ノックの音がした。
連休初日、わたしのアパートで、ささやかな宴会をしていたわたしたち三人は動きが止まった。
「誰かしら?」わたしは座卓の目覚まし時計を見た。もう午前一時だ。「こんな時間に?」
「騒いでいたから、隣からのクレームかもよ」空手をやっている啓子が、指をぽきぽき鳴らしながら言う。「ま、変な男だったら任せてね」
「いや、両隣は連休で帰省しているからいないはずよ」
「じゃあ、幽霊かもよぉ……」冗談好きな由美子が、両手をだらりと垂らし幽霊の真似をしてわたしに寄ってくる。「文香、あんた、何か悪い事でもやったんでしょ?」
「わたしは騙されても、騙したりはしないわよ」
「じゃあ、誰かしらね?」
そう言うと、由美子は忍び足で玄関へ向かう。わたしの住むおんぼろアパートにはインターフォンが無く、ドアには覗き穴も無い。由美子はドアのすぐ前に立った。
「はい、どちら様でしょうか?」
由美子が声をかけ、それからわたしたちに振り返った。いたずらっ子な顔をしている。啓子が立ち上がり、由美子の後ろに向かう。何かあったらぶちのめすつもりのようだ。
「……昼間、あなたを見た時から、心が時めいてしまいました……」
玄関の扉越しに聞こえたのは、ちょっとたどたどしいけど誠実そうな男の人の声だった。
「あら、わたしは気が付かなかったわ……」
由美子がしおらしい声で言う。わたしの方を向いて、笑い声を出さないように口を手で覆っている。啓子もにやりと笑い握り拳を両手に作る。
「そうですか。ぼくにはそうは見えませんでした。じっと見つめ返してくれているとばかり……」
由美子と啓子がわたしを見る。わたしは首を左右に振る。そんな男の人を見かけた記憶は、全く無い。
「でも、わたし、好きな人がいるんです……」
由美子は警戒の表情で続ける。啓子の顔から笑みが消え、ぎりりと握り拳が音を立てる。
「でも、ぼくの方があなたを大切にできます。信じて下さい」
「いいえ、ダメですわ。諦めてお帰り下さい。今なら誰にも話しませんから……」
「そうは言っても、もうぼくは決めました」
突然、扉が軋り出した。
由美子が悲鳴を上げながら部屋に走って戻って来た。啓子は深呼吸をして空手の構えを取った。わたしは軋る扉を見つめるしかなかった。
めりめりと大きな音がして、扉が外されてしまった。そこには誰も居なかった。外の闇が、扉を外された間口から溢れてくる。
「待てぇ!」
啓子が勇敢にも外に飛び出して追いかけた。由美子は部屋の中で震えていた。わたしはとにかく外へ出た。わたしも臆病だったが、扉の弁償をさせてやろうと、訳の分からないことを考えたのかもしれない。
サンダルを突っかけて外に出た。啓子はどっちに行ったのかときょろきょろしていると、不意に強烈な光が照り付けてきた。
目を細めながら見ると、呆然として立っている啓子の向こう側に、高さが二メートルを超す人間のような手足の付いた扉が、玄関の扉を小脇に抱えて、光のすぐ手前に立っていた。そして、扉の上半分に、丸い目が二つと大きな口の顔があった。
「ふふふ、君は無口なんだねぇ……」それは言うと、抱えていた扉を顔の前に移動させ、扉が反り返るほどのキスをした。「ははは、恥ずかしがり屋さんだ。ますます気に入ったよ」
それは言うと光の中へと入って行った。光はそのまま宙へと飛び立ち、遥か空の彼方へと行ってしまった。
深夜の闇が戻って来た。
「……文香……」啓子の声が震えている。「あれって……」
「うん……」わたしは頷いた。喉がからからだった。「あれって、宇宙人だよ…… それも、扉型の……」
「……アパートの扉に恋したってこと?」
「そう…… らしいわね……」
「でもどうして? あれはただの扉よ?」
「ほら、言うじゃない、恋は盲目って……」
わたしと啓子は、いつまでも空を見上げていた。
連休初日、わたしのアパートで、ささやかな宴会をしていたわたしたち三人は動きが止まった。
「誰かしら?」わたしは座卓の目覚まし時計を見た。もう午前一時だ。「こんな時間に?」
「騒いでいたから、隣からのクレームかもよ」空手をやっている啓子が、指をぽきぽき鳴らしながら言う。「ま、変な男だったら任せてね」
「いや、両隣は連休で帰省しているからいないはずよ」
「じゃあ、幽霊かもよぉ……」冗談好きな由美子が、両手をだらりと垂らし幽霊の真似をしてわたしに寄ってくる。「文香、あんた、何か悪い事でもやったんでしょ?」
「わたしは騙されても、騙したりはしないわよ」
「じゃあ、誰かしらね?」
そう言うと、由美子は忍び足で玄関へ向かう。わたしの住むおんぼろアパートにはインターフォンが無く、ドアには覗き穴も無い。由美子はドアのすぐ前に立った。
「はい、どちら様でしょうか?」
由美子が声をかけ、それからわたしたちに振り返った。いたずらっ子な顔をしている。啓子が立ち上がり、由美子の後ろに向かう。何かあったらぶちのめすつもりのようだ。
「……昼間、あなたを見た時から、心が時めいてしまいました……」
玄関の扉越しに聞こえたのは、ちょっとたどたどしいけど誠実そうな男の人の声だった。
「あら、わたしは気が付かなかったわ……」
由美子がしおらしい声で言う。わたしの方を向いて、笑い声を出さないように口を手で覆っている。啓子もにやりと笑い握り拳を両手に作る。
「そうですか。ぼくにはそうは見えませんでした。じっと見つめ返してくれているとばかり……」
由美子と啓子がわたしを見る。わたしは首を左右に振る。そんな男の人を見かけた記憶は、全く無い。
「でも、わたし、好きな人がいるんです……」
由美子は警戒の表情で続ける。啓子の顔から笑みが消え、ぎりりと握り拳が音を立てる。
「でも、ぼくの方があなたを大切にできます。信じて下さい」
「いいえ、ダメですわ。諦めてお帰り下さい。今なら誰にも話しませんから……」
「そうは言っても、もうぼくは決めました」
突然、扉が軋り出した。
由美子が悲鳴を上げながら部屋に走って戻って来た。啓子は深呼吸をして空手の構えを取った。わたしは軋る扉を見つめるしかなかった。
めりめりと大きな音がして、扉が外されてしまった。そこには誰も居なかった。外の闇が、扉を外された間口から溢れてくる。
「待てぇ!」
啓子が勇敢にも外に飛び出して追いかけた。由美子は部屋の中で震えていた。わたしはとにかく外へ出た。わたしも臆病だったが、扉の弁償をさせてやろうと、訳の分からないことを考えたのかもしれない。
サンダルを突っかけて外に出た。啓子はどっちに行ったのかときょろきょろしていると、不意に強烈な光が照り付けてきた。
目を細めながら見ると、呆然として立っている啓子の向こう側に、高さが二メートルを超す人間のような手足の付いた扉が、玄関の扉を小脇に抱えて、光のすぐ手前に立っていた。そして、扉の上半分に、丸い目が二つと大きな口の顔があった。
「ふふふ、君は無口なんだねぇ……」それは言うと、抱えていた扉を顔の前に移動させ、扉が反り返るほどのキスをした。「ははは、恥ずかしがり屋さんだ。ますます気に入ったよ」
それは言うと光の中へと入って行った。光はそのまま宙へと飛び立ち、遥か空の彼方へと行ってしまった。
深夜の闇が戻って来た。
「……文香……」啓子の声が震えている。「あれって……」
「うん……」わたしは頷いた。喉がからからだった。「あれって、宇宙人だよ…… それも、扉型の……」
「……アパートの扉に恋したってこと?」
「そう…… らしいわね……」
「でもどうして? あれはただの扉よ?」
「ほら、言うじゃない、恋は盲目って……」
わたしと啓子は、いつまでも空を見上げていた。
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