神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

心の安らぎ 心の豊かさを得る

2014年12月04日 09時03分47秒 | 秘密の教え・密教とは

大恩ある偉大なる釈迦牟尼佛に帰命し奉る。

 

もろもろの悪業を為さず もろもろの善い行いを奉り

その心を 自らの心を 浄くする。 これ諸佛の 教えなり。

これはこれ 佛さまの 教えであり 佛さまに成る 教えでもあります。

 

佛とは 決して 単なる死者

死んだ人間のことを 言うのでは ありません。

あと 死んだら誰もが 佛に成れるのでは ありません。

 

生きている間に 好き勝手放題な生き方をして

ろくに信心もせずに 神佛をないがしろにした

自らの罪は 死後 その報いを受けるのです。

 

あるいは 今 その自らの報いを受けながら

生きているのかもしれません。

 

佛教の勉強をしていると 必ず 地獄の存在と

その世界のあり様が 克明に記されていることに突き当ります。

とは 逆に 極楽世界のことも 教え残されています。

 

阿弥陀さまの 極楽国に 往生する教えです。

生きているうちに 南無阿弥陀佛と唱えれば

死の間際に 阿弥陀さまが 眷属を連れて お迎えに来てくださるという。

そして 阿弥陀さまの浄土 極楽世界に 生まれさせてくださる。

そこで 教えを聞き 修行して 佛陀(ぶっだ)に成らせてくれるという。

 

南無大恩教主釈迦牟尼佛陀

なむ だいおん きょうしゅ しゃかむに ぶっだ

とは 釈迦族に お生まれになり ご修行なされて 悟りを開かれた

聖なる 真理に目覚めたる 大恩ある 佛教の教主であらせられる。

その  み教えは こころの救いを 説かれました。

 

地獄 極楽の み教えは 悪いことをすれば 地獄に堕ちる。

善いことをすれば その果報により 極楽に生ずることができる。

 

悩み・苦しんでいる 今の 自分のあり様は 地獄の苦しみなのかもしれません。

 

あるいは このブログ 今まで書き記された 以前のブログの内容を信じて

南無大日遍照金剛と唱えることによって

心の安らぎを 得られた お方もあろうかと思います。

 

心の安らぎ 安心(あんじん) 安楽を得る。

心の豊かさ 豊浄(ほうじょう)を得る。

涅槃寂静(ねはん じゃくじょう)

煩悩の炎の吹き消された心の世界は

静寂なる心の世界なのです。無我の精神世界なのです。

 

俺我(おれが) 俺我 私我(わたしが) 私我ということではなく

おかげ おかげの 心です。

 

悩み・苦しみに 心を引かられずに 絶ち切る。

いつまでも そのことを引きずらずに 絶ち切って

安らぎの境地に 進まなければなりません。

 

佛さまの み教えを信じて 佛さまを信じて

その信じる 功徳(くどく)によって

迷いから解放されるという この安心感を得る。

そして 心を豊かにすることによって 自らの心を浄める。

 

すべての悩みや束縛から解放されて 円満なる安楽の世界に安住する。

そうです 心が救われることによって あなたの 今現在の環境が

変わって見えてくるのです。 要は 心のもちよう 心がけ 心構えなのです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

あなたが 祈ることにより 拝むことにより

大日遍照金剛さまである 釈迦牟尼佛陀さまから

祈られ 拝まれているのです。思い出してください。

 

あなたが 南無大日遍照金剛と 唱え続けることによって

あなたの 心に安らぎの 想いが生まれれば

自らの 心の豊かさを 感じとれればと

常に その縁を 大慈大悲として 与えられているのです。

 

信じ続ける この心が やがて 大日遍照金剛さまと 一体であるという

一心同体であるという 安らぎと 豊かさに 気づかされるのです。

今 この 生かされて 生きているうちに 信心し続けることが 何よりも大事です。

 

このブログを読んでいただいた あなたに 心から 感謝いたします。

それは 何故かというと あなたが いるから

あなたが 私の 心の糧となってくれているからです。

ありがとう ございます。

ありがとう ございました。

 

合掌

 

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