神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

現世利益の祈り

2017年08月06日 09時48分20秒 | 秘密の教え・密教とは

神佛の加護をいただくとは 現世利益の祈りをすることによって

お蔭をいただくことです。

お蔭をいただくとは 悩み 苦しみから解放されることです。

お蔭をいただくとは 悩み 苦しみから救われることです。

 

生きることは苦しみであると 釈迦牟尼佛陀さまは 教えを説かれました。

イジメによる苦しみも 現代の深刻な悩みごとのひとつです。

 

イジメの被害者である生徒が壊れてゆく。

いっそ死んでしまったほうが 楽になれると思わせるほどに

陰湿かつ悪質化の一途をたどっています。

では イジメの被害者である生徒は どのようにしたら

この苦しみから救われるのでしょうか。

 

イジメの加害者に イジメを止めるように促す。

イジメの被害者以外は全員が加害者である生徒たちに

誰が納得させ 説得させることができるでしょうか。

イジメは犯罪である。イジメは悪である。

イジメは人間のクズがすることである。

と どれだけの言葉をもって諭しても

加害者が逆に被害者となって

イジメの苦しみを味わわなければ分からないでしょう。

 

やがて イジメの加害者である生徒の 将来が壊れてゆくのです。

加害者の自業自得です。悪因の結果である悪果を受けるのは

悪因の原因を造った 加害者の身に災難として降りかかるのです。

イジメの加害者が やがて壊れてゆく。

加害者のほうが受ける苦しみは

本人が死の間際まで引きずってゆくことでしょう。

被害者一家に与えた悪業は 加害者一家にも悪果をもたらします。

 

イジメの被害者 イジメの加害者 イジメの傍観者

いつ何時 この立場が入れ替わるか分からないのです。

明日は我が身です。一寸先は闇です。

うかうかしてはいられないのが現実です。

 

イジメをする側も やがてイジメられるということを 知らないからです。

 

最愛の子供を失った両親の苦しみは

同じ苦しみを味わった者にしか理解できません。

加害者の家族の誰かが イジメを苦に死ななければならないの

かも知れません。

因果応報。因果は巡る。

 

釈迦牟尼佛陀さまの み教えには 嘘偽りはありません。

生老病死。愛別離苦。怨憎会苦。求不得苦。五薀盛苦。

四苦八苦。生苦 老苦 病苦 死苦。

 

不信心の者には 悪事災難 必ず来たる。

 

信心すれば お蔭をいただくことが出来ます。

信心の功徳は 肉体的にも 精神的にも及びます。

 

どうか 救われてください。佛縁を結んでください。

神佛の加護にすがり 神佛に願い 神佛を求めてください。

 

その方法とは

正座をします。背筋を真っすぐに伸ばして 両手は合掌します。

次に腹式呼吸をします。息を吐き切り ゆっくりと息を吸います。

お腹で呼吸をする感じです。そして 心を落ち着けてください。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

懺悔滅罪 さんげ めつざい

罪障消滅 ざいしょう しょうめつ

どうか この苦しみから 救われますように・・・

 

災い転じて福となす。

現世利益の祈りには

病気を治す力があります。

苦しみから救われる力があります。

加持力 (かじりき) といいます。

 

最後まで読んでいただき ありがとうございます。

ありがとうございました。

合掌

 

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信心と戒 自らを護ることになる

2016年02月12日 11時16分02秒 | 秘密の教え・密教とは

南無久遠実成本師 (くおん じつじょう ほんし) 釋迦牟尼佛陀

 

南無眞言教主

三世常恒清浄法身 (さんぜ じょうごう しょうじょう ほっしん)

大ビルシャナ如来

 

南無教令輪身 (きょうりょう りんじん) 大聖大悲不動明王

 

佛心とは 大慈悲心 これなり

 

私たちは 大日如来遍照金剛さまの

大慈悲心を信じ 続けなければなりません。

大慈大悲の み心を 信じ続けるのです。

 

大日如来遍照金剛さまの 大いなる智慧の光明は

私たちの心の中の闇を照らし  無明の迷闇を 照破して下さいます。

 

現実の太陽の働きには 日向と日陰が生じます。

が   大日如来遍照金剛さまの働きには

日向も日陰も生ずることはなく

常に光明の世界しかありません。

 

闇を除き 光明は遍く 光り輝く  とは

大日如来遍照金剛さまの

智慧の徳を現しております。

 

大日如来遍照金剛さまの 慈悲の徳とは

すべてのものを慈しみ  育むという お力があります。

 

光明は 消滅すること無し、とは

大日如来遍照金剛さまの真実在は

その光明は 生じたものでもなく 滅することもない

永遠  無限  絶対なる真実在なのです。

 

おん あ び ら うん けん  とは

大悲胎蔵生マンダラの 大日如来さまの ご眞言です。

 

おん ばさら だと ばん  とは

大智金剛界マンダラの 大日如来さまの ご眞言です。

 

正しく坐り 姿勢を正し 合掌して 呼吸を整え

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

と、唱えながら 心の中では

南無大日遍照金剛信心する  と念じ続けることです。

ただ ただ 信心し 続けることが肝要です。

 

例えば 嫌なことを思い出したり

悩みごとが頭の中を よぎったりした時は

そこで考えることを 思い煩うことを 止めることです。

そして ただ ただ

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

眞言念誦に専念することです。

 

大日遍照金剛さまを信心します 

信心を深めますと 心で念ずるのです。

そして 頭の中と心を 常にクリーンにしておくことが 大切です。

 

次に 戒を  戒めを護る  とは 自らの身を護ることになる。

殺さない

盗まない

邪淫しない

嘘をつかない

悪口を言わない

最低でも この五つの戒めを 護るように心がける。

このような 心構えを 常に持ち続ける。

 

そして 行住坐臥 常に

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

大日遍照金剛さまを 信心  信心  信心なのです。

 

大慈悲心 大慈大悲の み心が

私たちを 包み込んでいる世界

私たちを 育んでくださる世界

この現実世界と 真実の世界  真理の世界は

み心で繋がっているのです。

そのことを サトル。

すべては 元一つの同体であると・・・

 

願わくは この功徳を以て

遍く一切に及ぼし

我等と 衆生と

皆 共に 佛道を成ぜんことを・・・

 

合掌

 

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真実の体験者

2015年11月08日 05時23分06秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰依佛  私は佛陀・釈尊に帰依いたします。 

大日遍照金剛さまに帰命いたします。

 

南無帰依法  私は佛陀・釈尊の お覚りになられた み教えに帰依いたします。

佛陀に成るための み教えに 帰依いたします。信心いたします。

 

南無帰依僧  私は佛陀・釈尊の み教えを 伝えてくださった

お弟子さま方 僧に帰依いたします。

 

佛寶 法寶 僧寶の 三寶を心に念じます。 南無一切三寶

 

まずは 信じる心を育んでください。

信心する。

 

私たちは 真実の体験者なのです。

肉体的な苦悩である 生苦・老苦・病苦・死苦が それです。

 

生苦生きることの苦しみを知っていますし 感じています。

今の時代は特にそうです。

特に悩みや苦しみを抱えている人たちにとっては

生苦そのものを 直に体験しているのです。

信心しょうが 信心しまいがです。

釈迦牟尼佛陀さまは このことを覚られました。

 

老苦いつまでも赤ちゃんのままではいない。成長するということ。

少子高齢化の現代 老いることは苦しみなのです。

いつまでも若さを願っていても この世に生まれた限り

人間 老いることが真実です。

 

病苦病は苦しみである。四百四病といわれる病気の種類があるのです。

風邪をひけば 咳もすれば 熱も上がる。節々に痛みを感じます。

その最たるものは 癌でしょう。その苦しみたるは 業苦の表れなのです。

 

死苦死への恐怖。死ななければならない宿命があります。

すでに お亡くなりになった方々は 死を体験しました。

 

精神的苦悩もあります。

愛別離苦イジメにより自らの命を絶ってしまう。

両親や祖父母にとって 最愛の子供との 永遠の離別が それです。

夫は妻を 妻は夫を亡くす。祖父母を亡くす。

生別 死別。病死。交通事故死など。突然の別れ。

 

ここに問題があります。子供を亡くして 分かることがあるのです。

生きている今 イジメられなければならない苦しみは

生苦と死苦をも孕んでいます。

 

親の因果が子に報い です。

親が信心していないから また その親たちも信心していないから

不信心な 親にして 子や 孫に 加護があるわけないのです。

 

自宅に佛壇があって ご本尊さまに 先祖の位牌があって

ローソク 線香 ご飯に お茶や お水 お花に 供物を お供えして

朝晩のひと時 家族全員で 手を合わせて

ご本尊さまへの ご先祖さまへの 感謝の念を捧げている人間が

今の世の中 何人いるのでしょうか。

 

神棚があって 神社がお札をいただいて お祀りする。

榊を お水に お神酒 お塩に 洗米 あるいは ご飯を お供えして

作法通りに 朝夕のひと時に お参りしている人間が

今の世の中 何人いるのでしょうか。

 

怨憎会苦イジメの加害者と被害者の関係がそれです。

職場や家庭内などでのモラハラ パワハラも その中に入ります。

 

求不得苦 求めても得られない苦しみ。

自分の思い通りに ことが運ばないことへの苦悩が それです。

 

五薀盛苦ごうんじょうく と読みます。

難しい言葉ではありますが 自らの肉体的欲望

精神的欲望が盛んであるということ。

俺我 俺我 私我 私我ということに 執着し過ぎていることです。

 

誰にでも思い当たる節があるはずです。

もうそのようになっている事実 それこそが真実なのです。

四苦八苦の教えなのです。

 

南無釈迦牟尼佛  南無釈迦牟尼佛  南無釈迦牟尼佛

 

神佛に感謝する心。人さま 世間さま 自然さまに感謝をする心。

この感謝の心なくして 思いやりの心など育ちません。し

神佛の加護はいただけません。

 

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

 

信心する心があれば 行動に表れます。

背筋を伸ばして正座をして 手を合わせる。

腹式呼吸をして 心を落ち着かせる。

口に おん あび ら うん けん ばさら だと ばん と、お唱えする。

心の中では 南無大日遍照金剛 と念じ続ける。

このことを 同時に行うのが 密教の三密の行です。

 

密教の教えは 現世利益が得られ

信心を 信仰を続けることによって 即身成仏佛できる

生きた人間のためのものです。

 

例えば 病気のことで 悩んでいるとします

イジメのことで 悩んでいるとします

そのことを機縁に 神佛の加護を求めるのです。

神佛の加護がいただける人間に成ること。

 

教えに出遭ったならば 信心するようにする。

信仰心なくしては 救われることはないのです。

 

南無帰依佛  南無帰依法  南無帰依僧

 

以上のことを 迷信などと一笑に付す者は 地獄に堕ちるのです。

 

そうならないためにも この佛縁を大事にしてください。

 

終わりまで読んでいただき 有り難うございます。

 

合掌

 

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災難から逃れる方法

2015年06月09日 10時54分04秒 | 秘密の教え・密教とは

災難から逃れる方法はないでしょうかと言う質問に

江戸時代の曹洞宗の僧侶で良寛(りょうかん)さまが

災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候(そうろう)。

死ぬ時節には 死ぬがよく候(そうろう)。 

是はこれ 災難をのがるる妙法にて候(そうろう)、と答えられました。

災難に逢う時には 災難に逢わない方が

災難を逃れる方法ではないかと 勘違いしていました。

災難に逢う時に 災難に逢うことによって

災難から逃れられると言うことは

災難に逢わなければならない 因縁があったからです。

どのような時節に 災難に逢うのかは 誰にも分りません。

まさに一寸先は闇です。何が起こるかが分らないのが実情です。

裏を返せば 災難に逢わないような生き方をすればいいのでは、と。

つまりは 神佛の加護をいただくようにすればよいのでは、と。

次に 死ぬ時には 死ぬことが 死という苦しみから逃れられるとは

納得がいきましたが 自殺は生きることを放棄したということですから別です。

生きていくなかで 愛する人と別れる苦しみがあります。

愛する人と別れなければならない時には 別れればいい

怨み憎い者と会わなければならない時には 会えばいい

と言われても なかなか納得のいかないことでしょうが

そのことから逃げ回っていては 何の解決にもなりません。

苦を増すばかりです。

では 何のために 私たちは四苦八苦という

肉体的苦痛 精神的苦悩に苛まされなければならないのでしょうか。

自我への執着があるから この執着から苦しみ悩みが生じるのです。

この執着から離れることができれば すべての悩み苦しみから解放されるのです。

それには 密教の教えを信じて 即身成佛することです。

せっかく 人間に生まれることができて

幸いにも この世に生まれることができたということは

まことに有難いことなのです。

また たとえ人間に生まれることができても

佛法を聞くことは まことに難しいことなのです。

なかでも密教の教えに縁があるということは

このうえない幸せなのです。

三密の行 つまり 真言を念誦することは

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん と口に唱え

南無大日遍照金剛 と心で念佛することによって

真言そのものに成りきる。念佛そのものに成りきることが極意です。

常日頃から 大日遍照金剛さまを 心に想い続けること。

日常生活のなかで 常に 真言を念ずるように心掛ける。

心の持ち方を変えることです。

真実の教えの方に 合わせていく。

そして さとりを求める心をおこす。

さとりを求める心をおこしたならば 忘れずに持続することです。

大日遍照金剛さまを信仰することによって

大日遍照金剛さまの眷属である諸天善神さまに守護されることになるのです。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

 

ありがとうございました。

 

合掌

 

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四苦八苦を克服する

2015年06月03日 16時44分11秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰依佛 なむきえぶつ

南無帰依法 なむきえほう

南無帰依僧 なむきえそう

大恩ある釈迦牟尼佛に帰依し奉る。

真言教主大日遍照金剛さまに帰依し奉る。

佛教の教え 密教の教えに帰依し奉る。

正しき僧 正しき師に帰依し奉る。



四苦八苦とは、

生きる苦しみ 老いる苦しみ 病にかかる苦しみ 死ななければならない苦しみ

四つの肉体的苦痛と 生きるうえでの精神的な苦痛をいいます。

愛別離苦 あいべつりく

怨憎会苦 おんぞうえく

求不得苦 ぐふとっく

五薀盛苦 ごうんじょうく



愛する人 愛おしい人との別れ 離れなければならない苦 生き別れ 死別

怨みを持つ者や 憎しみを抱く者と 会わなければならない苦

求めても得られない苦 思い通りにならない苦

人間の身心の形成を五つに分けた五薀(ごうん)

色(しき) 受(じゅ) 想(そう) 行(ぎょう) 識(しき)から生ずる苦

四苦八苦を克服するには 苦を苦と認めて

懺悔の心と感謝の念を忘れないことです。

三密の行をすること。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん 真言を唱える。

南無大日遍照金剛と 心の中で念ずること。

生きる苦しみから 逃れるには 信心すること。

老いる苦しみから 逃れるには 歳をとることを楽しむ。

病気になる苦しみから 逃れるには 健康になること。健康を維持することを。

癌になるには 癌になる 原因がある。

心の中をスッキリさせる。頭の中をスッキリさせる。

そうすることによって 肉体に心地よさを与えることになるのです。

病は気から この気の部分を清浄にすること。

そして 健康体になってくるのです。

そのための 三密の行なのです。

精神的苦痛は 肉体にダイレクトに ダメージを与えます。

例えば 食事をしても美味しく感じられない 食欲がなくなったり

口の中が苦くなったり 何をしても楽しくなかったり 気の濁りが原因です。

我が強かったり 自己流の生き方 間違った生き方 考え方も原因です。

これには 懺悔の心と 感謝の念を持ち続けることによって解消されます。

四苦八苦を苦しむのではなく 感謝の心で対処していく。

懺悔することによって 大難は中難に 中難は小難に

小難は無難になるのです。

感謝の心と 懺悔の心を養う。

信じて 拝んで 行じることによって

今 受けるところの苦しみを感謝して受け止める。

そうすることによって ひとつひとつ 解決していくのです。

正しい姿勢で坐る。背筋を伸ばして 合掌する。

真言を唱えながら 心の中では 念佛する。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

信じないで 拝まないで 行じないでは どうすることもできません。

確かに葛藤はあります。何で どうして 私が こんなことにと 悩みます。

それは ひとつの偏った考え方なので この考え方を変える。

頭の中では思っていても 心が納得しない。腑に落ちない。

このことを 自分自身で納得するには 三密の行をすることです。

三密の行を 感謝の気持ちで続けることです。

毎日毎日変化しているのですから 毎日毎日行うことです。

要は心を爽やかにすること。心の爽やかさは

肉体にも爽やかさを与えることになるのです。

最後に死苦から 逃れるには 肉体は死にますが

命が死んだわけではありません。

死んでも死なない命。

信じて 拝んで 行ずることによって やがて そのことに気づかされるのです。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

終わりまで 読んでいただき ありがとうございました。

合掌

 

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人間としての正しい生き方とは

2015年05月05日 12時48分43秒 | 秘密の教え・密教とは

今を生きる 私たち 人間としての 正しい生き方とは 何でしょうか。

今の世において 悩み・苦しむのは

過去世において 自らが行った業の

報いを受けていることになるのです。


例えば 今 嫌な思いをさせられているのは

過去の世で 人間として生きていた時に

誰か 他人に嫌な思いをさせたからであり

その結果として 今 嫌な思いをさせられているのです。

そういうことを したから 同じようなことをされる。


今 現にイジメで苦しんでいるのは

過去において 誰かをイジメたからであり

自分が子供を虐待したという 過去世での出来事があったから

今 立場が変わって 虐待の憂き目に遭うのです。


無視したから 無視される。

原因は 自分にあった。結果は 自分が受ける。

これが因果の道理です。


では 過去世で どんな悪いことや 善いことをしたのかというと

その判断は 現在 こうして生きている 今

どのような状況下にあるのかを見るのです。

 

今 幸せであれば 過去において 善いことをした 果報なのです。

今 不幸であれば 過去において 不幸の種を蒔いていた。

 

過去の世に 人を無視したから 今 誰かに無視されたんだ。と

ああ そうか そういうことをしたから このような 結果を受けているんだな、と

こう 思うようにする。報いとして 素直に受け止めることが大切です。


今を生きる 一瞬・一瞬が 自ら犯した過ちという報いを受け続けている。

そして 今 一瞬・一瞬の 自らの思いが 考え方が 行為・行動が

未来世での果報の 原因を造り続けているのです。


過去があったから 現在があり やがて 未来へと続いてくのです。

過去世に原因があり この世で結果である 報いを受けながら

新たに原因を造り 来世に また 報いを受けることになるのです。


業因業果(ごういんごうか)。三世両重(さんぜりょうじゅう)の因縁といいます。

人生の本質は 苦であるという 真理を理解する。

苦の原因を明らかにする 明らかにする真理を理解する。

苦の原因は 貪り 瞋り 愚かさという 三毒の煩悩を消滅させることが

苦の消滅であるという真理を理解する。

いかにして 苦の原因を消滅させたらいいのかという

実践の真理を理解する。

正しい ものの見方。

正しい ものの考えかた。

正しい 言葉遣い。

正しい 行為・行動 行いをする。

正しい 生活をする。

正しい 努力をする。

正しい 思いをする。

正しく精神の統一をして 心 安らかにする。

自らの罪を意識して 懺悔(さんげ)をする。懺悔の心。

懺悔滅罪(さんげめつざい)。

常に 大日遍照金剛さまを念ずる。念じ続ける。

信心したならば 信心し続けること。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

自分自身に 手を合わせる。身・口・意を一致させること。三密の行をする。

感謝の心。全てのものごとに感謝する。感謝の念を持つ。

他人に迷惑をかけないように心がける。

今 自らが受ける苦しみに対して 感謝の念を持つ。

感謝の念を持って 感謝することが出来れば

罪障消滅することになる。

善果も 悪果も 自業自得なので

過ちや 罪を犯した自覚があろうが なかろうが

反省すること。心の中で謝ること。

 

姿勢を正して坐り 合掌する。

おん あ び うん けん ばさら だと ばん を唱えながら

南無大日遍照金剛と 心の中で念じ続ける。

 

今 生きているうちに 徳を積むことが 大事です。

 

合掌 

 

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拝み方のイメージ

2015年03月08日 17時16分44秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰命頂禮大日遍照金剛

なむ きみょう ちょうらい だいにち へんじょう こんごう

合掌して 心から 三返 唱えてください。

帰命頂禮(きみょう ちょうらい)とは

この身心(み こころ)を捧げて 教えに従います。と言うことです。 

南無帰依佛

なむきえぶつ

南無帰依法

なむきえほう

南無帰依僧

なむきえそう

私は 佛・法・僧の三寶(さんぽう)に 帰依いたします。

帰依とは 三寶に おまかせして 信仰いたしますとの誓いであります。


懺悔滅罪(さんげ めつざい) 罪障消滅(ざいしょう しょうめつ)を 祈ります。

自らが知ると 知らざると 犯すところの

諸の罪を 懺悔いたします。


頭の中も 心の中も 空っぽにします。と念じます。

なるべく頭の中にある考え 胸の内にあるモヤモヤを

晴らすようにしてください。


腹式呼吸で 息を整えます。リラックスしましょう。

懺悔の心 感謝の心で ご真言を お唱えします。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

心の中では

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

と 念じます。

心に 雑念とか 妄想とかが 起こらないようにする為です。

耳栓をして 小さな声で唱え続けますと 頭の中に

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん。と

響き渡り 音でいっぱいになります。

これは 雑音・騒音を気にせずに 専念できるようにする為なのです。

気を散らさないようにします。が、頭の中に浮かんでくる雑念は

気にせずに 無視して 続けてください。

生きている人間ですから 楽しい思いや 嫌な思い 悲しい思い等

腹の立つこと 頭にくるのは いたしかたのないことです。

思い浮かんでは 消えていく思いなのです。

とらわれないことが大切です。執着しないことです。


逆に その思いに執着し続けると その思いは増大し続けますし

連鎖反応で とりとめのないことになります。

悪い思い 悪業になりますので 注意してください。


常に 大日 遍照金剛さまを 心に集中することが大事です。

身・口・意を一致させる行 イメージすることが

三密(さんみつ)の行なのです。

身密(しんみつ)は 正座をして 合掌する姿を保つことです。

口密(くみつ)は 真実の言葉。真言を 唱えることです。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

と言う ご真言は そのまま 大日遍照金剛さまなのです。

意密(いみつ)は 心密(しんみつ)は 南無大日遍照金剛と念じ

一体であると 信じ続けることです。

雑念・妄想は意に介さないように 心がけましょう。

最初は五分くらいから 慣れてきたら徐々に時間をかけるようにしてください。

南無帰命頂禮大日遍照金剛

諸佛諸菩薩 諸天善神 当所鎮守 大小部類眷属

しょぶつ しょぼさつ しょてんぜんじん とうしょちんじゅ

                              だいしょうぶるいけんぞく

ご先祖さま ご先祖さま 両親 皆さまの お蔭さまです。

世間さまの お蔭さまです。 ありがとうございます。

との 感謝の気持ちで 終わりましょう。

最後まで 読んでいただき ありがとうこざいます。


合掌

 

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実修(じっしゅう)実証(じっしょう)を体験する

2015年02月08日 17時41分38秒 | 秘密の教え・密教とは

三密の行とは 自らの身・語・意をもって

大日遍照金剛さまとの一体感を 同体感をイメージするものです。


身密は 正身端坐する。正座をする。背筋を伸ばして坐る。合掌する。

合掌することで 大日如来さまと 私は一体であると 表現しているのです。

腹式呼吸を心がけ 深呼吸をして 頭の中と 心の中を空っぽにします。


語密は おん あ び うん けん ばさら だと ばん を唱えます。

この時 耳栓をして 小声で唱え続けますと ダイレクトに頭の中に響いてきます。

頭の中が おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん で満たされます。


意密は 南無大日遍照金剛さまを 念じます。

心を この念佛に 一点に集中させるのです。

つまり 心の中で 南無大日遍照金剛と 唱えるのです。


身・語・意を同時に行い 一致させるのです。

このことを 自分で自分をイメージするのです。

自分と 大日如来さまと 平等平等にして 別なものではなく

異なるものではありません。

 

このセルフ・イメージを持つことが大切です。


では ご本尊さまとしての大日遍照金剛さまを どこに置くのか。

このご本尊さまを 自らの心の中にある と想うのです。

自らの心の他に あるのではありません。


佛さまの心と 自分の心を 共鳴させるのです。

同調させるのです。波長を合わせる。

ひとつに成る。もとひとつの同体であるということを イメージするのです。


宇宙法界に 大日如来さまの 偉大なる み心は 遍満しているのです。

あなたの心の中に 佛性として与えられており 互いに繋がっているのです。

宇宙大の心と 自らの心は 直結しており 別々に存在するものではありません。

佛心と自心との 対立感の無い境地に至る。このことを体験するのです。


本堂に安置してある 佛像としての ご本尊さまを拝む時

佛像としての ご本尊さまと 自分との間に 距離感があります。

必ずしも一体・同体ではない 現実の距離があります。

この距離感を どう埋めるのかが大切です。


その為の 三密の行なのです。

自他の対立感という概念を無くし 遠近感を無くすことです。

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん


三密の行をしている時 自らを取り巻く現象世界と共に

ひとつに成っているのです。

頭の中を空っぽにして 余計な詮索は しないことです。

ただただ信心をする。ただただ真言を唱える。


毎日毎日 行うことによって 徐々にではありますが

セルフ・イメージしていることが そのまま 体得できるように成るのです。


精神を安定させて 精神統一する。

三密の行を 実修して実証を得る。

実修・実証とは 実際に自分で修行してみて 実際に自分で証明することです。

そして 悩み・苦しみから解放されて 安心(あんじん)

心の安らぎを得るのです。

 

自他法界平等利益の為に

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

 

最後まで 読んでいただき ありがとうございました。

 

合掌

 

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三業と三密加持の力

2015年01月30日 08時40分07秒 | 秘密の教え・密教とは

大日遍照金剛さまの大慈大悲のみ心に心から感謝いたします。

 

大日遍照金剛さまの三密(さんみつ)とは

身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)のことを言います。

 

真言教主・大日如来さまの 三密とは 秘密の働きのことを言います。

私たち凡人には とてもうかがい知ることのできない

不可思議なる救済の力である 大慈悲心の顕れであります。

 

身密とは 法界加持の力 宇宙法界に遍満する

大日如来さまの救済力のことです。

 

口密とは 真言加持の力 真言を唱えることです。

おん あ び ら うん けん

これは大悲(だいひ)胎蔵生(たいぞうしょう)曼荼羅

中尊(ちゅうそん)の大日如来さまの真言です。

 

おん ばさら だと ばん

これは大智(だいち)金剛界(こんごうかい)曼荼羅

中尊の大日如来さまの真言です。

 

意密とは 大悲加持の力

南無大日遍照金剛と心の中で 念ずることです。

 

正身端坐することです。正座をして合掌する。

背筋をまっすぐに伸ばして坐ることです。これが 身密です。

 

腹式呼吸で息を調えます。頭の中と 心の中を空っぽにします。そして

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

と 口で唱えることが口密・語密(ごみつ)とも言います。

 

念じて誦することが 意密です。

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん と唱えながら

心の中で 南無大日遍照金剛 と念じ続けるのです。

南無大悲加持力であり 南無真言加持力であり 南無法界加持力でもあります。

 

正身端坐する。正座をして合掌する。

口に真言を唱える。

意(こころ)で念佛するのです。

自らの身・口・意を一致させるのです。

これを三密行と言います。

 

大日如来さまと自分とが ひとつであると言う一体感を味わうのです。

修行と言うより イメージ・トレーニングすることです。

セルフ・イメージすることでもあります。

 

日常生活の中での 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)三業とは

身体で行う 行為・行動を身業(しんごう)と言います。

殺生すること ものを盗むこと 邪淫することが 悪業であり

殺生せず 偸盗せず 邪淫しないことを 善業と言います。

 

口業(くごう)とは 言葉づかいです。語業(ごごう)とも言います。

妄語を言う 綺語を言う 悪口を言う 二枚舌を使うことが悪業であり

妄語言わず 綺語を使わず 悪口を言わない 二両舌を使わないことを

善業と言います。

 

意業(いごう)とは 喜怒哀楽の感情 意思のことです。

慳貪(けんどん)むさぼり おしむ心。瞋恚(しんに)いかり うらむ心。

邪見(じゃけん)よこしまなものの見方。以上が悪い心の作用です。

不慳貪 不瞋恚 不邪見。 むさぼり・おしまない。いかり・うらまない。

邪見にふけないことを 心を奪われない・溺れないことを 善業といいます。

 

意(こころ)に思ったことが 行動・態度に表れ

言葉として口から発せられるのです。

 

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

 

加持力の世界の実在を信じて 大日遍照金剛さまの救済力を信じ続け

三密行という イメージ・トレーニングをしてみてはいかがでしょうか。

 

南無大日遍照金剛 ありがとうございます。

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

おん あ び ら うん けん  ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

 

最後まで読んでいただき ありがとうございました。

合掌

 

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心の安らぎ 心の豊かさを得る

2014年12月04日 09時03分47秒 | 秘密の教え・密教とは

大恩ある偉大なる釈迦牟尼佛に帰命し奉る。

 

もろもろの悪業を為さず もろもろの善い行いを奉り

その心を 自らの心を 浄くする。 これ諸佛の 教えなり。

これはこれ 佛さまの 教えであり 佛さまに成る 教えでもあります。

 

佛とは 決して 単なる死者

死んだ人間のことを 言うのでは ありません。

あと 死んだら誰もが 佛に成れるのでは ありません。

 

生きている間に 好き勝手放題な生き方をして

ろくに信心もせずに 神佛をないがしろにした

自らの罪は 死後 その報いを受けるのです。

 

あるいは 今 その自らの報いを受けながら

生きているのかもしれません。

 

佛教の勉強をしていると 必ず 地獄の存在と

その世界のあり様が 克明に記されていることに突き当ります。

とは 逆に 極楽世界のことも 教え残されています。

 

阿弥陀さまの 極楽国に 往生する教えです。

生きているうちに 南無阿弥陀佛と唱えれば

死の間際に 阿弥陀さまが 眷属を連れて お迎えに来てくださるという。

そして 阿弥陀さまの浄土 極楽世界に 生まれさせてくださる。

そこで 教えを聞き 修行して 佛陀(ぶっだ)に成らせてくれるという。

 

南無大恩教主釈迦牟尼佛陀

なむ だいおん きょうしゅ しゃかむに ぶっだ

とは 釈迦族に お生まれになり ご修行なされて 悟りを開かれた

聖なる 真理に目覚めたる 大恩ある 佛教の教主であらせられる。

その  み教えは こころの救いを 説かれました。

 

地獄 極楽の み教えは 悪いことをすれば 地獄に堕ちる。

善いことをすれば その果報により 極楽に生ずることができる。

 

悩み・苦しんでいる 今の 自分のあり様は 地獄の苦しみなのかもしれません。

 

あるいは このブログ 今まで書き記された 以前のブログの内容を信じて

南無大日遍照金剛と唱えることによって

心の安らぎを 得られた お方もあろうかと思います。

 

心の安らぎ 安心(あんじん) 安楽を得る。

心の豊かさ 豊浄(ほうじょう)を得る。

涅槃寂静(ねはん じゃくじょう)

煩悩の炎の吹き消された心の世界は

静寂なる心の世界なのです。無我の精神世界なのです。

 

俺我(おれが) 俺我 私我(わたしが) 私我ということではなく

おかげ おかげの 心です。

 

悩み・苦しみに 心を引かられずに 絶ち切る。

いつまでも そのことを引きずらずに 絶ち切って

安らぎの境地に 進まなければなりません。

 

佛さまの み教えを信じて 佛さまを信じて

その信じる 功徳(くどく)によって

迷いから解放されるという この安心感を得る。

そして 心を豊かにすることによって 自らの心を浄める。

 

すべての悩みや束縛から解放されて 円満なる安楽の世界に安住する。

そうです 心が救われることによって あなたの 今現在の環境が

変わって見えてくるのです。 要は 心のもちよう 心がけ 心構えなのです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

あなたが 祈ることにより 拝むことにより

大日遍照金剛さまである 釈迦牟尼佛陀さまから

祈られ 拝まれているのです。思い出してください。

 

あなたが 南無大日遍照金剛と 唱え続けることによって

あなたの 心に安らぎの 想いが生まれれば

自らの 心の豊かさを 感じとれればと

常に その縁を 大慈大悲として 与えられているのです。

 

信じ続ける この心が やがて 大日遍照金剛さまと 一体であるという

一心同体であるという 安らぎと 豊かさに 気づかされるのです。

今 この 生かされて 生きているうちに 信心し続けることが 何よりも大事です。

 

このブログを読んでいただいた あなたに 心から 感謝いたします。

それは 何故かというと あなたが いるから

あなたが 私の 心の糧となってくれているからです。

ありがとう ございます。

ありがとう ございました。

 

合掌

 

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