ウトロを出発して羅臼側の相泊(アイドマリ)まで7日を費やして半島を回った。オホーツク高気圧の影響で北風が強く寒かった。
知床岬は荒れて漕げる状況ではなかった。そのため艇を岬の草原台地に担ぎ上げ、カヤックを曳いて越えた。
1297年、骨鬼はサハリン西岸から大陸に舟を進め、キジ湖を経てアムール川を遡行し蒙古軍を攻めたという。
彼らも舟を曳き、あるいは担いで沿海州の森を進んだのだろうか。骨鬼つまりアイヌが皮舟を使ったかはわからない。
しかし13世紀に起きたこの戦いが交易圏の拡大を目指したものだとするなら、それはアイヌにとどまらず北方諸部族の力を結集しての元朝中国に対する戦いだったのかもしれない。
皮舟は北方海洋文化が生んだすぐれた舟だ。骨鬼の戦いにはカムチャツカやアリューシャンの皮舟を使う人たちも加わっていたのだろうか。
それにしても今回は厳しい旅だった。チームの陽気さ、まとまりの良さ、一人一人の協調性の高さがこの旅を成功させた。参加者全員に感謝したい。
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