思い付きブログ

ヨルムンガンド2期の感想3。死を恐れる醜いココと恐れないキャスパー

 2012年秋アニメの感想の続きで、「ヨルムンガンド PERFECT ORDER」の感想3で、次で終わりです。
 いいアニメでした。

 同じアニメでいくつも感想を書くと、相互に矛盾しているような気もしてきましたが、その際は御指摘下さい。

● 感想1でも書きましたが、「好き」の反対語は「嫌い」ではなく「無関心」であるとは恋愛では良く言われる言葉ですが、つまり、ヨルムンガンド計画とは、世界と人間と自分が大嫌いと公言するココの、更に、ほとんど描かれていませんが数回出てきたココの言葉から伺えるように、金儲け以外に興味のない父親との確執からくる愛されたい気持ちが強いココの、それ故に私兵達とのつながりを大事にするココの、実は誰よりも世界と人間と自分を愛したい気持ち、愛されたい気持ち、甘えたい気持ちの表れ。
 平たく言えば、ココの甘さの帰結です。

 そんなことも少し念頭に置きつつ。


● さて、18話冒頭で、襲撃された兄のキャスパーは余裕の表情で、死と隣り合わせのスリルを楽しんでいる感じです。

 それは何故なのか?
(1) 希死念慮(きしねんりょ。死にたい理由がある程度はっきりしている自殺願望とは少し違って、理由は良く分からないけれど死にたいと願うこと。精神障害の症状として出る場合も結構ある。精神医学の用語。)からくるものなのか?

(2) 自分の部下の方が強いからほぼ100%安全と考えているからなのか?

(3) 死と言うものが理解できていないとか、死と言うものに現実感を感じていない(ゲームのように死んでも生き返る、と勘違いしてしまうこともこれに含む。)から死が怖くないだけなのか?

 あの調子の良さ、軽さ、あまりにも死を恐れない振る舞い、16話のヨナとの車中で沈黙が耐えられないような様子を総合的に勘案して(これらが1つや2つでは何ら異常ではありません。)、精神的におかしくなってきていること、死に対して麻痺していること、根拠はないけれど死なないという自信があること、かなと思います。背景には(2)もあるでしょう。

 (1)は、該当する言動は思い出せません。


 しかし、妹のココは死を恐れています(14話や15話でヘックスに襲撃されたときなど。)。
 この世界と人間を醜いものとして大嫌いなのに、自分自身も大嫌いなのに、死を恐れています。キャスパーとは正反対です。


 精神的におかしくはなっていないと言うことは出来ますが、それにしても、武器商人をしている割には、度胸がない。優秀な武器商人として切った張ったの交渉をしている割には、度胸がない。

 人並みに死が怖いだけなのか、部下の私兵を信用している意味のことは言っているものの、実は、心の底あるいは無意識では信用していないだけなのか。

 15話前半でアールがココのことを、「お嬢は、鋼鉄の仮面の下は年相応に弱い女の子だ。」と言っています。
 また、ココは人間と自分が大嫌いと言っており、その言葉自体に嘘はないと思われるところであり、と言うことは、本質的には人間を信用したい・愛したい、だけれども、実は人間を信用できない・信用していない・愛せない、ということです。


 とすると、両方なのでしょう。


 ただ、1期では、ココは命がけの交渉をし、ココが流血する事態になっても平然としていました。
 その時のココは、気持ちが強く、傲慢に見えるくらい自信満々で、かつ、遠くから相手を狙撃できる体制にある部下や交渉の席にいる部下を信用しているようにしか思えない落ち着き方でしたが。

 そう考えると、我ながら訳が分からなくなりますが、敵がヘックスという強敵か、ザコかの違いかも知れません。


● さて、世界や人間などについて話すとき、ココの美しい顔は、とても醜い、とても汚らわしい、腹黒い悪人の顔になります。

 世界や人間や自分が大嫌いなココの内面(心象風景)の醜さ等を表した顔でもあり、醜いことについて語るときには醜い顔になってしまうという、ごく自然な感情の表れであり、それらをフィクションだしアニメだしということで一層強調した絵だと考えられます(アニメ内の人々には、大袈裟な醜い表情には見えていないのかも知れない。)。

 シリアスな話とは言えフィクションですから、ココと世界等の醜さをアニメ的演出としてすごく強調したのでしょう。


 この場合の、ココが考える醜いものとは、自ら大嫌いと言っている、少なくとも、世界、人間、ココ自身でしょう。

 ココがヨルムンガンド計画を語るときは、世界と人間を通して語られることが多いので、ココが計画自体を醜いと思っているのかは明確ではありませんが、計画がより多くの人間を救うためのものであるとされていることから、計画自体が醜いものとしてココの念頭にあるとは、あまり思えません。



○ 計画自体が醜いものとしてココの念頭にある場合、ヨルムンガンド計画の胡散臭さとかについては以下を(計画そのものの良し悪しについては感想1を参照。)。

(1) 計画が実施されれば、人間が本質的に求める自由をある程度制限することから、自由を制限されると人間は居心地が悪くなると思われます。そのような人間の自由に制限をかけるということは、ココが嫌いな人間と世界へのココの復讐とも解せること。

(2) 計画が実施されれば、戦争ばかりしている人間を馬鹿呼ばわりしているココが、その馬鹿な人間の上に立って強制的に「平和」をもたらし、その「平和」を維持するために支配することになります。ココが馬鹿な国民を支配するということは、ココが嫌いな人間と世界へのココの復讐とも解せること。


○ 計画自体が醜いものとしてココの念頭にない場合、ヨルムンガンド計画に胡散臭さを感じる私としては、ココ自身の意思とは関係なくとも、少なくともアニメ制作者が、ヨルムンガンド計画自体の胡散臭さ、あるいはヨルムンガンド計画自体の醜さを暗示しているように思えてなりません。


【shin】
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