お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

妖魔始末人 朧 妖介  32

2009年05月09日 | 朧 妖介(全87話完結)
 エリが目覚めた気配に気が付いたのか、妖介は目を覚まし、無言のまま見つめた。やや銀色がかった瞳がカーテン越しに差し込む朝日に光った。初対面の妖介にエリは恐怖を覚える事は無かった。ゆるゆるとベッドから起き出す。パジャマは原型を成していなかった。うっすらと膨らんだ胸と柔らかそうな腹に、爪で引っ掛かれたような傷が数本刻まれている。・・・あの変なヤツがいたのは、夢じゃなかったんだ! エリはそこで初めて恐怖を覚えた。
 妖介は左手を伸ばし、手の平をエリの傷にかざした。温かく、安らぐような感覚だった。覚えた恐怖が打ち寄せた後の波のように退いて行く。
「傷が消えちゃったわ」エリは胸から腹にかけて撫で下ろして見せる。「お姉さんもそんな経験をしたんでしょ?」
「・・・ええ、そうだったわ・・・」
 葉子は朝の事を思い出していた。飛びつかれた妖魔に乳房を引き千切られそうになりながら、乳首に甘い刺激を覚えた。昔の恋人、幸久の荒々しい行為を、苦痛と快感を一緒にもたらす行為を・・・
「馬鹿女! 淫乱女! 死にたいのか!」
 突然言われて、葉子は我に返った。エリがニタニタしながら葉子を見据えている。・・・そうだった、この娘、心が読めるんだったわ。
「妖介にそう言われたでしょう?」エリが大きな溜息を付いて背もたれに寄りかかる。「お姉さん、昼真っから、変なこと考えないでね。お姉さんの経験はうら若き乙女には刺激が強すぎるんだから!」
「・・・」
 葉子は恥ずかしそうに下を向いてしまった。
「でね、妖介はその後わたしの肩に手を置いたわ」葉子の様子に構う事なくエリは話し続ける。「それで、わたしは全てが分かったの。妖魔の事も、父親の事も・・・ 妖介もわたしの事がわかったんじゃないかな? 『着替えたらついて来い、ここはもう危険だ』そう言って先に部屋を出て行ったわ。わたしはそれに従った。それからはずうっと一緒なの。一緒に妖魔の始末をしてるのよ」
 驚いて葉子は顔を上げた。エリは屈託無く笑っている。
「お母さんの所には行かなかったの?」葉子は言う。エリは不思議そうな顔を返す。「それに、いなくなったりしたら、捜索願とかが警察に出されるんじゃないの?」
「母親は別の男の人と別の土地で生活していたし・・・」エリはまたカレーを食べた。「・・・親戚は父親がわたしをつれて夜逃げしたと思ったみたいで、厄介払いが出来たって、探しもしなかったわ」
「・・・そう・・・」
 葉子は答えに困ってしまった。そして不思議だった。こんな目に遭っているのに・・・
「それは定めだからじゃないかな?」
 エリが言った。・・・定め、か。そう言えば、わたしも同じ事を言われたわ。
「いよう、姉ちゃんたち!」
 不意に声をかけられた。テーブルにいかにもその筋と分かるいでたちの若い男が歩み寄ってきた。まだ昼前なのに酔っている。両手をテーブルに付くと下品な声で笑った。息が酒臭い。・・・うわっ、マルヤだわ! 葉子は顔をそむけた。 
「どうだい? あっちで仲良くしないかい?」男は反対側の壁の末席を指差した。別の男がこちらを見ていた。「話し相手が欲しいって言われたもんでね。特にこのお嬢ちゃんが気に入ったようなんでね」
 男は言うと、エリの白い腕に手をかけた。エリは男の顔を見て、いきなり笑い出し、大声を出した。
「まあ! あなた、あの『アニキ』が恐いのね。言うことを聞けなかったら、半殺しにされちゃうんだ。まだひびの入った肋骨が痛いのよね。気の毒ねぇ・・・ あんな『クソ野郎』が目上だなんてさ!」
「な、なんだとぉ!」男はエリの腕を離し、睨みつけ、大声で怒鳴った。「くだらねぇでたらめをぬかすんじゃねぇ、この子娘がぁ!」
「それに・・・」エリはわざとらしく鼻を摘んでみせた。「酒の勢いを借りなきゃ、何にも出来ない弱虫さんなのね。自分がしっかりしてないからこんな世界に入っちゃったと後悔してるんだけど、抜けるとなると命が無いもんね。あのアニキって人、強烈なサディストだしねぇ・・・ ああ、恐い!」
 最後はわざとらしく両頬を両手で包んで見せた。しかし、その目には楽しんでいるような光が湛えられたいる。・・・なによう、この娘! どうするつもりなのよう!
 葉子はおろおろとまわりを見た。まわりに座っていた客たちはそそくさと席を立ち、店を出て行く。
 店の人も見えなかった。奥に引っ込んだようだ。災いが過ぎ去るのを息を殺して待っているのだろう。
 奥の席にいた男が立ち上がった。まだ距離があるのに、殺伐とした殺気が伝わってくる。
「ど、どうするのよう!」葉子がついに泣き声で言った。「誰も助けてくれないわよう!」
「あら、お姉さん、こんな子供にすがるわけぇ?」エリがおどけた風に言った。それからウィンクして続けた。「心配ないわよ、お姉さん」


      つづく



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