涙で滲んだ風景の中で、妖介が面倒くさそうに振り返る姿が見えた。
「妖介さん! お願い! 助けてよう!」
葉子はしゃがみ込んだ。懇願するような表情で妖介を見つめる。妖介は葉子に目をやらず、背後に浮かんだ黒い靄を見つめている。それから、わざとらしくのろのろと葉子の方へと歩み寄った。・・・何やってるのよう! 早く助けてよう! 妖魔が出てくるのよう!
背後の妖魔の気配が拡がってきた様に感じる。妖介からはその様子が見て取れるはずなのに、相変わらず歩みは遅い。そればかりか、口元にはあの犬歯をむき出しにした笑みが浮かんでいる。
・・・助けてくれる気がないんだ! 葉子の背筋の悪寒が走った。涙が止まった。
妖介は少し離れた所で立ち止まった。しゃがみ込んでいる葉子を見下ろしている。
「おい、しゃがみ込んでいたら、ヤツに喰われるだけだぞ」笑いを含んだ声だった。「お前が招いたんだ。お前が何とかするんだな」
妖介は言うと背中に右手を回し、棒のままの『斬鬼丸』を葉子に向けて抛った。『斬鬼丸』は舗装道路の上を乾いた音を立てながら転がり、葉子の前で止まった。
『斬鬼丸』を目の前にして、葉子はアパートを出る前の妖介を思い出した。先端を靄に向け、気合と共に『斬鬼丸』から青白く細長い光を伸ばし、靄に突き刺し霧散させた。
「そうだ。早く拾って刀身を延ばし、ヤツが出てくる前にあの中にぶち込むんだ」妖介が言った。葉子が顔を上げると、馬鹿にした笑顔がその顔に貼り付いている。「さっさとしないと、公園での二の舞だぜ・・・」
葉子は妖介を睨みつけた。・・・この人、楽しんでいる! 何て人なの!
「おい、オレを怨むと、ヤツが強くなって手に負えなくなるぜ」
・・・そうだった! 私の悪い心を感じ取ってしまうんだった!
「深呼吸でもしたらどうだ? まだ形が現れていない」
・・・うるさいわね! あっ、いけないわ。落ち着かなければ・・・ 葉子は深呼吸を繰り返した。気持ちが少し落ち着いた。おそるおそる振り返る。
先ほどより靄は小さくなっているようだった。まだ妖魔が姿を現わす気配は無い。
葉子は靄に、両手で握った『斬鬼丸』と顔とを向けた。
・・・お願い、刀身を出して!
しかし、『斬鬼丸』に変化は見られない。
・・・どうして? どうして出ないのよう! 葉子の心に苛立ちが生じた。
「苛つくと、出てくるぜ・・・」妖介のからかう声が後ろからする。さらに感情が昂ぶる。それにつれて靄が拡がる。不意に真剣な声が続いた。「周りに振り回されるな。自分を流されないようにしろ。お前はもう妖魔と敵対する者になっているんだ。自覚しろ」
・・・散々私を振り回しておいて、妖魔と敵対する者だと自覚しろ、ですって? 靄はさらに拡大する。葉子は靄をじっと見つめた。感情がまた昂ぶる。だが、今度は矛先が違った。・・・元々、妖魔なんかいるから、こんな目に遭うんだわ! 妖魔がいるから、こんなイヤなヤツと一緒にいなければならないんだわ! 妖魔がいるから、仕事もなくしたし、食事もできなかったんだわ!
『斬鬼丸』の先から青白い光がうっすらと現われた。
「今だ、気合を入れろ!」
妖介の声に押されるように、葉子の口が開いた。
「はぁーっ!」
裂帛の気合が葉子の口から轟いた。青白い光は刀身となって靄まで伸び、その中心に突き刺さった。靄は霧散した。
・・・やったあ! 気持ちが晴れた。すると、刀身は縮み、『斬鬼丸』は木の棒に戻った。葉子は振り返った。妖介は若い女と話をしていた。女は不安そうな顔で葉子を見ている。
「・・・気にする事はない。妹はちょっと変わっているんでね・・・」妖介は女に話している。「自分が剣士で悪いヤツを退治している気になっているんだ」
「そうなんですか。お兄さんも大変ですね・・・」
女は言うと、葉子を遠巻きにしながら去って行った。
つづく
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「妖介さん! お願い! 助けてよう!」
葉子はしゃがみ込んだ。懇願するような表情で妖介を見つめる。妖介は葉子に目をやらず、背後に浮かんだ黒い靄を見つめている。それから、わざとらしくのろのろと葉子の方へと歩み寄った。・・・何やってるのよう! 早く助けてよう! 妖魔が出てくるのよう!
背後の妖魔の気配が拡がってきた様に感じる。妖介からはその様子が見て取れるはずなのに、相変わらず歩みは遅い。そればかりか、口元にはあの犬歯をむき出しにした笑みが浮かんでいる。
・・・助けてくれる気がないんだ! 葉子の背筋の悪寒が走った。涙が止まった。
妖介は少し離れた所で立ち止まった。しゃがみ込んでいる葉子を見下ろしている。
「おい、しゃがみ込んでいたら、ヤツに喰われるだけだぞ」笑いを含んだ声だった。「お前が招いたんだ。お前が何とかするんだな」
妖介は言うと背中に右手を回し、棒のままの『斬鬼丸』を葉子に向けて抛った。『斬鬼丸』は舗装道路の上を乾いた音を立てながら転がり、葉子の前で止まった。
『斬鬼丸』を目の前にして、葉子はアパートを出る前の妖介を思い出した。先端を靄に向け、気合と共に『斬鬼丸』から青白く細長い光を伸ばし、靄に突き刺し霧散させた。
「そうだ。早く拾って刀身を延ばし、ヤツが出てくる前にあの中にぶち込むんだ」妖介が言った。葉子が顔を上げると、馬鹿にした笑顔がその顔に貼り付いている。「さっさとしないと、公園での二の舞だぜ・・・」
葉子は妖介を睨みつけた。・・・この人、楽しんでいる! 何て人なの!
「おい、オレを怨むと、ヤツが強くなって手に負えなくなるぜ」
・・・そうだった! 私の悪い心を感じ取ってしまうんだった!
「深呼吸でもしたらどうだ? まだ形が現れていない」
・・・うるさいわね! あっ、いけないわ。落ち着かなければ・・・ 葉子は深呼吸を繰り返した。気持ちが少し落ち着いた。おそるおそる振り返る。
先ほどより靄は小さくなっているようだった。まだ妖魔が姿を現わす気配は無い。
葉子は靄に、両手で握った『斬鬼丸』と顔とを向けた。
・・・お願い、刀身を出して!
しかし、『斬鬼丸』に変化は見られない。
・・・どうして? どうして出ないのよう! 葉子の心に苛立ちが生じた。
「苛つくと、出てくるぜ・・・」妖介のからかう声が後ろからする。さらに感情が昂ぶる。それにつれて靄が拡がる。不意に真剣な声が続いた。「周りに振り回されるな。自分を流されないようにしろ。お前はもう妖魔と敵対する者になっているんだ。自覚しろ」
・・・散々私を振り回しておいて、妖魔と敵対する者だと自覚しろ、ですって? 靄はさらに拡大する。葉子は靄をじっと見つめた。感情がまた昂ぶる。だが、今度は矛先が違った。・・・元々、妖魔なんかいるから、こんな目に遭うんだわ! 妖魔がいるから、こんなイヤなヤツと一緒にいなければならないんだわ! 妖魔がいるから、仕事もなくしたし、食事もできなかったんだわ!
『斬鬼丸』の先から青白い光がうっすらと現われた。
「今だ、気合を入れろ!」
妖介の声に押されるように、葉子の口が開いた。
「はぁーっ!」
裂帛の気合が葉子の口から轟いた。青白い光は刀身となって靄まで伸び、その中心に突き刺さった。靄は霧散した。
・・・やったあ! 気持ちが晴れた。すると、刀身は縮み、『斬鬼丸』は木の棒に戻った。葉子は振り返った。妖介は若い女と話をしていた。女は不安そうな顔で葉子を見ている。
「・・・気にする事はない。妹はちょっと変わっているんでね・・・」妖介は女に話している。「自分が剣士で悪いヤツを退治している気になっているんだ」
「そうなんですか。お兄さんも大変ですね・・・」
女は言うと、葉子を遠巻きにしながら去って行った。
つづく
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