知床日誌㉑
知床の海岸には土がない。だからペグは使えない。今年は感染症予防のため個人用テントの持参をお願いしている。しかしテントの数が増えるとそれだけトラブルも増える。風でポールが折れて生地を突き破ったり外に荷物を放置してキツネに持って行かれたりもするし、そもそも浜が狭く石浜なのでテントを張る場所がない。クマは普通に現れる。ヒグマはそこが通り道だから現れるのであって人に興味があるわけではない。多くの場合は放っておけば立ち去る。10メートルも離れていないところを歩くヒグマを見て恐怖を覚えない人はいない。私も怖いが立派なものだ。これが知床だ。
ヒグマ対応には毅然たる態度が要る。多くの場合、クマは突然の遭遇以外、人を襲わない。だから用を足すときは声掛けしたほうが良い。キャンプを離れる時は複数で行動したほうが良い。ヒグマは臆病な動物だが猛獣だ。そして何を考えているかわからない。昔は遠くに現れたら怒鳴ったり爆音弾を鳴らした。しかし今はあまり怒鳴らない。こちらの存在を知らせるだけだ。普通のクマならそれで山に消える。トウガラシ成分のクマガスは有効だが風向きや距離を考えないと自分や仲間がひどい目に遭う。しかし銃より役に立つ。鉄砲は外れれば意味がないがクマガスは5メートル以内で風を背にすれば有効だ。運が良ければクマを追い払える。
熊ガスは危険だ。香港では警察が使っているらしい。私は人にこれを使う状況に言葉がない。私もやむを得ず使ったことがある。距離は3メートルもなかった。しかし出来れば使いたくないしそんな状況を招いてはならない。怒り狂ったクマには勝てない。興味を持たせないこと。興奮させないこと。無暗に騒ぎ立てないこと。甘く見ないこと。物や食べ物を放置しないこと。私たちが知床で守るべきことは多い。人の行動の誤りが結局は駆除につながる。世界一クマ密度が高い知床で人とヒグマが共存するのは容易なことではない。そんな知床でカヤックを漕げることに私は感謝している。
知床で厄介なのはクマよりもキツネだ。キツネは靴を盗みテントを荒らしカヤックに小便をかける。その臭いは耐えられないほど臭い。だから艇は裏向けに置かなければならない。糞はエキノコックス症の原因となる。北海道では沢水を飲んではならない。水は必ず沸かして飲む。罹る確率は交通事故よりも低いというが、もし罹れば致命的だ。10年以上の時間をかけて肝臓に寄生し体を蝕む。石灰化して中がドロドロに融けた肝臓は末期の肝臓癌よりもたちが悪いと医者は言う。薬はあるが日本型のエキノコッサクスには効果がないという。虫下しによるキツネの無害化で発症例は減ってきている。しかし用心するに越したことはない。動物は寄生虫で寿命を縮める。私にとってキツネはクマ以上に厄介な動物だ。しかし私がもっとも恐れるのは海だ。年をとって私はますます臆病になってきた。海ではどんな経験も時に役に立たない。経験ある漁師でもあっけなく命を落とす。海は常に知恵を試す。素晴らしいところだが怖いところだ。私は知床の過酷な海が好きだ。私たちは数千年続いてきた手漕ぎ舟の漕ぎ手の末裔だ。知床の海はそんなことが実感できるところだ。
昨日は地元で雪崩の会議があった。私の冬の仕事は宿屋だがニセコの雪崩事故防止も仕事だ。この土地に46年住む私は30年以上前から必要に迫られてこれを続けてきた。当時ニセコは日本でもっとも雪崩事故の多い山で80年から1990年代の10年間で8人が死んだ。理由は山が簡単なこととリフトの延長でコース外の新雪が滑りやすくなったためだ。それでやむを得ず役場とコース外滑走のルールを作った。昨日の会議ではビーコンとヘルメットの義務化が話し合われた。しかし昨年決めたにも関わらず有力スキー場はこれに消極的だ。なによりも困ったのは30年前と同じように法律論と責任を言う人が再び出たことだ。これらの正論に人は反論できない。結局私しか反対意見を言わなかった。考えてみればこの30年それの繰り返しだ。しかし今更法律論を持ち出すほど愚かとは思わなかった。これはもうだめだ。
ニセコルールは必要から行われているもので日本の法体系が正式に認めたものではない。いわば地域と利用者の紳士協定のようなものだ。それが定着して事故防止に役立ち観光振興にもつながってきた。国の政策にも役立っているから日本国政府はこれを容認している。しかし現場の監督官庁が必ずしも認めているわけではない。だから公的な予算もつかない。何よりもニセコの方法が学問的に証明されていないことによる批判が今も根強い。そしてこれがあらゆる点でルールの障害になっている。さてこの先はどうなるのだろう。ともかく今は目の前の知床に真面目に取り組まなければならない。私はすこし怒っている。
知床の海岸には土がない。だからペグは使えない。今年は感染症予防のため個人用テントの持参をお願いしている。しかしテントの数が増えるとそれだけトラブルも増える。風でポールが折れて生地を突き破ったり外に荷物を放置してキツネに持って行かれたりもするし、そもそも浜が狭く石浜なのでテントを張る場所がない。クマは普通に現れる。ヒグマはそこが通り道だから現れるのであって人に興味があるわけではない。多くの場合は放っておけば立ち去る。10メートルも離れていないところを歩くヒグマを見て恐怖を覚えない人はいない。私も怖いが立派なものだ。これが知床だ。
ヒグマ対応には毅然たる態度が要る。多くの場合、クマは突然の遭遇以外、人を襲わない。だから用を足すときは声掛けしたほうが良い。キャンプを離れる時は複数で行動したほうが良い。ヒグマは臆病な動物だが猛獣だ。そして何を考えているかわからない。昔は遠くに現れたら怒鳴ったり爆音弾を鳴らした。しかし今はあまり怒鳴らない。こちらの存在を知らせるだけだ。普通のクマならそれで山に消える。トウガラシ成分のクマガスは有効だが風向きや距離を考えないと自分や仲間がひどい目に遭う。しかし銃より役に立つ。鉄砲は外れれば意味がないがクマガスは5メートル以内で風を背にすれば有効だ。運が良ければクマを追い払える。
熊ガスは危険だ。香港では警察が使っているらしい。私は人にこれを使う状況に言葉がない。私もやむを得ず使ったことがある。距離は3メートルもなかった。しかし出来れば使いたくないしそんな状況を招いてはならない。怒り狂ったクマには勝てない。興味を持たせないこと。興奮させないこと。無暗に騒ぎ立てないこと。甘く見ないこと。物や食べ物を放置しないこと。私たちが知床で守るべきことは多い。人の行動の誤りが結局は駆除につながる。世界一クマ密度が高い知床で人とヒグマが共存するのは容易なことではない。そんな知床でカヤックを漕げることに私は感謝している。
知床で厄介なのはクマよりもキツネだ。キツネは靴を盗みテントを荒らしカヤックに小便をかける。その臭いは耐えられないほど臭い。だから艇は裏向けに置かなければならない。糞はエキノコックス症の原因となる。北海道では沢水を飲んではならない。水は必ず沸かして飲む。罹る確率は交通事故よりも低いというが、もし罹れば致命的だ。10年以上の時間をかけて肝臓に寄生し体を蝕む。石灰化して中がドロドロに融けた肝臓は末期の肝臓癌よりもたちが悪いと医者は言う。薬はあるが日本型のエキノコッサクスには効果がないという。虫下しによるキツネの無害化で発症例は減ってきている。しかし用心するに越したことはない。動物は寄生虫で寿命を縮める。私にとってキツネはクマ以上に厄介な動物だ。しかし私がもっとも恐れるのは海だ。年をとって私はますます臆病になってきた。海ではどんな経験も時に役に立たない。経験ある漁師でもあっけなく命を落とす。海は常に知恵を試す。素晴らしいところだが怖いところだ。私は知床の過酷な海が好きだ。私たちは数千年続いてきた手漕ぎ舟の漕ぎ手の末裔だ。知床の海はそんなことが実感できるところだ。
昨日は地元で雪崩の会議があった。私の冬の仕事は宿屋だがニセコの雪崩事故防止も仕事だ。この土地に46年住む私は30年以上前から必要に迫られてこれを続けてきた。当時ニセコは日本でもっとも雪崩事故の多い山で80年から1990年代の10年間で8人が死んだ。理由は山が簡単なこととリフトの延長でコース外の新雪が滑りやすくなったためだ。それでやむを得ず役場とコース外滑走のルールを作った。昨日の会議ではビーコンとヘルメットの義務化が話し合われた。しかし昨年決めたにも関わらず有力スキー場はこれに消極的だ。なによりも困ったのは30年前と同じように法律論と責任を言う人が再び出たことだ。これらの正論に人は反論できない。結局私しか反対意見を言わなかった。考えてみればこの30年それの繰り返しだ。しかし今更法律論を持ち出すほど愚かとは思わなかった。これはもうだめだ。
ニセコルールは必要から行われているもので日本の法体系が正式に認めたものではない。いわば地域と利用者の紳士協定のようなものだ。それが定着して事故防止に役立ち観光振興にもつながってきた。国の政策にも役立っているから日本国政府はこれを容認している。しかし現場の監督官庁が必ずしも認めているわけではない。だから公的な予算もつかない。何よりもニセコの方法が学問的に証明されていないことによる批判が今も根強い。そしてこれがあらゆる点でルールの障害になっている。さてこの先はどうなるのだろう。ともかく今は目の前の知床に真面目に取り組まなければならない。私はすこし怒っている。
新谷暁生