七十七年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ
たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年の子どもが
かなしそうに見ている
こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
(徳元穂菜「こわいをしって、へいわがわかった」より)
…77回目の沖縄慰霊の日がやってきた。毎年沖縄の生徒たちが訴えるものに、心を塞ぎたくなるような発言ばかり。なぜなら沖縄の子どもたちだけに強いるものがあると思うから。
そして今年もそうだった。
しかし今年は違う思いがまざまざとよみがえった。私も幼い頃に、彼女と同じような体験をしたからだ。
それは埼玉県にある丸木美術館に、母親に連れられていった記憶だ。
館内に入った途端に、油絵独特の蒸せるような匂いに圧倒され、巨大な漆黒のような図と対面したとき思わず逃げ出してしまったのだ。
あのあと外に出たときの木々のみどりが美しくて…。なぜあの時、じぶんがいたたまれない気持ちになったのか、そして青々とした木々の緑が強烈だったか。
「沖縄戦の図」を目にした7才になる徳元さんの感覚が40年以上前に体験した私の記憶を揺さぶった。
ただ「へいわがわかった」かどうかはわからない。木々のみどりがたいせつだとわかったのが私の漆黒の絵を見たときの感想かもしれない。
戦争は「こわい」、「かなしい」
それで十分。
これは大人となってはわからない「へいわ」を求める感性であること。40年近くたってその情景がよみがえった私も、今なおつづく戦場で、そして沖縄地上戦でしんでいる77年前の「7 才」もきっとこの思いだったに違いない。