心の中に 三つの毒あり。
貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の悪い心を 三毒(さんどく)といいます。
我(が)ほど 恐ろしいものはありません。
そして 我痴(がち)・我見(がけん)・我慢(がまん)・我愛(があい)という
自我中心的の心が存在しているのです。
自我とは 他の対象と区別して 意識する自己。
そういう自分がいるのです。
貪とは 貪慾(とんよく)のこと。
貪(むさぼ)りの心。 むさぼる心。 執着する心。慾張りな心。
好きなものへの・好きなことへの強く・激しい欲求のこと。
瞋とは 瞋恚(しんに)のこと。
いかりの心。憎しみの心。嫌悪の心。感情的に怒ること。
気に入らないこと・ものに対して切れること。ブチ切れること。
嫌なものへの・嫌なことへの強く・激しい反感を持つ心。
癡とは 愚痴(ぐち)のこと。
愚かな心。不平不満の心。泣き言をいう。
正しい教えや道理・真理に対する無知のこと。
つまり 佛さまの教えを知らないこと。
我痴(がち)とは ものごとの道理に暗いこと。分らない知らないこと。
自分の本当の姿を知らない。自己の佛性(ぶっしょう)が分らない。
佛さまと ちっとも違わないということが ハッキリ分らない。
自己を疑うということ。
我見(がけん)とは 自分だけに こだわった ものの見方。
それぞれ個人個人が めいめい勝手な意見を持っていること。
独断と偏見を持っているということ。
我慢(がまん)とは 他の人と自分とを比較して 相手を侮る慢心をいう。
自慢する心。 高慢な心。自分を誇らしく思い 自分が一番 偉いんだと。
自分はすごい人間なんだと。勝手な思い込みをしている。
我愛(があい)とは 自分に執着する心。うぬぼれている。
自分をのみ ひたすら愛し続け 自分の愛のみに耽ること。
他人よりも自分が一番可愛いということ。
この三つの毒 と 四つの我に 心が害されることによって
私たちは悪業を犯すことになるのです。
不運・不幸の原因と成るのです。
それは 自業自得であり 悪因悪果となるのです。
そして さらに悩み・苦しむ原因となるのです。
これらの行為を根本煩悩(こんぽんぼんのう)といいます。
煩悩(ぼんのう)とは 身体や心を悩ませ かき乱し 煩(わずら)わせ
惑わし 身心を汚れさす 精神作用なのです。
つまり 正しい教えを信じることができないのです。
それ以上に 正しい教えに出合うことができないのです。
自己中心的で 自我中心的な人たちは 救われることが 難しいのです。
俺我(おれガ) 俺我 私我(わたしガ) 私我では
救われることが 難しいのです。
荒神経に 不信心の者には 悪事災難 必ず来る、とあります。
悩み・苦しみの本当の原因を知らずに 単なる自らの知識のみで
解決できるものではありません。
信じる心がない人は 心が三毒に 四つの我に
犯されていることを知らないのです。
では その解決方法はといいますと
悩み・苦しみの原因を知ることです。そして 教えを信じることです。
心の中にある三毒と四つの我の存在を信じて
その三毒が四つの我が
どのような働きをしているのかを ハッキリと知ることです。
そして 自らの心がどのようになっているのか 正面から向き合うのです。
誤魔化すのではなく 常に心の状態を把握しておくことです。
自ら行ってきた行為 悪い行ないを反省すること 自省することです。
決して 責任転嫁せずに 自己正当化せずにです。
知らず知らずに 他人に迷惑をかけていたり 嫌な思いをさせたり
辛い目に ひどい目に 遭わせたりしていたのです。
傷つけたり 陥れたり 裏切ったり 騙したり いろいろとあるものです。
悪業による悪因は 知らず知らずのうちに
他人にも悪影響を与えるものです。有縁な人たちや
友達 家族 恋人や 家にも 着るもの 他のものにも影響を与えます。
俗に言う 親の因果が子に報い、です。
自らの悪業を懺悔(さんげ)するのです。
懺悔する心なくして 救われる道はありません。
そして すべてのものごとに感謝できる人間に成る。
それには 正身端坐して 背筋を伸ばし
深呼吸をして 心を落ち着けます。
先ずは 冷静になることです。
今まで 自分が何をしてきたのか、省みることです。
懺悔することによって 自らの罪を軽くして
三毒に 心が汚されることがないように。三毒を起こさないように。
我痴・我見・我慢・我愛といった心に支配されないように。
そして 善行を積み重ね 功徳を積み
あなたの周りにいる人たちに対して
善き縁の影響を与えるようにして下さい。
善因も他人に善き影響を与えるものです。
神佛の加護の力は 私たちの生きる世界に遍満しています。
それを いただくには・・・
合掌
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