周囲の人々は、少しずつ二人を中心にした輪を拡げ始めた。危険を感じたからだった。流れる空気が風を生み、拡がる人々の間を抜けて吹いている。
にらみ合っている逸子と洋子の右手が同時にぴくりと動いた。
――始まる! 誰もがそう思った時、右手に試験管を持ったまま、清水が歩き出した。ふわっとした黒のスカートはまったく動かず、まるで床の上を滑っているようだ。その不思議な歩き方に自然と人々の視線が清水に集まったが、清水は気にもしていない。
清水は、逸子と洋子に目だけ笑っていない笑顔を交互に向け、二人の間を通り抜けた。逸子も洋子も構えを解き、清水の動きを追う。
清水の歩みが止まった。足元に、時折でへ付いているコーイチがいた。清水は床に正座した。膝先にコーイチの横顔がある。清水は愛おしそうな表情でじっとコーイチの顔を覗き込んでいた。と、突然、左手を伸ばし、コーイチの鼻を鷲づかみにした。
でへついていたコーイチだったが、しばらくするとふがふがと鼻を鳴らし、苦しそうに身をよじり始めた。清水は構わずに鼻を押さえつけている。コーイチは「ぷふぁあ」と息を洩らしながら口を開けた。
それを見て、清水は試験管のコルク栓を口にくわえ、ポンと音を立てて引き抜いた。強烈な甘い香りが瞬く間に広がった。
清水はコーイチの鼻を引っ張り出した。つられて口を開けたままのコーイチの頭が床から上がる。上がった頭を清水の腿に置く。高めの枕の頭を乗せたように首が大きく曲がっている。
清水は子供が理科実験をしている時のような楽しげな表情で、右の親指で蓋をした試験管を、コーイチの開いている口の上まで運んだ。それから、試験管を逆さまにして、親指を放し、中の液体を口に流し込んだ。試験管を振り、最後の一滴まで流し込むと、空になった試験管を床に置いた。そして、空いた右手を優しくコーイチの顎に添えた。しばらくそのままでいたが、不意に力を入れ、コーイチの口を閉ざした。
鼻と口を閉ざされたコーイチは、清水特製回復薬を口いっぱいに含み頬を膨らませていたが、もごもげもがと喉で奇妙な音を立て、頬の膨らみを減らして行った。頬の膨らみが無くなり、コーイチが薬を飲みきったのを確認した清水は、両手を離して立ち上がった。腿から滑り落ちたコーイチの頭が、ごつんと音を立てて床にぶつかった。
この一連の清水の行動を人々(逸子も洋子も含めて)は、正に魔法にかかったように無言で見つめていた。
「清水さん!」逸子が魔法が解けたように、清水に向かって叫んだ。「回復薬、口移しじゃないと効かないんじゃなかったんですか?」
「そうですよ!」洋子も叫ぶ。「そのためにわたしたち闘おうとしていたんじゃないですか!」
「うふふふふ・・・」清水は目だけ笑っていない笑顔を二人に返した。「実はお二人さんの責任感の深さを験させてもらったのよ。悪く思わないでね」
「そんなぁ・・・」逸子が呆れたような声を出した。「じゃあ、口移しだの、生命力が減るだのって、嘘だったんですか・・・」
「うふふふふ・・・ でも、お二人さん、それでも構わないって感じだったじゃない。責任感の深さは見上げたものね」清水は言いながら、意味ありげな視線を洋子に向けて続けた。「・・・責任感の深さだけじゃなく、愛情の深さもね・・・」
洋子があわてて言い返そうとした時、
「がほげほぐほだほ、ぐおげごうごばご、だはだほだほ!」
と、激しくむせたような咳をしながら、コーイチがむっくりと上半身を起こした。
つづく
いつも熱い拍手、感謝しておりまするぅ
(来年の公演は二、三月! チケット取れるといいですね! 取れたら教えて下さいね!)
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にらみ合っている逸子と洋子の右手が同時にぴくりと動いた。
――始まる! 誰もがそう思った時、右手に試験管を持ったまま、清水が歩き出した。ふわっとした黒のスカートはまったく動かず、まるで床の上を滑っているようだ。その不思議な歩き方に自然と人々の視線が清水に集まったが、清水は気にもしていない。
清水は、逸子と洋子に目だけ笑っていない笑顔を交互に向け、二人の間を通り抜けた。逸子も洋子も構えを解き、清水の動きを追う。
清水の歩みが止まった。足元に、時折でへ付いているコーイチがいた。清水は床に正座した。膝先にコーイチの横顔がある。清水は愛おしそうな表情でじっとコーイチの顔を覗き込んでいた。と、突然、左手を伸ばし、コーイチの鼻を鷲づかみにした。
でへついていたコーイチだったが、しばらくするとふがふがと鼻を鳴らし、苦しそうに身をよじり始めた。清水は構わずに鼻を押さえつけている。コーイチは「ぷふぁあ」と息を洩らしながら口を開けた。
それを見て、清水は試験管のコルク栓を口にくわえ、ポンと音を立てて引き抜いた。強烈な甘い香りが瞬く間に広がった。
清水はコーイチの鼻を引っ張り出した。つられて口を開けたままのコーイチの頭が床から上がる。上がった頭を清水の腿に置く。高めの枕の頭を乗せたように首が大きく曲がっている。
清水は子供が理科実験をしている時のような楽しげな表情で、右の親指で蓋をした試験管を、コーイチの開いている口の上まで運んだ。それから、試験管を逆さまにして、親指を放し、中の液体を口に流し込んだ。試験管を振り、最後の一滴まで流し込むと、空になった試験管を床に置いた。そして、空いた右手を優しくコーイチの顎に添えた。しばらくそのままでいたが、不意に力を入れ、コーイチの口を閉ざした。
鼻と口を閉ざされたコーイチは、清水特製回復薬を口いっぱいに含み頬を膨らませていたが、もごもげもがと喉で奇妙な音を立て、頬の膨らみを減らして行った。頬の膨らみが無くなり、コーイチが薬を飲みきったのを確認した清水は、両手を離して立ち上がった。腿から滑り落ちたコーイチの頭が、ごつんと音を立てて床にぶつかった。
この一連の清水の行動を人々(逸子も洋子も含めて)は、正に魔法にかかったように無言で見つめていた。
「清水さん!」逸子が魔法が解けたように、清水に向かって叫んだ。「回復薬、口移しじゃないと効かないんじゃなかったんですか?」
「そうですよ!」洋子も叫ぶ。「そのためにわたしたち闘おうとしていたんじゃないですか!」
「うふふふふ・・・」清水は目だけ笑っていない笑顔を二人に返した。「実はお二人さんの責任感の深さを験させてもらったのよ。悪く思わないでね」
「そんなぁ・・・」逸子が呆れたような声を出した。「じゃあ、口移しだの、生命力が減るだのって、嘘だったんですか・・・」
「うふふふふ・・・ でも、お二人さん、それでも構わないって感じだったじゃない。責任感の深さは見上げたものね」清水は言いながら、意味ありげな視線を洋子に向けて続けた。「・・・責任感の深さだけじゃなく、愛情の深さもね・・・」
洋子があわてて言い返そうとした時、
「がほげほぐほだほ、ぐおげごうごばご、だはだほだほ!」
と、激しくむせたような咳をしながら、コーイチがむっくりと上半身を起こした。
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