よく行く本屋さんで、太宰治の人間失格が平積みになっていた。
映画の宣伝もかねて、短い予告が、平積みの上のテレビで何度も繰り返し流れている。
その場所を離れても、テーマ曲のアベ・マリアが追いかけてきていた。
大昔に読んだ、人間失格の話の内容を思い出し
大貫妙子の声が、ものすご~く優しくて
絶妙だぁ~と感じながら
癒しがあっても、ダメな人にはダメなんだよなぁ~
なぁ~んて思いながら本屋をうろうろしていた。
んで、人間失格の写真集なんか立ち読みしちゃって
ありゃ~、斗真君、似合うわぁと
なんかウキウキしてしまった。
斗真君いいよぉ~♪カッコイイ♪
人間失格は、作者の太宰治の自叙伝的な小説と言われている。
主役である葉蔵は、太宰治の退廃的な生活を投影しているらしい。
現代ではここまで出来る人はそういないと思われるデカダンスぶり。
映画の中で、斗真君がその生活をしてくれるのが
想像、妄想するだけど、なんかもう、うきうきワクワクしちゃうのである。
アベ・マリアが耳から抜けないからか?
何年かぶりに、人間失格を読んでみた。
たぶん、20年ぶりな気がする。
読むと言っても、本を読むよりやりたい事の多い毎日の今だから
思いっきり流し読みの斜め読み
感想・・・
やっぱ、この男、ダメだぁ
(笑)(笑)(笑)
何がダメかと言うと
この男とは付き合えないと思っただけの話し
人としてどうのとかは考えなかった。
いや、あまりに退廃的過ぎて、私には考えられない。
しかし、ツッコミ所は満載なのだ。
ツッコんでいたら、きりがないのである
人間失格の話しはちょっとおいといて・・・
私は、子供の頃から、読書感想文だけは得意にしていた。
読書感想文は、だいたい夏休みの宿題に出る。
小、中は、課題図書のほとんどが児童文学からのチョイスだったので
ほとんどが初めて読む作品だったから、
斜め読みも出来ず真面目に読んで書いていたが、
高校になると、課題図書に文学作品があったので、
本好きで色々読んでいた事もあり
感想文の課題を選ぶのも、読んだ事のある作品からになった。
私が感想文の課題として得意にした作家は、夏目漱石と太宰治。
好んで読書感想文の課題にしていた。
なんでかと言うと、ツッコミやすいからだった
読書感想文は、テクニックがあれば、良い感想文は簡単に書ける。
良い感想文と言うのは、この場合、コンクールに入りやすいと言う事だ。
書くときに、うっかりやってしまいがちな失敗は、
本の内容を書き続けて終わってしまう事。
これでは感想文にならない。
原稿の長さは決まっているから、
その中に、感想文に必要ないくつかの「条件」を書けば良いだけなのである。
本当に、感想文ほど書くのが楽な宿題はないと思っていた。
本来は、胸震わせた感激や感涙、
自分の思考に新しい考えを持たせた部分を書くのがベストなのだろうが、
ぶっちゃけ、そんな思いをさせてくれる本に出会う事は、そうそう無いと思う。
夏休みにちょっと本を開くだけの人では、
文字から想像して心を揺り動かす事が難しい。
で
私は気がついたのである
泣いたり、感動したりと、大きな心の揺れ動きがなくってもしなくても
ツッコミさへできれば、感想文は簡単に書けるんだと。
ツッコミ・・・否定や悪口、呆れ、なんでもじゃんと。
で、私には、夏目漱石と太宰治だった
この二人の文豪作品、嫌い・・・と云うわけではない。
随分と内容は忘れてしまったが、
(なんせ読んだのが、16~25歳にかけての大昔だから)
多分、文学全集にある作品は全て読んでいる・・・はず。
読めるのだが、苦手なんである。
主人公の男の人がダメなんである。
彼氏選ぶレベルで考えてダメ笑
容姿麗しく憂いのある主人公は、とっても魅力的なのかもしれないが、
イライラするのである
16歳の私も、39歳になった私も、
おんなじように、読みながらイライラした
そう! このイライラをツッコミまくり感想文に書くと、
コンクールに残る感想文が書けるのであ~る
高校の時に人間失格で感想文を書いた。
当日、やっと古典文学に興味をもちだし、
少しずつ色々な文豪の全集を読みはじめた時期だった。
幻想文学?に傾倒気味もあり、泉鏡花が大好きだった。
戯曲だが、天守物語が一番好き。
坂口安吾の幻想的な寓話、桜の森の満開の下などは今でも好きでしかたない。
幻想の中でも特殊だけど、夢野久作、江戸川乱歩。
耽美だから、幻想ではないのだろうけれど、谷崎潤一郎も好んで読んだ。
今でも、春琴抄の佐助くらい献身的に尽くされたいと本気で思う(大笑)
そんな流れでの読書なのに、
そこへ夏目に谷崎、森鴎外を読んだから受け付けなかったのか?
好きに選んで良い読書感想文であっても、久作や乱歩はさすがにマズイ
そう思って選んで読んでみたものの・・・
とにかく、そう、今だったら、『なんだコイツ!ウザ』と
一言出てしまうような主人公達。
好きな本、作品と云うのは、
読む人と作品のフィーリングが大事だから、私には無理だっただけなのだが
さてさて、人間失格にお話を戻す。
20年近くぶりに軽く読んで、
10代の頃は浮かばなかった感想?思いを持った。
主人公の葉蔵。
今も昔も、恋人にしたくないタイプの男子なのは変わらないのだが、
39になった私は、彼を不憫に感じた。
何をそこまで自分を追い詰めて
そんなになる前に、周りがどうにかしてやれなかったのだろうか?
太宰治の息子さんが、ダウン症だったと知り、
育てる大変さ(太宰が育てていたようには思わないけどさぁ)
心のものすごい弱い父親の悲しみを想像したからなのか?
これは、私が母親になったから湧いた思いかもしれない。
恋人にはしたくないが、息子であったら、痛々しすぎる。
同じ作品を、自分が年齢を重ねてから改めて読むと、違う感想がわくんだなぁ。
ずっと変わらぬ感想を持つ作品もあるけどね。
谷崎の春琴抄は、いつ読んでも16歳の私の気持で読んでるし。
人間失格。
映画、見に行きたくなりました。
原作に居ない、中原中也とか出てますけど
あの一人称の、ダラダラ?続く語りがどんな映像になってるのか興味あるし。
女優さん、魅力的だし。
なんせ斗真君が美しい
映画で見たら、また違う感想を持つのでしょうね。
うぅ~ん、見たいなぁ。
From ikusuke
映画の宣伝もかねて、短い予告が、平積みの上のテレビで何度も繰り返し流れている。
その場所を離れても、テーマ曲のアベ・マリアが追いかけてきていた。
大昔に読んだ、人間失格の話の内容を思い出し
大貫妙子の声が、ものすご~く優しくて
絶妙だぁ~と感じながら
癒しがあっても、ダメな人にはダメなんだよなぁ~
なぁ~んて思いながら本屋をうろうろしていた。
んで、人間失格の写真集なんか立ち読みしちゃって
ありゃ~、斗真君、似合うわぁと
なんかウキウキしてしまった。
斗真君いいよぉ~♪カッコイイ♪
人間失格は、作者の太宰治の自叙伝的な小説と言われている。
主役である葉蔵は、太宰治の退廃的な生活を投影しているらしい。
現代ではここまで出来る人はそういないと思われるデカダンスぶり。
映画の中で、斗真君がその生活をしてくれるのが
想像、妄想するだけど、なんかもう、うきうきワクワクしちゃうのである。
アベ・マリアが耳から抜けないからか?
何年かぶりに、人間失格を読んでみた。
たぶん、20年ぶりな気がする。
読むと言っても、本を読むよりやりたい事の多い毎日の今だから
思いっきり流し読みの斜め読み
感想・・・
やっぱ、この男、ダメだぁ
(笑)(笑)(笑)
何がダメかと言うと
この男とは付き合えないと思っただけの話し
人としてどうのとかは考えなかった。
いや、あまりに退廃的過ぎて、私には考えられない。
しかし、ツッコミ所は満載なのだ。
ツッコんでいたら、きりがないのである
人間失格の話しはちょっとおいといて・・・
私は、子供の頃から、読書感想文だけは得意にしていた。
読書感想文は、だいたい夏休みの宿題に出る。
小、中は、課題図書のほとんどが児童文学からのチョイスだったので
ほとんどが初めて読む作品だったから、
斜め読みも出来ず真面目に読んで書いていたが、
高校になると、課題図書に文学作品があったので、
本好きで色々読んでいた事もあり
感想文の課題を選ぶのも、読んだ事のある作品からになった。
私が感想文の課題として得意にした作家は、夏目漱石と太宰治。
好んで読書感想文の課題にしていた。
なんでかと言うと、ツッコミやすいからだった
読書感想文は、テクニックがあれば、良い感想文は簡単に書ける。
良い感想文と言うのは、この場合、コンクールに入りやすいと言う事だ。
書くときに、うっかりやってしまいがちな失敗は、
本の内容を書き続けて終わってしまう事。
これでは感想文にならない。
原稿の長さは決まっているから、
その中に、感想文に必要ないくつかの「条件」を書けば良いだけなのである。
本当に、感想文ほど書くのが楽な宿題はないと思っていた。
本来は、胸震わせた感激や感涙、
自分の思考に新しい考えを持たせた部分を書くのがベストなのだろうが、
ぶっちゃけ、そんな思いをさせてくれる本に出会う事は、そうそう無いと思う。
夏休みにちょっと本を開くだけの人では、
文字から想像して心を揺り動かす事が難しい。
で
私は気がついたのである
泣いたり、感動したりと、大きな心の揺れ動きがなくってもしなくても
ツッコミさへできれば、感想文は簡単に書けるんだと。
ツッコミ・・・否定や悪口、呆れ、なんでもじゃんと。
で、私には、夏目漱石と太宰治だった
この二人の文豪作品、嫌い・・・と云うわけではない。
随分と内容は忘れてしまったが、
(なんせ読んだのが、16~25歳にかけての大昔だから)
多分、文学全集にある作品は全て読んでいる・・・はず。
読めるのだが、苦手なんである。
主人公の男の人がダメなんである。
彼氏選ぶレベルで考えてダメ笑
容姿麗しく憂いのある主人公は、とっても魅力的なのかもしれないが、
イライラするのである
16歳の私も、39歳になった私も、
おんなじように、読みながらイライラした
そう! このイライラをツッコミまくり感想文に書くと、
コンクールに残る感想文が書けるのであ~る
高校の時に人間失格で感想文を書いた。
当日、やっと古典文学に興味をもちだし、
少しずつ色々な文豪の全集を読みはじめた時期だった。
幻想文学?に傾倒気味もあり、泉鏡花が大好きだった。
戯曲だが、天守物語が一番好き。
坂口安吾の幻想的な寓話、桜の森の満開の下などは今でも好きでしかたない。
幻想の中でも特殊だけど、夢野久作、江戸川乱歩。
耽美だから、幻想ではないのだろうけれど、谷崎潤一郎も好んで読んだ。
今でも、春琴抄の佐助くらい献身的に尽くされたいと本気で思う(大笑)
そんな流れでの読書なのに、
そこへ夏目に谷崎、森鴎外を読んだから受け付けなかったのか?
好きに選んで良い読書感想文であっても、久作や乱歩はさすがにマズイ
そう思って選んで読んでみたものの・・・
とにかく、そう、今だったら、『なんだコイツ!ウザ』と
一言出てしまうような主人公達。
好きな本、作品と云うのは、
読む人と作品のフィーリングが大事だから、私には無理だっただけなのだが
さてさて、人間失格にお話を戻す。
20年近くぶりに軽く読んで、
10代の頃は浮かばなかった感想?思いを持った。
主人公の葉蔵。
今も昔も、恋人にしたくないタイプの男子なのは変わらないのだが、
39になった私は、彼を不憫に感じた。
何をそこまで自分を追い詰めて
そんなになる前に、周りがどうにかしてやれなかったのだろうか?
太宰治の息子さんが、ダウン症だったと知り、
育てる大変さ(太宰が育てていたようには思わないけどさぁ)
心のものすごい弱い父親の悲しみを想像したからなのか?
これは、私が母親になったから湧いた思いかもしれない。
恋人にはしたくないが、息子であったら、痛々しすぎる。
同じ作品を、自分が年齢を重ねてから改めて読むと、違う感想がわくんだなぁ。
ずっと変わらぬ感想を持つ作品もあるけどね。
谷崎の春琴抄は、いつ読んでも16歳の私の気持で読んでるし。
人間失格。
映画、見に行きたくなりました。
原作に居ない、中原中也とか出てますけど
あの一人称の、ダラダラ?続く語りがどんな映像になってるのか興味あるし。
女優さん、魅力的だし。
なんせ斗真君が美しい
映画で見たら、また違う感想を持つのでしょうね。
うぅ~ん、見たいなぁ。
From ikusuke