朝から雨が降っていた。
傘を目深にかぶった侍が黙々と歩いている。左の腰に大小を下げ、茶色の袴姿で大股で歩いている。傘を左手に持っているのは、いつでも抜刀できる気構えの現われか。
昼時と言うのに人気の少ない郊外の道は、雨もあって益々淋しい。
しかし、その侍は気にする事無く歩いている。
と、背後が何やら騒がしい。侍は足を止める。
「お助け下さいまし!」
女の切迫した声がする。それに被るように男たちの怒号がする。
振り返った侍の胸に娘が飛び込んできた。雨具も無く、全身が濡れそぼった娘は、その身形から町人と見えた。着物は背中まで泥で汚れている。相当の距離を走ったものと見える。息も絶え絶えだった。
追いついた男たちは、これもどこぞの藩の者たちの様だ。皆、深胴笠を被っている。胸に与かった女をそのままにした侍をぐるりと遠まわしに囲んだ。中の一人が前に出て、左手で笠の面を上げた。この者たちの上役らしい白髪交じりの年長者だった。
「これはとんだご迷惑をお掛けした。我ら、故在って素姓は明かせぬが、さる藩の江戸屋敷詰めの者でござる」年長者は人懐こい笑みを浮かべ、一礼する。「そこな娘、我が藩に害を及ぼした故に取り押さえようとしたところ、逃げ出しましてな。まあ、逃げ足の速い女で、やっと追いついたところでござる。……ささ、こちらへお渡しを」
「嘘です! わたくしは何もしておりません!」娘の言葉遣いから、良家の娘と知れる。「お助け下さいまし! お願いいたします!」
「ふん、嘘つきな女狐め!」年長者が毒づく。「……そこもとも、斯様な女狐に関わるは恥となりましょうぞ。ささ、こちらへお渡しを……」
侍は無言で娘の手首を右手でつかんだ。娘は恐怖と後悔とで顔を強張らせる。年長者は安堵の笑みを浮かべる。しかし、侍は娘を自身の右横へと置き、左手に持った傘を掛けてやる。侍の左肩が濡れる。
「そこもと、何をお考えか!」年長者が一喝する。表情が怒りに満ちている。「申した通り、そやつは我が藩に害する者。お返し頂けぬとならば……」
この言葉を合図に男たちが一斉に抜刀する。侍は手にした傘を娘の手に渡した。娘は思わず傘の腰巻の部分を握る。
「……この娘の震えは本物です。同じ女として、放っておくわけにはいきません」
凛とした声とともに、侍は傘から出た。黄色の着物に茶色の袴、長い黒髪を束ねて背の中ほどまで垂らした、整った顔立ちの細身の若い侍だった。
「荒木田みつ、お相手致しましょう」
みつは刀を抜くと刃を返し、峰討ちの姿勢を取る。
つづく
作者註:皆様お気づきと存じますが、「霊感少女 さとみ 2 学校七不思議の怪」の各章の間に気分転換で掌編を挟んでいます。前回の豆蔵編と今回のみつ編とに、偉そうに「外伝」などと付けてみました。まあ、わたしのお遊びでございます。お目こぼし下さいませ。
傘を目深にかぶった侍が黙々と歩いている。左の腰に大小を下げ、茶色の袴姿で大股で歩いている。傘を左手に持っているのは、いつでも抜刀できる気構えの現われか。
昼時と言うのに人気の少ない郊外の道は、雨もあって益々淋しい。
しかし、その侍は気にする事無く歩いている。
と、背後が何やら騒がしい。侍は足を止める。
「お助け下さいまし!」
女の切迫した声がする。それに被るように男たちの怒号がする。
振り返った侍の胸に娘が飛び込んできた。雨具も無く、全身が濡れそぼった娘は、その身形から町人と見えた。着物は背中まで泥で汚れている。相当の距離を走ったものと見える。息も絶え絶えだった。
追いついた男たちは、これもどこぞの藩の者たちの様だ。皆、深胴笠を被っている。胸に与かった女をそのままにした侍をぐるりと遠まわしに囲んだ。中の一人が前に出て、左手で笠の面を上げた。この者たちの上役らしい白髪交じりの年長者だった。
「これはとんだご迷惑をお掛けした。我ら、故在って素姓は明かせぬが、さる藩の江戸屋敷詰めの者でござる」年長者は人懐こい笑みを浮かべ、一礼する。「そこな娘、我が藩に害を及ぼした故に取り押さえようとしたところ、逃げ出しましてな。まあ、逃げ足の速い女で、やっと追いついたところでござる。……ささ、こちらへお渡しを」
「嘘です! わたくしは何もしておりません!」娘の言葉遣いから、良家の娘と知れる。「お助け下さいまし! お願いいたします!」
「ふん、嘘つきな女狐め!」年長者が毒づく。「……そこもとも、斯様な女狐に関わるは恥となりましょうぞ。ささ、こちらへお渡しを……」
侍は無言で娘の手首を右手でつかんだ。娘は恐怖と後悔とで顔を強張らせる。年長者は安堵の笑みを浮かべる。しかし、侍は娘を自身の右横へと置き、左手に持った傘を掛けてやる。侍の左肩が濡れる。
「そこもと、何をお考えか!」年長者が一喝する。表情が怒りに満ちている。「申した通り、そやつは我が藩に害する者。お返し頂けぬとならば……」
この言葉を合図に男たちが一斉に抜刀する。侍は手にした傘を娘の手に渡した。娘は思わず傘の腰巻の部分を握る。
「……この娘の震えは本物です。同じ女として、放っておくわけにはいきません」
凛とした声とともに、侍は傘から出た。黄色の着物に茶色の袴、長い黒髪を束ねて背の中ほどまで垂らした、整った顔立ちの細身の若い侍だった。
「荒木田みつ、お相手致しましょう」
みつは刀を抜くと刃を返し、峰討ちの姿勢を取る。
つづく
作者註:皆様お気づきと存じますが、「霊感少女 さとみ 2 学校七不思議の怪」の各章の間に気分転換で掌編を挟んでいます。前回の豆蔵編と今回のみつ編とに、偉そうに「外伝」などと付けてみました。まあ、わたしのお遊びでございます。お目こぼし下さいませ。
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