2024/12/30 mon
前回の章
京子叔母さんの為に書き始めた『スリー』の執筆が捗らない。
それならば他にできる事。
二千九年二月二十三日から書き始めた『新宿リタルダンド』。
新宿クレッシェンド第六弾。
先にこいつを片付けておこう。
今日中に完成させる!
これは自分自身への宣言である。
何でもっと早くやらなかったのかな……。
信念を持って臨めば問題なんてない。
そして…、第七弾『新宿コンチェルト』を……。
これは自分でやりたいからやっている。
特に誰の応援もいらない。
俺は一心不乱に執筆を開始した。
二千十年十一月十四日まで何度も推敲し手直しを加え、原稿用紙二百六十枚で完成。
この短さに対し、一年半以上も時間を掛けた。
いや、掛かってしまったか。
これまでのシリーズ作品の執筆の仕方とは明らかに違う。
そういえばテレビのTBSの酒井さんが、この作品が完成したら読みたがっていたっけな。
俺は彼に『新宿リタルダンド』のデータを送る。
ひょっとしたら、テレビ局が動いてくれたら……。
いや、過度な期待はするな。
常に最低限を想定しろ。
糠喜びほど虚しいものはない。
本当ならこの作品をしほさんに読んでもらいたかった。
短編『かれーらいす』を元に、大幅に加筆したものが『新宿リタルダンド』である。
今となってはもう遅い。
彼女は俺と関わりたくないから、マイミクから外れ消えたのだから。
本当に取り返しのつかない馬鹿な真似をしてしまったのだ。
俺の過去の行動を元にした新宿シリーズ。
己の愚行を振り返り、それを文字に変換する作業。
いかに自分が愚直だったか自覚する。
その時はいい気になっていたが、俺は単なる馬鹿だ。
以前しほさんに言われた俺の書く文章の影響力。
馬鹿な俺は、自分自身をも傷つけている。
『スリー』の続きが書けない日々。
何の気力も無くなってきた。
家では叔母さんのピーちゃんから顔を合わせる度、嫌味を言われる日々。
精神状態が自分でもおかしくなっていくのを感じた。
もう生きているのが嫌になり、死のうと思った。
『自殺しよう』と言う作品を誰にも言わず、こっそり書き始め、それでも生に執着する自分に気づき、泣いた。
ちょっとした鬱状態になっているのかもしれない。
精神状態が不安定?
甘えるなよ。
俺にそんな資格など無い。
おじいちゃんだけは、俺を人として見てくれているじゃないか。
これまでの恩義を感じた俺は、朝の五時に起き、掃除やゴミ捨て、新聞を取りに行ったり、お茶を淹れたりとできる事をしようと思った。
綺麗になった床を見て、おじいちゃんは喜んでいた。
昼間にならないと起きてこないピーちゃんに「綺麗になったでしょ?」と言うと「むらがあそこにある。ちゃんとそういうところまでやらないと意味がない」とだけ言った。
自分は掃除なんて一度もした事を無いくせに……。
こういった事が憎悪を募らせていく。
執筆をしながら疲れ、昼間寝ていると突然ドアが開き、「おじいちゃんを病院まで迎えに行け」といきなり言われる。
何度も言い方ってものを注意するも「言い方なんて関係ない。そんなのを気にするのはおまえぐらいだ」と分かってもらえない。
本当この女は……。
苛立つも、おじいちゃんが診察を終え病院で待っている事を考えるとすぐに家を出た。
車を運転し、家の前を通り過ぎようとすると、ピーちゃんが外に出てくる。
窓を開け「何?」と聞くと、蝿を払うような素振りをして「早く行け」と言われた。
病院まで行き、おじいちゃんと合流。
「おじいちゃん…、何だか俺、生きる事に疲れちゃった……」
運転しながら呟く俺。
「おまえは努力が足りないからだ」
「おじいちゃんまでそう言うのはやめてくれ…。一つ聞きたい。俺が高校を卒業して、お袋と親父を離婚させた事についてどう思う?」
「あれは駄目だ。あれがあったから、家はこうなってしまった」
思わず出る溜め息。
「おじいちゃん…、俺さ、小さい頃から虐待を受けてきてさ、ずっと母親を追い出されたって学校でも言われ、先生にも呼び出され…。ピーちゃんには財産目当てだから離婚しないんだと言われ続けてこられた…。だから独断だったけど、離婚させなきゃ…。だって誰一人動こうとしなかったじゃないか。そんなに俺が憎いのか? そんなに俺が悪いのか……」
初めて当時の状況を話した。
「いや、それは間違ってない」
「そうでしょ? 本当に悪いのはそれをうまく利用した、親父と加藤じゃないか……」
「そうだ」
「いつだってうちは、誰かを悪者にする事でみんながまとまってきた。俺が幼い頃はお袋…。もちろんお袋が悪いのは百も承知だよ。でもさ、旦那である親父のフォローがあればもっと違ったかもしれない…。お袋が出て行くと、次の悪者は親父だった。あの女が家に入るまでは……」
おじいちゃんは黙って俺の話を聞いていた。
聞いてくれる体勢にいるのだ。
俺は話を続ける。
「それからは常に俺が何故か悪者扱いされるようになっていた。そりゃあ俺だって自慢できるような生き方なんてしてないさ。でもさ…、最近になって思ったけど、みんなあんまりだよ……」
家に帰ってから、九十二歳になるおじいちゃんに何故あんな事を言ってしまったのか悔やんだ。
生きている価値なんて俺にはないな……。
うん、今日を持って死のうじゃないか。
ロープを探し、首を絞めてみる。
その体勢で自分の姿を鏡で見た。
馬鹿だな、俺って。
どうせ自分じゃ死ぬ事すらできないのに。
書いている作品をギネスに載せるんじゃなかったのかよ?
自分で過去を振り返り、それを思い出して頭がおかしくなる。
愚の骨頂もいいところだ。
もう本なんて売れない時代になった。
例えギネス記録を更新したって、金にならないかもしれない。
金が入るから書くのか?
違う……。
書きたいからやり始めたんだ、俺が勝手に。
思った事、実際に経験した事を文字に表せる自分は幸せ者だってあの時思っていたじゃないか。
なのに何でこう苦しむ?
充分好きな事をしているんだろ?
書きたい小説を書くってさ。
なら、もうブレるな。
いい加減腹を括れって。
追いつきたいんだろ、鶴田師匠に……。
じゃあ、まだまだチャレンジしなきゃ。
全然努力が足りない。
いいじゃないか、評価なんか無くたって。
好きな事をしているんだからさ
迷うなよ。
何で伯母さんや弟だった貴彦、そして親父にイライラする?
何かをどこかでずっと求めていたからだろ。
何十年同じ事を繰り返せば気が済む?
叔母さんのピーちゃんからは母性愛が欲しかったのか?
そうだ、欲しかったんだ。
昔を思い出し、いつかはまた仲良くできる。
そう思い…、いや、願っていただけ。
でも、無理な現実を知った。
貴彦と養子縁組を内緒でしたぐらいだ。
もう絶対に修復不可能なところまできている。
親父には?
別にさ、昔の親父はちゃらんぽらんだったけどさ、まだそんな嫌いじゃなかった。
本当に嫌いになり許せなくなったのは、あの女を家に入れてから。
もういいよ、どうだってさ……。
馬鹿にされようが、俺は作家だ。
よくもまあ、これだけネタになるような出来事をもらえたわ。
おかげでいつ、執筆する時スランプになった?
まったくなく、最速のスピードでガンガン書けているじゃないかよ。
いっその事開き直れ。
去る者追わず、来る者拒まず。
もうとっくの昔に去っていった人たちじゃないか。
何をまだ求める?
もういいだろ。
あのことわざの本当の意味を知った。
人に求めるな。
そしてこの孤独を自覚し、受け入れろ。
俺は孤独……。
すっげえ何だか楽になった。
分厚いステーキが食いてえ。
元々肉食なんだ。
だから最近元気が無かった。
うん、まず働いて金を得よう。
いや、川上キカイで働いてはいるよな。
また小説を書き、過去を思い出して鬱状態になったら、この境地に持っていけばいい。
前に『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』を執筆中、二回涙が出た事があった。
初めは全日本プロレス時代、鶴田師匠が声を俺に掛けてくれた時。
救われた気分になり、とても嬉しかったからだ。
二度目は親父を殴った時の事。
多分悲しかったんだろう。
言い方を代えれば、俺は決別の涙を流したのである。
自分で嬉しがり、悲しがった文章。
でも、何故か求めてしまう。
結局切り捨てられないのも、人間。
特に肉親に対しては……。
「いつか、伝わる」と期待してしまう。
実際「だから伝わる」事もあるだろう。
けれど…、「それでも伝わらない」事もある。
それは、とても遣る瀬無い……。
怒り、諦念、憎悪方向性は様々だが、とても悲しい事だけは確か。
早く今の自分のこの心境に追いつきたいから、過去の自分をどんどん執筆していく。
俺の家族はお、じいちゃんと弟の徹也だけ。
最初からそうだったんだ。
本当の意味で、俺は孤独でも何でもないのかもしれない。
まだまだ自分に甘い。
人生はチャレンジだ。
今は無き師匠の言葉を胸に刻み、これまでやってきたつもりだった。
何故ならいつの日か、師匠に追いつきたかったから……。
何となく今日分かった事がある。
師匠の言葉通り行動したところで、俺は永久に背中へ追いつけないという事実を。
過去自分で書いたんじゃないのか?
どうすればいいのか、その答えを……。
あの人と初めて会って感じた部分って、人間的な器のデカさだった。
ならば、いいお手本がいて、目の前で接してくれたのだ。
物真似でもいい。
自身の器をもっと大きくできるよう、最大限の努力をしよう。
器をデカく……。
じゃあ、どうやって?
あの時俺は、何故器がデカいって感じた?
ヤンチャだった自分を暖かく迎い入れてくれたからじゃないのか?
師として崇めるようになったあの瞬間。
そう…、俺は自分の器の小ささを思い知ったからなんだ。
なら、真似事でもいい。
常に笑顔で……。
そして他者の悪口も言わず……。
不平不満も言わず……。
あとはこれまで通り、チャレンジし続けようじゃないか。
本当に遠い背中。
でも少しでも俺はあの人と同じ時を過ごせたのだ。
せっかくなんだから見本にしなきゃ、あの背中を……。
『新宿コンチェルト』。
クレッシェンド第七弾。
二千年十一月二十三日より執筆開始。
過去から逃げちゃいけない。
一度『とれいん』としてこの内容を書いたが、ぼかして書き上げた。
違うだろ?
業を背負ってまで、俺はまだこうして生きている。
すべて赤裸々にあの時の無念さ、悔しさ、愚かさを書き記すべきだ。
ギネス?
そんなものより前に、俺はこの作品を書かなきゃいけない。
俺は業が深い。
百合子を俺の愚かさで、あそこまで傷つけた。
その後俺の愚かな忠告で、影原美優まで同じ目に遭わせた。
自身がしでかした行為から、目を背けてはいけない。
俺は十字架を背負いながら、見苦しく未だこうして生きている。
リタルダンドまで順に書き終え、ようやくここまで来たのだ。
誤魔化さず、ただ事実を書き綴ろう。
最近川上キカイの人たちから「先生、お金を払うので弁当作って下さい」とよく言われる。
そして「できればまた整体も開業して下さい」ともお願いされる始末。
整体かあ……。
確かに困った患者を治す事は嫌いじゃない。
でも場所なんだよなあ……。
そんな事を思いながら今日大正浪漫通りを歩いていると、加賀屋のおばさんから「智ちゃん、うちのスペース貸してあげるから、土日限定でもいいからやってみれば?」と誘いを受けた。
土日限定で、「岩上整体」復活か……。
う~む……。
これも自流の流れに沿ってなのだろうか?
夜になって食材を買いに来る途中、夜空を見上げるといい感じの雲と月。
なので携帯電話で写真をパシャリ撮ってみた。
やっぱ本物は俺の描いた絵なんかよりも綺麗で迫力もあって、凄いなあ。
さて、張り切ってみんなの弁当を作るとするか。
家に帰ってから明日のお弁当を早速作った。
お金なんてもらわない。
同じ職場で仲のいい人間同士で一緒に食べたいから、ただ作るのだ。
だから俺の弁当はお金を出しても買えない。
【明日のお献立】
・白飯
・冷凍カレーコロッケ
・顔つきタコさんウインナー
・顔つきカニさんウインナー
・自家製ポテトサラダ
・ピザポテト春巻き
・オイスターソースを使った醤油風味焼きそば
・じゃがいもフライ
・三日間じっくり煮込んだミートソースの中で煮込んだ豚ロース肉
とりあえずこんなもんか。
ごめんよ、京子伯母さん……。
給料入ったら、少しずつでも返していくからね。
『新宿コンチェルト』。
二千十年十一月二十五日。
現時点で、原稿用紙百五十七枚。
生涯、書く事からは逃げられないのを自覚している。
どんなに嫌な想いをしても、書いたものに賞賛を浴びなくても、それでももう書く事を辞められない。
ほとんど病気なんだろうな……。
何故現世に生まれたのか?
その意味が朧げながら分かり掛けてきたので、自身の満足の為に書き続けているんだろうなあ。
本当はもっと面白いって感じられる作品を書けるのに、あえてまだ書かず今のような方法で書く。
その作業がすべて終わったら、今度は読み手を意識したちゃんとした作品が初めて書ける。
そんな気がした。
忌々しい過去を振り返り、それを文字として投影し反芻する。
懺悔に近い反省。
しかしこうして生きている限り、過去を振り返る事はできても過去には戻れない。
だからこそ、まだまだ努力しなきゃいけないし、一生懸命生きなきゃいけない。
ひたすら愚行を書き続けよう。
小説を書いていると、勢いよくドアが開く。
弟の徹也だった。
「兄貴! 京子伯母さんが峠だって! 今から埼玉医大行くよ」
「……」
俺には見舞い来てほしくないと、娘の麻衣子の子供草太にまで溢していた京子伯母さん。
「どうしたの、兄貴?」
「いや…、あの……」
俺は徹也へ正直に伝えた。
非常に情けないが、峠の時に俺の顔なんて見たら、嫌な思いをさせてしまう。
「徹也…、おまえだけで行ってきてくれ……」
合わせる顔がない。
「何言ってんだよ! 京子伯母さんが亡くなるかもしれないんだぞ! ほら、兄貴、さっさと支度しろよ!」
強引に徹也から部屋を出される。
時計を見た。
夜の十一時四十四分。
俺は着替えながら、ひたすら祈っていた。
二千十年十一月二十七日。
京子伯母さんが亡くなった。
幼少時代、可愛がってもらえ、いつもお世話になったのに。
何一つ返せていない。
人生に待ったなんて、一瞬だってきかない。
過去のジャンボ鶴田師匠や三沢光晴さんで、学んだんじゃなかったのかよ……。
自分の駄目さ加減が嫌になる。
『スリー』…、間に合わなくてごめんね。
お金も返す前になってしまった……。
余命半年って言っていたじゃないかよ。
何故こんな早く……。
俺に関しては嫌な印象のまま、京子伯母さんは亡くなってしまった。
中学生三年生の冬、おばあちゃんもこの埼玉医大で亡くなった。
そして今日、京子伯母さんまで……。