2001年9月11日、アメリカで飛行機がハイジャックされ、世界貿易センタービルとペンタゴンなどに激突し、多くの命をうばった。
そのビルに飛行機が突っ込んだ様を映像で見たのは銭湯に入った後だった。
あの時は銭湯あがりの人たちが、まるで力道山のプレイを見守った頃のテレビ中継さながらに見入っていた。
「こりゃ、世界の終わりなんじゃねぇの」
とか口にしている人がいたりした。
何せビルが見事に倒壊するし、アメリカの象徴的なビルが倒壊する様は、「終わりのはじまり」を予期している感じがしたからだった。
邦人の安否を気にするNHKのアナウンサーの声が耳障りだった。邦人の安否は必要かもしれないけど、あそこで見舞われた災害に苦しんでいるのは、国籍や宗派をこえた様々な人たちだから…。
ブッシュ政権(当時)は、このテロ事件をイスラム原理主義組織タリバンとビン・ラディンの犯罪と決めつけてアフガンを攻撃した。米国愛国者法が通過し、テロの実行者だけではなく関係する者への取締りや尾行、盗聴、図書館の貸出記録まで当局が必要とあれば調べられるようになった。テロ組織の犯罪抑止は、容易にヒスパニックやアラブ系住民への抑圧や監視につながった。
そしてアフガンを平定し、ビンラディンを拘束、処刑するや否やイラクの大量破壊兵器疑惑でフセインを悪者に仕立てあげての侵略戦争を行った。
実は、チェイニー、ラムズフェルドらが役員を連ねていたシンクタンクアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)は、1990年のイラクによるクウェート侵攻後の湾岸戦争で次の戦争を仕掛ける絵図を描いていたと言われている。
1998年1月30日付ニューヨークタイムズ誌には、PNAC所員による「イラクへの爆撃は十分ではない」を寄稿し、イラク武装解除プロセス全体を通じてイラクの政権交代を提唱している。サダム・フセインを米国とその中東同盟国、およびこの地域の石油資源に対する脅威として描写し、イラクの支配下にある大量破壊兵器の潜在的な危険性を強調するような内容だったという。
9.11同時多発テロ事件を利用し、国連憲章にも抵触する他国の政権転覆をも露骨に打ちだすアメリカという国の姿に、むき出しの国家的暴力という連想を浮かべるのは私だけではあるまい。
そして実は、アフガンに侵攻するアメリカを中東諸国の中には協力していた国もあった。イランもそうである。
イランのハタミ政権(当時)は、9.11テロ以降、アフガン、イラクへのアメリカの侵攻を冷静に分析し、反米意識を強めるイスラム原理主義的保守派と対決しつつあった。
国境を封鎖してアフガニスタンから逃れてくるタリバン兵の逃亡を阻止していた。アメリカによる戦争で、タリバン政権崩壊後はカイザル暫定行政府体制を支援して5億6千万ドルの復興支援をするなどしていた。ブッシュ政権の対テロ戦争に協力的だったイランに対して「悪の枢軸」と名指しする前の事であった。
「イランの善意を台なしにして、陰険なイランイスラム勢力を抑圧し、ビンラディンのやうなイスラム過激派の活動を助長することになっている」
としたのはイランへのアメリカの軍事侵攻後のハタミ政権の態度である。
それは、米軍を駐留させていたサウジや他の親米アラブ諸国の支配体制を揺さぶった。サウジアラビアでは、550億ドルの湾岸戦争による戦費負担と石油価格の低迷により失業率が25%にものぼった。そして王族を取り巻く階層だけが特権的な待遇を得続けることで不満は爆発した。エジプトに端を発したアラブの春はこうした不正を民主化する転機となったものの圧倒的暴力で鎮圧された。
このような理不尽なアメリカによ中東政策と国内での王族の腐敗と民衆への鎮圧は、イラクやシリアで台頭したイスラム国を容易に生みだしたのだろう。イスラム国による差別と憎悪による暴力は、少数民族や女性、他宗派難民だけではなく労働者農民にもむかった。また、アフガニスタンでは、タリバン勢力が復活した。この旧態依然としたむき出しの暴力を誰が生み出し、誰が被害を被るのだろうか。
これらの支配を終わらせられるのは、抑圧された人々による平等な民主主義社会の実現に向けた取り組みによってしかない。戦争による圧倒的犠牲者は私達であり、その命も戦費も未来にわたるツケを背負わされるのも私達だからだ。
(写真は、2002年フィレンツェで行われた世界社会フォーラムに100万人の人々がイラク戦争反対を訴えたデモ行進)