お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

鯉のぼり

2021年05月22日 | Weblog
 その地方の一寒村ではその昔、産まれた男の子の数だけ鯉のぼりを、それも真鯉を掲げたのだそうだ。それによってその家の繁栄を誇示することが目的だったらしい。しかも五月中一杯掲げ続けるのだそうだ。
 そうなると当然、子供がいないか、女の子しかいない家は鯉のぼりが掲げられない。そう言う家は、大分肩身の狭い思いをしていたのだそうだ。なので、男の子を養子に取ったり、女の子が成長し年頃になると婿を取ったりして、一匹でも鯉のぼりを掲げようとしたらしい。

 わたしはこの話を某雑誌で読んで、閉鎖的な田舎の、何とも言えないくらい差別的な風習にうんざりし、掲載されていた写真の、幾匹も真鯉を掲げている大きな家の主が誇らしげにしている姿に、嫌悪感が湧いたものだ。

 そんな事を思い出したのは、わたしは用事で、その寒村の近くまで行く事になったからだった。時期もちょうど五月の下旬だ。
 読んだ記事は、今から数十年前の出来事としての話だったが、今もそんな風習が残っているのだろうか? 
 わたしは俄然、興味が湧いた。用事を先に済ませ、その村へと向かった。

 山間の集落は、大分終わりかけていた。大きな古民家が点在しているが、人が住んでいるように見えない家もあった。朽ちて、新緑に覆われてしまった家も多い。それでも、鯉のぼりを掲げていたと思われる長い竿だけが立っている家はあった。だが、途中から折れてしまったり、錆びついた矢車が風が吹いても回らなかったりしている姿には心が痛んだ。

 そんな中、村はずれの古民家に掲げられている鯉のぼりを見つけた。竿の先端にはきらびやかな矢車が回り、太い紐に取り付けられた「神道の五色」と言われる青赤黄白紫の五色の吹き流しと、大きくて立派な黒染めの真鯉が一匹が、青い空を風に乗って悠々と泳いでいた。

 村を回って、唯一見つけた鯉のぼりだった。わたしが、その一匹だけの真鯉を見上げていると、その家から老人が出てきた。

「立派な真鯉ですね。」わたしは話しかけた。「昔はその家々の男の子の人数分を掲げてたと聞きましたが」
「ああ、その事かね……」老人はつまらなさそうに言った。「あれはもう昔の話だよ。あんたも見ただろう? もうほとんど人なんか住んじゃいない。家が途絶えたか、都会に越してったよ」
「そうなのですか……」わたしは鯉のぼりを見上げた。「では、ここの真鯉は? 男のお孫さんでも?」
「いいや、もう家はわしだけだ。息子夫婦や孫たちは都会に行ったっきりで、どれだけ顔を見てないか……」老人は都会のある西の方に唾を吐いた。「……この真鯉はな、わしだよ」
「と言いますと……」
「若者が皆都会に出て行ってしまってな。それで何時からか、鯉のぼりは残った爺共の数を表わす様になった」
「じゃあ、これはおじいさんを表わすと……」わたしはさらに訊ねた。「他の家には鯉のぼりが見られませんでしたが……」
「爺が死んじまったか、この村を離れていなくなったかって言うところだ」老人は鯉のぼりを見上げた。「……わしは村を離れるつもりは無いがな」
「……そうなんですか……」
「そう言う事だ」老人は頷く。「つまらん話だったな……」
 終始つまらなさそうな表情の老人に、わたしは礼を言って別れた。

 歴史とはこのように変わって行くものなのだろう。変わっていないのはこの村を囲む山並みくらいなのだろう。

 翌年、わたしはもう一度この村を訪れた。

 鯉のぼりは一匹も泳いでいなかった。

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