おはようございます。
三十一a それはなぜかというと、スブーティよ、誰かが、『如来は自我についての見解を説いた。生きているものについての見解、個体についての見解を如来は説いた』と説いたとしよう。スブーティよ、その人は正しく説いたということになるだろうか。」
スブーティは答えた―「師よ、そうではありません。幸ある人よ、そうではありません。その人は正しく説いたことになりません。それはなぜかというと、師よ、『如来の説かれたかの自我に対する見解は、見解ではない』と如来が説かれているからです。それだからこそ、<自我についての見解>と言われるのです。」
(中村元 紀野一義 訳 岩波文庫)
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