この年代の御多分に漏れず、正義と英雄と勇者とに憧れている。とは言え、そんな憧れが現実になるような場面など、日々の中にあるはずがない。まして、勉強も運動も中の下程度、見た目も冴えない明が、主人公になれるはずもない。だから、憧れは憧れとしてじっと胸に秘めておいた。
「おはよう! へっぴり明!」
明るく通る声で、登校途中に、明は必ずこう挨拶された。通りがかりの人たちは振り向く。声をかけて来るのは、幼馴染で同じクラスの伊藤くるみだ。
明は、くるみが苦手だった。幼稚園からずっといっしょだった。もちろん、他にも幼馴染の友達はいるのだが、その中でくるみはイヤなヤツだった。何かにつけて明を格下に見て来るからだ。
だが、それも仕方ないと明は思っている。
なぜなら、くるみは四字熟語を並べて表現すると、眉目秀麗、容姿端麗、才色兼備、明朗快活な女子なのだ。平凡を通り越して地味な明が太刀打ちできるわけが無かった。
せめて、関わらないで放っておいてくれれば良いのにと明は思うのだが、どうしてもそうは行かないらしい。そのせいで、周りの男子からは、くるみと仲が良いと思われて恨まれる。女子からは、くるみのおもちゃと思われて一緒になって格下扱いをされてしまう。
「へっぴり明」も、臆病な明をからかうために、くるみが付けたあだ名だ。小学二年生の時、下校時の道を一匹の蛇が横切り、それに驚いてぎゃあぎゃあ泣き叫んだのを、くるみにしっかり見られ、その翌日から呼ばれるようになったのだ。呼ばれた時は意味が分からなかったが、「へっぴり腰」という言葉を知ってから、屈辱と羞恥心とにさいなまれた。しかし、いくら頼んでも改まる事は無く、足掛け六年間呼び続けられているのだった。
とは言え、くるみは明を馬鹿にするだけではなく、何くれと世話を焼いてもくれる。明日はこれこれがあるから忘れないようにするのよ、とか、今日の何々の宿題はやったの、とか、明が「お前はオレの母親か!」と心の中で罵るほどに世話を焼きまくる。が、そのおかげで助かることも多い。その中で一番助かるのが、やはり勉強だ。テスト前には明の家に乗り込んできて、強引に「勉強会」を敢行する。しかも、学校の先生より分かりやすく教えてくれる。おかげで明の成績は悪くない。悪くないと言っても、常にトップのくるみとは比べようもないのだが。
今日も「へっぴり明」の挨拶の後、くるみは明の横に並んで歩く。通り過ぎる男子から、殺意に近い嫉妬の眼差しが、明に刺さりまくる。
「ねえ、今日のこと、知ってる?」
くるみは明の前に回り込み、明の顔を見上げて言った。明が唯一くるみに勝っているのは身長くらいだ。
「何かあるのか?」
「今日から新しい先生方が赴任してくるのよ。若い女の先生もいるんだって」
「へえ、知らなかった」
「男子の間じゃ、話題騒然よ! すんごい美人なんだって! ……ま、世間知らずのへっぴり明じゃ、知らなくて当然か」
そう言うと、くるみは笑った。
明は憮然とした表情で歩く。
つづく
この年代の御多分に漏れず、正義と英雄と勇者とに憧れている。とは言え、そんな憧れが現実になるような場面など、日々の中にあるはずがない。まして、勉強も運動も中の下程度、見た目も冴えない明が、主人公になれるはずもない。だから、憧れは憧れとしてじっと胸に秘めておいた。
「おはよう! へっぴり明!」
明るく通る声で、登校途中に、明は必ずこう挨拶された。通りがかりの人たちは振り向く。声をかけて来るのは、幼馴染で同じクラスの伊藤くるみだ。
明は、くるみが苦手だった。幼稚園からずっといっしょだった。もちろん、他にも幼馴染の友達はいるのだが、その中でくるみはイヤなヤツだった。何かにつけて明を格下に見て来るからだ。
だが、それも仕方ないと明は思っている。
なぜなら、くるみは四字熟語を並べて表現すると、眉目秀麗、容姿端麗、才色兼備、明朗快活な女子なのだ。平凡を通り越して地味な明が太刀打ちできるわけが無かった。
せめて、関わらないで放っておいてくれれば良いのにと明は思うのだが、どうしてもそうは行かないらしい。そのせいで、周りの男子からは、くるみと仲が良いと思われて恨まれる。女子からは、くるみのおもちゃと思われて一緒になって格下扱いをされてしまう。
「へっぴり明」も、臆病な明をからかうために、くるみが付けたあだ名だ。小学二年生の時、下校時の道を一匹の蛇が横切り、それに驚いてぎゃあぎゃあ泣き叫んだのを、くるみにしっかり見られ、その翌日から呼ばれるようになったのだ。呼ばれた時は意味が分からなかったが、「へっぴり腰」という言葉を知ってから、屈辱と羞恥心とにさいなまれた。しかし、いくら頼んでも改まる事は無く、足掛け六年間呼び続けられているのだった。
とは言え、くるみは明を馬鹿にするだけではなく、何くれと世話を焼いてもくれる。明日はこれこれがあるから忘れないようにするのよ、とか、今日の何々の宿題はやったの、とか、明が「お前はオレの母親か!」と心の中で罵るほどに世話を焼きまくる。が、そのおかげで助かることも多い。その中で一番助かるのが、やはり勉強だ。テスト前には明の家に乗り込んできて、強引に「勉強会」を敢行する。しかも、学校の先生より分かりやすく教えてくれる。おかげで明の成績は悪くない。悪くないと言っても、常にトップのくるみとは比べようもないのだが。
今日も「へっぴり明」の挨拶の後、くるみは明の横に並んで歩く。通り過ぎる男子から、殺意に近い嫉妬の眼差しが、明に刺さりまくる。
「ねえ、今日のこと、知ってる?」
くるみは明の前に回り込み、明の顔を見上げて言った。明が唯一くるみに勝っているのは身長くらいだ。
「何かあるのか?」
「今日から新しい先生方が赴任してくるのよ。若い女の先生もいるんだって」
「へえ、知らなかった」
「男子の間じゃ、話題騒然よ! すんごい美人なんだって! ……ま、世間知らずのへっぴり明じゃ、知らなくて当然か」
そう言うと、くるみは笑った。
明は憮然とした表情で歩く。
つづく
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