神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

宇宙大の我れとは

2020年06月07日 13時23分50秒 | 秘密の教え・密教とは

大宇宙・・・について

想いを、めぐらせていました。

 

地球上に存在する、私が

等身大の私が、夜空を見上げています。

 

近いところでは、中秋の名月

宇宙の入り口、満月が煌煌と

円かに明るく、光り、輝いています。

 

離れたところには、他の星・星たちも

そこ、ここにと、有りとし、有らゆる

大・小さまざまな、光りと

光りの点の集合体。

 

目に映る限りの、数限りの無い

星・星の存在がある。

 

ひとつ、ひとつの星は

どれくらい先の宇宙空間に

有るのだろうか。

どれくらいの時間を経て

どれくらいの距離を経て

星・星の姿が届くのであろうか。

 

恒星の光りを受けて

惑星は光りを放っています。

 

私と共に、宇宙は、今、ここにあります。

 

太陽系と共に有る、我れであり、

天の川銀河と共に有る、我れであり

あまたの銀河群と共にある、我れである。

 

大宇宙は、自・他と共に有る。

 

我々の目で確認できるのは

現象の宇宙であり

我々の目では認識できない

実在の宇宙がある。

生・住・異・滅を輪廻する、宇宙と

生じたものでも、滅することのない

本より有り、常に住している、宇宙とが

一体と成って有るだけである。

 

永遠・無限・絶対の宇宙大の宇宙が

一切の私たちと共に有る。

 

始まりの無い、終わることの無い

無限大の宇宙が

一切の私たちと共に有る。

 

星・星が生まれ、成長期を経て

やがて壊れ、滅する。

 

滅する星の影響を受け、新たに

新しい星・星が産声を上げる。

 

ひとつ、ひとつの星が、住・壊・滅を

それぞれ、繰り返し、繰り返し

輪廻を続けている。

そして、永遠を生きている。

 

私たち人間も、

ありとしあらゆるもの、

生きとし生けるものも、

同じく、生・住・異・滅を

継続している。

 

差別相と共に有る、自己。

宇宙も、自己も

彼、生ずるが故に、我れ、生ず

彼、滅するが故に、我れ、滅する。

 

まったくと言っていいほどに

姿・形が同じ星

姿・形が同じ銀河も存在しない。

 

恒星である太陽も、全宇宙の中には

大・小さまざまな、太陽の存在がある。

 

惑星も、衛星も、小惑星も、彗星も

また、然りである。

 

星・星の性質も、実にさまざまである。

人間の存在も、また、然りである。

 

が、実在の宇宙は平等である。

差別の相、そのままが、平等の相であり

業・因縁を異にしているからである。

 

個・個の星、個・個の銀河

それぞれに、心と意識が宿っている。

宇宙大の意識があり

その中に、個・個の意識がある。

宇宙大の心があり

その中に、個・個の心がある。

 

大宇宙が個・個人の存在を支えており

個・個人が大宇宙の存在を支えているのである。

 

等身大の我れが、宇宙大の我れである。

一切衆生と共に有る、我れであり

大日如来・遍照金剛さまと共に有る、我れである。

宇宙一切と共に有る、我れである。

 

姿勢を正し、手を合わせ

呼吸を調え、口に真言を唱え

心に大日如来を想う。

おん あ び ら うん けん

( ばさら だと ばん )

南無大日如来・遍照金剛

想いをめぐらせながら

真言を唱えていると

だんだんと

真言、そのものの声だけ

に成りはじめだし

ただ、ただ

真言を唱えるだけの

我れが有るような気がする。

頭の中は、スッキリとしている。

身体も安らぎを、感じているようだ。

これは、単なる自己満足なのだろうか。

 

宇宙大我・・・

 

最後まで読んで頂きまして

ありがとうございます。

ありがとうございました。

 

皆さまが、無事息災でありますように・・・

合掌

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たとえ親子であっても 業・因縁が違う

2019年12月18日 12時49分21秒 | 秘密の教え・密教とは

懲役六年の判決が言い渡されました。

ニュースで見ました。

 

エリート官僚であった父親が

実の子供である、長男の命を奪ってしまった事件。

 

東大を卒業すれば、幸せになれる。

 

父親の期待に応えられなかった挫折。

 

最後まで分かり合えないままの死別。

 

兄の存在、妹である長女の自死という悲劇。

 

家庭内暴力により、母親はうつ病を患っているという病苦。

 

高学歴で、事務次官まで昇りつめた超エリートという肩書。

 

結局、やつれた犯罪者に成り下がった現実。

 

高齢で、六年間の塀の中での生活。

 

勉強、勉強で頭でっかちで

自心、精神の勉強が疎かだった。

結局、ただの凡夫でしかなかった・・・・・・・・・。

 

愛情、躾、思いやり、感謝、反省、優しさ、報恩の大切さ、を

このような大事なことを、誰が教える。

 

子供は、親が護る、そして、子供を、誰が育てる。

ちゃんと育ててた・・・・・・・・・・・。

 

佛教用語では、知恩、感謝、反省、報恩の心、とあります。

 

密教の現世利益は、人間がしあわせに成るために・・・・・・。

 

せっかく生まれてきたのに、思愛和施が出来なかった。

 

誰が、このことを実行する。

結局、自分が自分で自分を自分する

これしかないのです。

(澤木興道老師の、お言葉)

 

俺我、俺我、私我、私我、親のエゴイズム

押し付け、相手の人格を認めなければ・・・・・・・・・。

 

子供が両親を、あの世に送った事件。

過去形だけど、確か、バットで・・・・・・。

 

あと、二十歳過ぎたら自己責任・・・・・・・・。

悩み苦しみを克服できなくて

喘ぎ騒いでいるのは、自己責任・・・・・・・。

何で、今の状況を変えないと、しないのか。

酷な言い方をしますけど

自分で自分を変えるしかないのです。

 

神佛への感謝の念が、無いのです。

 

不信心の者には悪事災難、必ず来る。

(荒神経)

 

誰も、あなたの思うように、相手は、動いてはくれません。

 

例え親子であっても・・・・・・。

何故ならば、姿形は違うけれども

似ている部分があるだろうけれども

両親の血が流れていても

お互いに業・因縁が違うのです。

この世に、生まれた時期が、異なるのですから。

背負っている業も、また、お互いに違っています。

 

何で、どうして、と、相手を責める前に

自分のことを、見つめ直す必要があります。

考え過ぎるな、成るようにしか成らない

世の中だから、素直に受け止めるしかないのです。

そう、受け止めて、生きる。

生きて、生きて、生きなければ・・・。

 

でも、そう受け取れなければ

あなたの人生、何だったのですか。

高学歴のプライドを捨てて

世間体を気にしなければ

本当の親に成れていれば

殺すこともない

殺されることもない

仲睦まじい

家庭では、なかったのではないですか。

家族では、なかったのではないですか。

余りにも哀れですし

余りにも残念でしかありません。

 

自死した妹さん、長女への供養を

ちゃんとしていましたか・・・・・・・・・・・・・・・。

 

これが、出世間 (しゅつせけん) の教えなのです。

 

合掌

 

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私の信ずる不動明王さま 追記 

2019年07月10日 00時37分38秒 | 秘密の教え・密教とは

南無大聖大悲不動明王

なむ だいしょう だいひ ふどうみょうおう

南無大聖大悲不動明王

南無大聖大悲不動明王


私は大聖大悲不動明王さまに帰命いたします。

 

佛説聖不動経  ぶっせつしょうふどうきょう

爾の時に大会に一の明王有り。

是の大明王は大威力有り。

大悲の徳の故に青黒の形を現じ、

大定の徳の故に金剛石に坐し

大智慧の故に大火焔を現じ給う。

大智の剣を執って貪・瞋・痴を害し、

三昧の索を持して難伏の者を縛す。

無相の法身は虚空と同体なれば、

其の住処無く、但衆生の心想之中に住し給う。

衆生の意想各々不同なれば、

衆生の意に随って而も利益を作し、

所求円満せしめ給う。

爾の時、大会は是の経を説き給うを聞き、

皆大いに歓喜して信受し奉行せり。

佛説聖不動経


私の信ずる不動明王さまでもあり、

大聖大悲の誓願を信ずるものでもあります。

不動明王さまは、あなたの心の中に実在します。

姿かたちは異なるけれども、

その本質は、平等平等にして、無別無異なのです。

現実のこの身、このままで、自分も他人も一心同体であり、

常に始から元一つの同体なのです。

信受できなければ、縁なき衆生です。

救われることはありません。

ご加護はあって無きものです。


あなたは、信心することができますか。


合掌


追記


説明不足な点がありましたので、

補足させていただきます。


佛説聖不動経  

爾の時 その時

大会に だいえに

大日如来さまの説法を聴衆する集まりの中に

一の明王有り

一人の明王さまがおりました。

この大明王は大威力有り

大明王 だいみょうおう には

大威力 だいいりき があります 

大悲の徳の故に

大いなる慈悲心の徳の故に

青黒の形を現じ

しょうこくの形を現じ 青黒の肌の色を現わし

大定の徳の故に

だいじょうの徳の故に

偉大なる禅定の徳の故に

金剛石に坐し

こんごうせきに坐し

金剛堅固な こんごうけんごな

菩提心 ぼだいしん 覚りの御心の現われ

大智慧の故に

だいちえの故に

大火焔を現じ給う

光背に こうはいに  

だいかえんを現じたもう

大智の剣を執って

だいちの剣を右手に持って

貪・瞋・痴を害し

心の三毒 煩悩を断ち切り

三昧の索を持して

さんまいのさくを左手に持って

難伏の者を縛す

不信心の者を縛り上げ引き寄せる

無相の法身は

むそうのほっしんは

すがたの無い 法そのものの現われであり

虚空と同体なれば

こくうと同体なれば

宇宙法界と一体であり

其の住処無く

そのじょうしょ無く

但衆生の心想之中に住し給う

ただ衆生の心想の中に住しておられる

衆生の意想は

衆生のいそうは

衆生の考え方 心の在り方 思いなど

各々不同なれば

おのおの不同なれば

おのおのの因縁の軽重

信心の浅深により

衆生の心に随って

衆生の思いに随って

而も利益を作し

しかも利益をなし ご利益を下さり

所求円満せしめ給う

しょぐ円満せしめ給う

求めるところを円満になさしめて下さる

爾の時

その時

大会は是の経を説き給うを聞き

聴衆は是の聖なる不動経を説かれたことを教えられ

皆大いに歓喜して信受し奉行しき

皆は大いに歓び喜んで信じて実行すべきことを受けとられた

佛説聖不動経


自らの心の中に実在する不動明王さまを

信じて、聖不動経の真意を正しく受けとり、

拝み、拝み続け、実行し続けたいと、

心を新たに・・・したいと・・・

初心を忘れるべからず・・・です。


南無大聖大悲不動明王

南無大聖大悲不動明王

南無大聖大悲不動明王


最後まで読んでいただき、

ありがとうございます。

ありがとうございました。


合掌

 

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私の拝む不動明王さま

2019年03月19日 09時35分30秒 | 秘密の教え・密教とは

ようこそ お参りくださいまして ありがとうこざいます。

善行院 (ぜんぎょういん) 雄徳 (ゆうとく) です。  合掌

 

南無帰依佛  南無帰依法  南無帰依僧

 

南無 大聖 だいしょう 大悲 だいひ 不動明王

南無 大聖 だいしょう 大悲 だいひ 不動明王

南無 大聖 だいしょう 大悲 だいひ 不動明王



毎日の祈りは願いから。

毎日毎日の積み重ねが正精進です。

 

私の拝む大聖大悲不動明王さまであり、

そして、私を拝んでくださる

大聖大悲不動明王さまでもあります。

 

 

 


お不動さまを拝むことにより、

お不動さまに拝まれるのです。


信心の有無に関係なく、

私たちは、すでに拝まれているのです。

だから、信じて拝むことが出来るのです。

 

お不動さまの願いは、

大悲を本誓 (ほんぜい) としておられます。

一切衆生の所願成就の為にと。

 

大悲とは、私たちの苦しみを救おうとする

広大無辺なる慈悲のみ心をいいます。


本誓とは、衆生済度の願いです。

私たちを悟りの境界へと導いてくださいます。


信ずることが、すなわち

拝むこと。

 

拝むことは、すなわち

南無大聖大悲不動明王と唱えることです。


そして、行ずるのです。


正しい心のありようを害する、

心の三毒、貪瞋痴。不幸の原因、貪瞋痴

お不動さまのお力によって、断ち切っていただくのです。


そして、自らは教えを信じて、


慳貪 (けんどん) の者には、布施することを教え、

物惜しみする心を離れて、他人に施すことにより、

貪りの心を離れるように心がける。


瞋恚 (しんに) の者には、慈悲の心を教え、

すぐに感情的になって、無暗に瞋 (いか) らないこと。

いつの世も、短気は損気なり、です。

瞋りの心を断ち切ることによって、

慈悲の心を育むのです。

 

愚痴 (ぐち) の者には、智慧を磨くことを教える。

因縁の道理を知らしめ、ものみなが移り変わる真理を分からせる。

愚痴らない。不平不満を言わないこと。汚心になるから。

言ったところで何の解決にもならないからです。

常に感謝の言葉が言えるように心がけましょう。


そうすることによって、より一層のご加護を賜わるのです。

お蔭さまですと、言葉にできるように、自らを変えていく。

 

 


日々の生活の中で、

少しづつ実行してみてはいかがでしょうか。


終わりまで読んでいただきまして、ありがとうこざいます。


あなたに、大聖大悲不動明王さまの

ご加護がありますように。


南無大聖大悲不動明王  南無大聖大悲不動明王

南無大聖大悲不動明王


ありがとうございました。


合掌

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思愛和施 しあわせ

2019年01月21日 15時10分05秒 | 秘密の教え・密教とは

何万遍、何十万遍、真言を唱えれば、

しあわせになれるのでしょうか。


例えば、南無大日遍照金剛ですが、

一日に何遍、唱えられるのでしょうか。

そして、一生の間、トータルで何百万遍、

唱えることができるのでしょうか。


信心の浅深、因縁の軽重にもよりますが、

どのようなものでしょうか。

 

心の三毒、貪瞋痴。苦しみの原因、貪瞋痴。


しあわせ、倖せ、幸せ、仕合せ、幸福・・・、それぞれありますが、

思愛和施と、当て字にしてみました。


それでは、思愛和施とは・・・。


・・・とは、相手へのいやりの心。支え合う心です。


・・・とは、語。愛情のこもった言葉遣い。相手の為を思うこと。

優しさであり、感謝の気持ちでもあります。心のこもった言葉を話すように。

八正道の正語にあたります。


・・・とは、を以て貴しとなす、ことです。和気あいあいということです。

仲良きことは美しきかな、です。相互供養、相互礼拝の心です。

お互いに助け合う精神が必要です。和を貴ぶのです。


・・・とは、しの心。お布施する。身施、財施、無財の七施をいいます。


無財の七施・・・とは、慈悲の実践行です。


眼施  がんせ

眼による施しです。優しい眼差しで相手を見ること。

愛眼・・・あいげん。佛の慈悲の眼、佛の愛情深い眼差しをいいます。

佛像に目線を合わせますと、愛眼を感ぜずにはおれません。

目は口程に物を言うといいますが、ご本尊さまの大慈大悲の眼差しは、

私を見守ってくださっている、安心感を覚えます。

そのような眼差し、眼施を真似てみたいと思います。

ですから、無暗に相手にガンを飛ばさないように、

睨みをきかせないようにしたいものです。

自らの目つきには注意しましょう。


和顔悦色施  わがんえつじきせ

柔和な笑顔で相手に接すること。常に穏やかな顔でいること。

笑みを絶やさないように心がけたいものです。

苦虫を嚙み潰したような顔はしない。ガン無視しない。

自らの表情には気お付けたいものです。


言辞施 ごんじせ

愛語。愛情のこもった言葉遣い。言葉遣いの丁寧さ。

八正道の正語を心がける。


身施  しんせ

自らの身体を使っての施しです。出来る範囲で手伝い、奉仕をすること。

困ったときはお互いさまで、手助けをしてあげる。礼儀正しさ。

八正道の正業に通じます。


心施  しんせ

相手への思いやりの心、優しい心、感謝の心、慈悲の心をもつこと。

常に、そのことを念じていることによって行動に移せるものです。

八正道の正念に通じます。


床座施  しょうざせ

バスや電車内で自分が坐っている席を譲ることです。

独り占めせずに、場所を提供することで、譲り合いの精神です。


房舎施  ぼうしゃせ

我が家に、誰が訪ねて来ても、気持ちよく、喜んでお迎えできるように、

常に整理整頓、掃除をしておくことです。おもてなしの心でもあります。

他人が集まる家とは、心の落ち着く場所であったりします。


自分が嫌なこと、したくないことを相手に押し付けない。

さりげないお手伝いが大切です。親切心を忘れないように。

家族皆でひとつのことをやり遂げると、終った後に一体感が得られます。

親は子供のことを思い、子供は親のことを思い、家族の絆が深まります。

親が一人で雪かきをしていたら手伝うこと。一人に押し付けない。

いやいや手伝いをしないこと。ただ、ただ、そのことに徹することです。

いやいやしていると、かえって疲れますし、はかどりません。

掃除する時には、掃除に徹する。雪かきをする時には、雪かきに徹する。

あからさまに見返りを求めないように慎みましょう。

身施によって徳を積むことです。

 

金品物品を施す。お米、野菜、衣類、おみあげ、プレゼント等・・・。

相手が必要としている物を施し与えることです。

財施によっても徳を積むことができます。お布施がそうです。


自分だけが得をすればいいと思うのは、ケチな考えです。

もらい得・・・。やってもらって当たり前・・・。

貰えるものは何でも貰うが、お返しすることを知らないでは・・・。

損する、得するの勘定なく、徳を積むことが大事です。

贈り物には、送り主の心がこもっているものです。

感謝の言葉とともに、物を贈る。感謝していただく気持ちも大事です。


思愛和施を行ずることは、結局、自分自身の為になるのです。

情けは人の為ならず・・・で、巡り巡って自分の為になります。

それには、忍耐も根気も必要です。

相手がいることですから、恩着せがましいことだと、

小さな親切、大きなお世話だと、思う人もいるでしょうし、

必ずしも、自分の思い通りにならないものです、が・・・。

楽しむこと・・・、そのことにつきます。


真言の数にこだわることなく、真言を唱えることも、楽しむ。

何遍唱えたのか分からないぐらい、唱え続けることです。


幸福感・・・。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ありがとうございました。


あなたの抜苦与楽の為に

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛


合掌

 

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八正道(はっしょうどう)の続き

2019年01月07日 14時31分39秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰依佛  南無帰依法  南無帰依僧・・・と唱えることと

南無一切三寶(なむ いっさい さんぽう)・・・と唱えることは同じ意味なのです。

三寶の中に、佛も法も僧も含まれているのです。

 

南無八正道

なむはっしょうどう


南無正見  

なむしょうけん


南無正思惟

なむしょうしゆい


南無正語

なむしょうご


南無正業

なむしょうごう


南無正命

なむしょうみょう


南無正精進

なむしょうしょうじん


南無正念

なむしょうねん


南無正定

なむしょうじょう

 

末広がりな正しい道を歩むには、

先ず不幸になる原因を明らかにします。

 

それは懺悔文にある、心の三毒である、貪 瞋 痴(癡)によると・・・

貪欲 瞋恚 愚痴(癡)による、身 語 意より生ずるところとなり、です。

 

欲深いこと。欲望にまかせて、執着してむさぼる心。

 

感情的に怒る心、恨む心。いきどおることです。

世の中、腹の立つことばかりですが、感情のまま怒りを爆発させますと、

せっかくの善い果報まで吹き飛んでしまいますので、

注意が必要です。短気は損気なのです。

 

愚かなこと。無知ということです。何に対して無知なのかというと、

一切の道理にくらいことであり、真理を見ない心の状態であること、

つまり、知らないということです。それは、四苦八苦の教えであり、

八正道の教えであり、南無帰依法の心なのです。

 

誤った考え方を改めること。

自己中心的な、感情主体で、責任転嫁する心が、

心に思ったことが、そのまま言葉となり、そして行為 行動となり、

その結果、不幸を招くのです。

 

心の保ち方を正しく、八正道の教えを聞 思 修する。

正見正思惟正語正業正命正精進正念正定

と、順番に説かれていますが、初めの正見から正思惟と段階的に正定まで

進めなければならないのでしょうか。

 

正しく見ることが出来て、正しい考え方が身につく。

正しい考え方が身につけば、言葉遣いが変わる。

無駄話を続けることよりも、お互いに実りのある言葉遣いにより、

お互いがためになる内容のある会話が出来るように成り、

行為 行動が変わり、規則正しい生活ができる。人間らしく生きられる。

その為には、常に精進 努力を続けることができ、怠けることなく、

正しいことを念ずることができ、邪まな心を起こさないようになり、

正しく精神の統一することが出来るから、人間らしくいられる。

以上のような解釈の仕方もありましょうが、

先ずは、坐ることです。姿勢を正して坐る。

合掌する。正しい姿勢を保ち続けることです。

次に呼吸を調える。腹式深呼吸を続ける。

そして、心をリラックスさせる。

心の中のモヤモヤや、嫌なことなど、それらのことを吐く息に込めて

吐き出す、吐き切ります。次に、新鮮な思いを込めて、息を吸い込む、

全身を満たすように、息を吸い込みます

何度か繰り返し、心が落ち着いたところで、

八正道の教えを念じ始めるのです。

後は、日々の生活の中で、教えの内容を実践することです。

そのことが、そのままで、十善戒を守ることにもなります。

 

貪らずいからず愚痴らない

心の三毒 貪瞋痴。不幸の原因 貪瞋痴。

 

八つの正しい道理に、自らを照らし合わせて・・・

 

しあわせとは、遥か彼方にあるのではなくて、目的地に到着しなければ、

しあわせが得られないのではなくて、八正道を信じて歩み始めた時から、

すでに、しあわせは始まっているのです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

事の善悪幸不幸もすべて有り難い神佛のご加護なのです

では、このことを、正見してみましょう。

 

終りまで読んでいただき、ありがとうございます。ありがとうございました。

 

あなたの抜苦与楽の為に・・・

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

合掌

 

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倖せに成るための八正道(はっしょうどう)とは

2018年12月19日 08時34分50秒 | 秘密の教え・密教とは

釈迦牟尼佛陀さまの教えに

八正道(はっしょうどう)というさとりに至るための実践方法があります。

八つの正しい道ということです。正しい道を歩むということです。

 

正見   しょうけん

正思惟  しょうしゆい

正語   しょうご

正業   しょうごう

正命   しょうみょう

正精進  しょうしょうじん

正念   しょうねん

正定   しょうじょう

 

先ずは、八正道という教えを知るということ。

 

正見とは・・・正しい物事の見方をするということです。

生老病死。愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五薀盛苦。

四苦八苦の真理を明らかにして、原因 結果の道理を信じて、

物事に対して正しい見解を持つということです。

自己中心的なものの見方を、偏ったものの見方をしない。

十善戒の不邪見ということになります。

 

正思惟とは・・・正しい思い。正しい考え方をするということです。

常に佛・法・僧を思い続けることでもあり、

悪意、怨み、憎しみの思い、邪まな考えを起こさないことです。

欲にふけらず、貪らず、瞋らず、害なう心のないこと。

十善戒の不慳貪、不瞋恚ということです。

自己中心的な考え方をしない。感情的にならないこと。

責任転嫁しないこと。聞 思 修の思です。

 

正語とは・・・正しい言葉遣いです。実りある言葉遣いでもあります。

十善戒の不妄語、不綺語、不悪口、不両舌ということです。

愛情のこもった言葉遣い、思いやりのある言葉遣いを心がける。

愛語の精神が大切です。とげのある言葉、言葉の暴力等、

口は禍の元です。言葉遣いには十分に気お付けましょう。

人を生かすも言葉、殺すも言葉です。

 

正業とは・・・業とは行為ということです。行いを正すということです。

正しい行動をとる。善いことは率先して行い、

悪い行いは極力避けるようにする。

常に人様に迷惑をかけないよう心がけ、行動しましょう。

十善戒の不殺生、不偸盗、不邪淫ということです。

 

正命とは・・・規則正しい生活をする。自らの命を育むということです。

人間として恥ずべき生き方を避けること。

身口意の三業を清浄にして、身心健全を心がける。

 

正精進とは・・・努力精進。正しいことに向って怠ることなく努力すること。

一生懸命になって努力する。向上心を忘れない。

日常生活の中で八正道を行ずる。聞 思 修の修です。

 

正念とは・・・正しい想念。正しい念(おも)い。正しく思慮深い心を保つこと。

常に佛 法 僧を念ずることです。正しい集中力。

常に真実を求める心を忘れない。八正道の教えを念じ続ける。

正しい心がけ、正しい心がまえ、正しい心遣いです。

優しい心、思いやりの心、慈悲心を育みましょう。

 

正定とは・・・正しく精神を統一すること。身口意の一致、三昧に入るということ。

手を合わせ、口に真言を唱え、心に大日如来さまを想うことで、

三昧(さんまい)入るのです。心をひとつにすること。

雑念や邪まな心を離れ、安心(あんじん)を得るという。

迷いのない、安定した心の境地に入ることです。

 

八正道ということを常識とする。

常に、自らの身 口 意の三業を真実の教えに照らし合わせて、

道を外さないように、一生涯を歩んでいただければ幸いです。

それは、あなた自身の為であり、あなたの周囲にいる人々の為でもあります。

 

神佛の加護をありがたく、素直にいただき、悩み 苦しみから解放され、

真の倖せをつかまれてはいかがでしょうか。

 

密教の教えはさとりに至る道のりの中で、

現世利益がいただけるということです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

教えを信じて、実行する。

神佛は影のごとくに、寄り添ってくれております。

 

ブログ読者の抜苦与楽の為に・・・

 

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

最後まで読んでいただき、ありがとうこざいます。ありがとうございました。

 

合掌

 

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聞・思・修(もん・し・しゅう)の教え

2018年12月15日 12時18分26秒 | 秘密の教え・密教とは

聞 思 修(もん し しゅう)という教えがあります。

 

先ず、とは、聞くこと。読むこと。知ることです。

教えを聞く。教えを読む。教えを知ることです。多聞ということです。

 

次に、とは、見聞したことをよくよく考えること。

ただ闇雲に何でもかでも信じればいいということではありません。

教えを思うこと。教えの内容をよく吟味することです。

 

次に、とは、日常生活の中で教えを実践することです。

修行するということ。教えを得たならば行ずることです。

 

そして、信心・信じる・信ずる心です。では、何を信じるのでしょうか。

それは、佛・法・僧の三寶を信ずることです。

 

南無帰依佛 なむ きえ ぶつ

佛教の開祖 大恩ある釈迦牟尼佛陀さまを信ずる。

密教の教主 大毘盧遮那(だいびるしゃな)如来さまを信ずる。

 

南無帰依法 なむ きえ ほう

佛教の開祖 釈迦牟尼佛陀さまの教えを信ずる。

密教の教主 大毘盧遮那(だいびるしゃな)如来さまの教えを信ずる。

 

南無帰依僧 なむ きえ そう

三国伝灯列祖の諸大阿闍梨耶。

釈迦牟尼佛陀さまの教えを護持してこられた出家修行者たち。

正法護持の佛教教団。祖師先徳方。修行者たちを信ずる。

 

 一心頂礼 十方法界 常住三寶

いっしん ちょうらい じっぽう ほうかい じょうじゅう さんぽう

一心頂礼 十方法界 常住三寶

いっしん ちょうらい じっぽう ほうかい じょうじゅう さんぽう

一心頂礼 十方法界 常住三寶

いっしん ちょうらい じっぽう ほうかい じょうじゅう さんぽう

 

次に、常に懺悔(さんげ)感謝の真言念誦(ねんじゅ)を忘れないことです。

 懺悔文(さんげもん)

我昔所造諸悪業 が しゃく しょぞう しょ あくごう

皆由無始貪瞋痴 かい ゆう むし とん じん ち

従身語意之所生 じゅう しん ご い し しょしょう

一切我今皆懺悔 いっさい が こん かい さんげ

 

我、昔より造りし所の諸の悪業は

皆、無始の貪 瞋 痴に由る

身 語 意より生ずる所なり

一切を我、今、皆、懺悔したてまつる

 

三寶のみ名を唱え、至心に懺悔するのです。

これから先、受けるべきであろう悪業の報いを

大難から中難に、中難から小難に、小難は無難に変える。

ご加護を得るためには、真言を唱えることです。

行住坐臥(ぎょう じゅう ざ が)日常の振る舞いの中でも

常に懺悔心を、常に真言念誦を心がける、心構えが必要です。

例えば、歩きながら、待ちながら、坐りながら、横になりながら

心の中で、懺悔文を唱え、真言を念誦するのです。

 

真言念誦

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

一心に真言を唱える。ただ、ただ、感謝の心で唱えさせていただくこと。

必ずしも佛前にて行うこととせずに、行住坐臥においても念じ唱えること。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

開経偈(かいきょうげ)

無上甚深微妙法 むじょう じんじん みみょうほう

百千万劫難遭遇 ひゃく せん まんごう なん そうぐう

我今見聞得受持 が こん けんもん とく じゅじ

願解如来真実義 がん げ にょらい しんじつ ぎ

 

無上、甚深、微妙の法は

百千万劫にも遭い遇うこと難し

我、今、見聞し、受持することを得たり

願わくは、如来の真実義を解し奉らん

 

そして、一生の間、信心を持続させることです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

神佛の加護をいただき、この身、今生において

即身に成佛させていただく。

 

前回のブログから時間が過ぎましたが

私自身、以上のようなことが感じられ

あらためて再確認させられる

今日この頃なのです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。ありがとうございました。

このブログを読んでいただいた方々の抜苦与楽のために・・・

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

合掌

 

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自殺しない 救われるには

2018年09月03日 14時15分05秒 | 秘密の教え・密教とは

私は このように聞きました。

我れ、昔より造りし諸の悪業は

皆、無始の貪 瞋 癡に由る。

身と口と意より生ずる所なり

一切を我れ、今、皆、懺悔(さんげ)し奉る、のだと・・・

 

懺悔(さんげ)の文といいます。

我昔所造所悪業  が しゃく しょぞう しょ あくごう

皆由無始貪瞋癡  かい ゆう むし とん じん ち

従身口意之所生  じゅう しん く い し しょしょう

一切我今皆懺悔  いっさい が こん かい さんげ

 

自殺をする子供が増えているようです。

大人が自殺をする。そのことを見て、子供が真似をする、のでしょうか・・・

自殺者の増加は相変わらず、自殺者の低年齢化と

死ねば楽になれると・・・安易な考え方が蔓延することを危惧します。

 

誰もが、一度くらいは、自殺を考えたことがあった方や

あるいは、自殺を思いとどまった方も

または、自殺など考えたこともない方も

様々いらっしゃるのではないでしょうか。

 

自殺の原因も、自殺者の数だけあると思います。

生きること自体が苦しみであるとの悲観的な考え方に囚われ

自らを死へと追いこんでしまう、もう死ぬしかないと・・・

イジメを苦に死にたいと・・・死ねば、イジメられるということもないと・・・

自分を殺してしまえば、死苦をもこえて

生きる苦、老いる苦、病苦による、肉体的苦しみ、精神的苦しみから

あらゆる悩みから解放されると・・・現実から逃避すれば・・・

イジメられることのない世界、悩み苦しみのない世界に・・・

DV、モラハラ、パワハラ、セクハラ、ストーカーから逃れたいと・・・

 

佛教では殺生を第一番目の戒めとしています。

佛教徒は十善戒を受け、十善戒を保つようにする、心がけが大事です。

他人を殺すこと、自分を殺すことは、他人を殺さしめる、自分を殺さしめることは

殺生の罪を犯すことになります。不殺生戒を破ることになるのです。

このことは、戒を受けようが、受けまいが、悪業の因となります。

 

自殺すれば、死ねば、死ぬことによって、今までの、今の苦しみから

逃れられるということは、絶対にあり得ないのです。

死ぬことによって、その原因が、業果が解消・解決される訳ではないのです。

その原因は、そのまま残り、新たに重い罪を造ったことになるのです。

懺悔(さんげ)することも知らずに、懺悔(さんげ)することも出来ずに・・・

身体を失ったことにより、懺悔行が出来なくなってしまうのです。

そして、自らが救われる道までも断ってしまうことになるのです。

 

過去の因を知らんと欲せば その現在の果を見よ。

未来の果を知らんと欲せば その現在の因をみよ。

 

自殺までしなくとも、人間はやがて死ぬのです。

生きているうちに懺悔(さんげ)することです。

自らの過去の罪、悪業を懺悔(さんげ)し続けることです。

これは与えられた試練です。自業自得の結果なのです。

このことに目をつむって生きるということは、苦しみ以外ないのです。

 

やがて死ぬのですから、死ぬまでに、生きるということを考えてみましょう。

せっかくいただいた、身と口と意です。大切にしなければなりません。

人間界に生まれたからこそ、信心をして、救われるのです。

 

災い転じて福となす。

 

懺悔行をして、常に懺悔心と真言念誦を心がけることにより

生き甲斐を見出し、自分を生かし、自分を生きる。

心のよりどころを得、心の糧とする。

 

これから先、よりよく生きるために、神佛の加護を心から願うのです。

神佛を信ずることなくして、加護は得られるものではありません。

 

今は、死なないでください。

 

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

 

因なくして果を得る この処(ことわり)あることなし

自殺したいという思いを、生きるという希望に変える・・・

生きたいという希望に変える・・・

 

この教えを聞き終りて

皆、大いに歓喜して

信受し奉行せり。

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。

ありがとうございました。

 

合掌

 

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唯我独尊(ゆいがどくそん)

2018年07月07日 13時49分10秒 | 秘密の教え・密教とは

あの人達は死刑執行される為に、この世に生を享けたのでしょうか。

 

天上天下 唯我独尊 (てんじょう てんげ ゆいが どくそん)

と、云う教えがあります。

 

天にも、地にも、唯、我れ独り尊い、と云う意味です。

これは単なる独り善がりのことではありません。

 

我れ独り、自分だけが尊い、と云うことでもありません。

他人などは、どうでもいい、他人無視の自己優先

自分さえ善ければいいと云う、独善でもありません。

 

一切衆生、生きとし生ける者、独り独りが尊い、と云うことです

自分も他人も、平等に、独り独りが、唯我独尊なのです

 

本質的に、自他共に唯我独尊である筈なのですが、

そのことを知らずに、教えられない人間にとっては、

佛縁も、信心も、自覚も、覚醒も、ありえません。

 

自らの生命の尊さを知らずに、

ましてや、他人の生命の尊さを知らないからこそ、

ああいう悲惨なことが平気で出来るのです。

 

ここで勘違いしてはならないのは、

生命の尊さには、差別がないと云うことです。

生まれたばかりの赤ちゃんと、小さな子供たち、童男童女、

成人男性女性、高齢者と、老若男女と姿形の差はありますが、

小さな子供だからと云って、小さい生命ではないのです。

大人だからと云って、大人の生命だけが価値があるなど、

老人だからと云って、生命の価値が低くみられるなど、

あってはならないことです。

 

世間が悪い、社会が悪い、あいつ等が悪いと、

恨んで目の敵にして、逆恨みも甚だしい限りです。

 

感情的で、平気で責任転嫁する。悪いのは自分のせいなのです。

そのことも知らずに、善悪の区別もろくにつかない。

 

自己中心的な三業により、苦を招いているのです。

そして、自分には価値が無いなどと勝手に卑下して、

死にたいなどと思いながらも、死の恐怖に恐れをなし、

他人を殺したい願望が生まれ、悪願が成就される。

殺人者と成り下がり、死刑執行により、死にたい思いが叶う・・・。

 

結果的に、その人達の人生は何だったのかと・・・。

悔い改めることが出来ただろうか。

 

伝教大師(でんぎょうだいし) 最澄(さいちょう)さまの教えに

生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪とならんがあります。

 

生きている間に善を行わなかった者は、

生が尽きた後、地獄へとおもむき、

薪として焼かれることに成るのです

 

火葬された上に、地獄の業火にて、

業果が尽きるまで、焼き続けられるのです。

地獄に堕ちて苦しむ結果に成るのです。

 

肉体はすでに骨となってしまったのに、

何ものが苦しみを味わうのでしょうか。

それは、死後、意識が残るのです。

識心が悪果を受けるのです。

 

これは、私が小僧時代、末寺の小さな寺で、

夕方の勤行をしていた時、お堂の外に気配を感じました。

もし、信者さんが参拝に来られたのなら、足音や息遣い、

何かしら言葉を発していたと思いますが・・・。

姿形は見えませんでしたが、何かが確実にいました。

イメージとしては、肉体のない人間の形をしたもの、

とでも云いましょうか、決して気のせいではなかったのです。

その後も、何度か、そのような体験をしました。

ああ、これが、亡くなった方の識心ではないかと。

 

人間として、この世に生を享けた限り、生きる上で善悪をわきまえて

善業を積んで、有意義な人生にしたいものです。

 

そこで、善悪の判別の基準とは、何かです。

 

十善の教えを保つことが、であります。

不殺生。不偸盗。不邪淫。

不妄語。不綺語。不悪口。不両舌。

不慳貪。不瞋恚。不邪見。

 

十悪を行うのが、であります。

殺生。せっしょう。偸盗。ちゅうとう。邪淫。じゃいん。

妄語。もうご。綺語。きご。悪口。あっく。両舌。りょうぜつ。

慳貪。けんどん。瞋恚。しんに。邪見。じゃけん。

 

常に十善を心がける、心構えが必要になります。

 

十悪を犯した者は、救われないのでしょうか。

改心することにより、罪を償うことにより、救われるのです。

救われるには、罪の自覚がなければなりません。

生きているうちに、心から懺悔(さんげ)するしかありません。

自らの残りの人生を捧げ、懺悔をして、懺悔をして、

懺悔し続けることしかありません。

 

我、昔より造りし、諸の悪業は

皆、無始の貪 瞋 痴に由り

身 口 意、従り生ずるところなり

一切を我、今、皆、懺悔したてまつる。

 

懺悔滅罪、罪障消滅、無始以来の罪業

知ると知らざると犯すところの諸の罪

十悪業を懺悔いたします。

 

常に懺悔心を忘れないことです。

 

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。ありがとうございました。

 

このブログを読んでくださった方々の抜苦与楽の為に

南無大日遍照金剛 南無大日遍照金剛 南無大日遍照金剛

 

合掌

 

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