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ジェシル、ボディガードになる 101

2021年04月29日 | ジェシル、ボディガードになる(全175話完結)
 ケレスは腕の力を緩めた。ジェシルのからだが滑り落ちた。床にうつぶせで倒れた。
 ノラが試合場へ上がろうとする。
「待った!」ミルカがノラに声をかける。「上がっちゃいけないわ!」
「でも、ミルカさん!」ノラが振り返りミルカを見上げる。悔し涙なのだろう、両頬が濡れている。「ジェシルさんが、ジェシルさんが!」
「でもね、マネージャーちゃん。まだカウントが終わっていないわ。今あなたが上がると、ジェシルは失格になるわよ」
「……あ……」ノラは言われて気が付いたようだ。ノラは全身の力が抜けたのか、その場に座り込んでしまった。目だけジェシルに向けている。「……ジェシルさん……」
 ジェシルはうつ伏せたまま動かない。ケレスはジェシルを見下ろしている。
 審判がカウントを数えはじめた。会場に審判のカウントする声だけが響く。
「ジェシルさん! 起きて下さいよう!」
 ノラは叫ぶが、ジェシルは全く反応しない。
 審判のカウントが「ファイブ」まで進んだ時だった、ケレスが試合場から降りた。場内がざわめく。
「ちょっと、ケレス!」ミルカが慌てる。カウント途中で試合場から離れる事は、失格を意味していた。それを知らないケレスではない。「あなた、まだカウント中じゃない! あとちょっとだったじゃない! どうするのよ! 何を考えているのよ!」
 しかし、ケレスは不機嫌な顔でミルカを睨みつけると、無言のまま会場を出て行った。
 突然のケレスの行動で止まっていたカウントを、審判は続けた。ジェシルは動く気配が無い。カウントは「テン」と告げられた。
「……両者、失格!」
 審判は宣言する。場内に歓声とは違う、異様な叫びのような声が上がった。
「医療班!」
 審判の声に、医療班数名とロボ・ストレッチャーが試合場に上がった。ノラも上った。ミルカはカメラとコンピューターを床に置いて、会場から出て行ったケレスを目で追っている。
「ジェシルさん! ジェシルさん! 起きて下さいよう!」
 ノラが泣きながら、うつ伏せているジェシルに声を掛ける。からだに触ろうとすると、医療班に止められた。医療班の一人がジェシルを診察する。首を左右に振った。ロボ・ストレッチャーからアームが伸び、ジェシルのからだを乗せると、会場外へと移動を始めた。医療班がその後に続く。
 その後を追うノラの肩をミルカが押さえた。ノラがミルカを見上げる。今、ノラの頬を伝っている涙は、悔し涙ではなかった。
「マネージャーちゃん、ここからは医療班の受け持ちよ」ミルカは穏やかな声で言う。「わたしたち素人は行けないわ……」
「でも……」
「ジェシルだって、こんな姿をあなたに見られたくないでしょ?」
「だって、医療班の人、頭を左右に振って……」
「あれは、ここじゃ処置できないって事よ」
「……と言う事は、重傷か、あるいは……」
「そんな最悪な事にはならないと思うわよ。多分、おそらく……」
 それを聞いたノラは、ミルカの胸に顔を埋めると、わあわあと泣き出した。ミルカはノラの背を優しく撫でる。ノラは声が嗄れるまで泣き続けた。
 その間中、ミルカは通路を見ていた。すでにケレスの姿は無い。部屋に戻ったのだろう。
「それにしても、ケレスが気になるわね……」ミルカはつぶやく。「あのまま立っていたら勝てたのに」
「……そうですよね……」落ち着いてきたノラは鼻をすんすん鳴らしながらミルカを見上げて、うなずく。「……ケレスさん、不機嫌な顔でした……」
「いつもなら、両拳を高々と突き上げて、勝利のアピールをするのよ。観客もそれを見て歓声を上げたものよ。それが、どうしたのかしらねぇ……」
「勝ち方が不本意だったとか……」
「それは武道家たちの話よ」ミルカが言う。その言い方に侮蔑の響きがある。「己の業を極める修行をしている連中には、そんなこだわりがあるのかもしれないけどね。わたしやケレスのような傭兵って、生きるか死ぬかが問題なの。つまりね、勝てば良いの。勝ち方なんか気にしちゃいないわ」
「じゃあ、ケレスさん、何であんな不機嫌な……」
「それは本人に聞いてみなくちゃ、分からないわね」
 ミルカは言うと、床に置いた機材を拾い上げた。ノラはそんなミルカの様子を見ている。
「今日の配信はおしまいね」ミルカは言う。「ケレスに訊いてみるわ。長年の戦友として気になるから」
「……じゃあ、わたしも行きます」
「いえ、あなたはここに居てちょうだい。そして、ジェシルの状況を聞いておいてほしいの」
「わたしもケレスさんに訊きたいですぅ……」
「あのね、傭兵には傭兵にしか話せない事がるのよ。マネージャーちゃんの前じゃ話せないような、ね」
「……分かりました。じゃあ、ミルカさんも後で教えて下さい」
「ええ、良いわ」
 ミルカは言うと会場を出た。
「わたしたち傭兵が、不機嫌になる理由で一番考えられるのは……」ミルカは通路を歩きながらつぶやく。「プライドを傷つけられた時かしらねぇ……」

つづく

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