塩と砂糖と毒薬を混ぜたドリンクはまるで日本国家のようである。
誰だって毒キノコと食菌は区別する。
それができないのが日本の教育制度である。
みんな毒にあたって死ぬであろう。
塩と砂糖と毒薬を混ぜたドリンクはまるで日本国家のようである。
誰だって毒キノコと食菌は区別する。
それができないのが日本の教育制度である。
みんな毒にあたって死ぬであろう。
西洋と違うのは上層部の教養の無さである。文化的教養がまるで猿である。
ヘッセも日本人には傑作文学が乏しいと言っている。文化的偉人は中国やインドには存在するが、小国の日本には存在しない。
日本人のノーベル賞はお粗末すぎる内容で受賞している。
人間には引き際がある。
年金をいつまでももらい続ける老人は穀潰しである。
老人になれば病気も増える。それで病院に行けば国家の医療費が増えるばかりであるし、さらに長生きをしてしまう。
噂を聞きつけた外人までが日本の治療を受けに来る。これらの費用は税金でまかなっている。働く人と企業税金である。
国力が弱まる原因に阿呆な国民と老人と外国人の増加にある。日本は三拍子揃ってしまった。
死後に天国があるなら若くて美しいときに旅立った方がよい。
醜い糞ババアに糞ジジイがこの世に一杯になるのに何の得があるのか。
昔は古希はまれであった。
仕事をしないで遊んでいる年寄りは死んだ方が良い。
若者の負担が増えるばかりである。
酸素ボンベにシェルパー、ついでに籠担ぎ、エベレストに登る手段はいくらでもある。
難しい登山はロッククライミングである。垂直にそびえる高山を征服することは本当の登山術がいる。体力・柔軟力・勇気・バランス感覚、どれ一つかけても挑戦できない。ロッククライミングにはシェルパーいらない。
壁に張り付くスパイダーマンが自分であると思うような人が、ロッククライミングに挑戦する。
大学のレベルが下がると、国力も下がる。
いまノーベル賞受賞者はほとんどトライアルエラーの実験を繰り返す人たちである。
共同作業や莫大な予算を使う人たちである。天才の仲間ではない人の受賞が増えている。特に日本ではそうだ。
スパコンは単なる計算機で、大事なのはソフト開発である。重要なソフトはほとんどが欧米の開発である。
数字の上でも先進国ではなく、発展途上国レベルにまで落ちている。
莫迦が増えると馬鹿笑いが増える。そうなると国が滅ぶときである。
スキのない安里容疑者の服装。かなりの高級品を着用している。その安里容疑者が検察の前で裸になり、生理ナプキンを投げつけたというのだ。
”夫婦で雲隠れしていたホテルの部屋に検察官が踏み込んだとき、乱暴なやり方に激怒した案里容疑者は“調べたければどうぞ”と服を脱いで全裸になり、生理中のナプキンまで投げつけたそうだ。(週刊女性)
塾から有名大学へ行くような阿呆は元は阿呆であるだけに、自立することができない。自分で考え自分で学習するのが昔の日本人であった。
帝大が存在したころ塾へ行くのはできの悪いボンクラたちであった。東進などと汚らしいものはなかった。「都の西北早稲田の隣、早稲田早稲田早稲田ゼミナール!」早稲田大学を受験するボンクラは早稲田大学に入学した試しはなかったが、今や塾からの入学生が大半を占める。
特別な研究をしたいわけではないが、就職に電通を選び自殺するだけの人生を送る。
ペストの場合、腋下・鼠径部にこぶ状の腫れ物が出来るので、見分けがつく。コロナもペストも流行の時にはサバクトビバッタが大発生する、コロナウィルスで安心するだけの備えではペストには太刀打ちできない。ペストはここ数年でも発生しており絶滅したわけではない。
平和を満喫し、飽食を満喫しているとき、地獄がやってくる。ペストは元気な若者ほど重症化する。14世紀に大発生した疫病は、世界の4分の1の1億人の死者を出した。ヘラヘラしている中高生・高校生はすぐ群れるのですぐ死ぬ運命にある。
田舎のスーパーでもマスク着用2m間隔。これは診療所でも同じ、体温測定も自分で行う。つまり非常事態宣言のままである。頓珍漢な国家はマスク配布にも給付金至急にもてこづってゐるが、対象である安倍晋三一家が間抜けなためである。
自民党議員は年間1000人の党員を確保するのに精一杯で、新型コロナウィルスのことなど上の空である。国民も阿呆だらけの国に新型コロナウィルスよりも恐ろしい現象が迫っている。
これが預言者の 御宣託である。
日本以外では、例えばスーパーのレジの女性でも向こうから話しかけてくることがある。飛行機に乗っていてもバスに乗っていても、日本ではほぼ他人との会話はゼロである。近所の人間とも永遠に0である。確かに日本人との会話は猿と話すように面白くない。THE YELLOW MONKEYと言われるゆえんであろう。
アメリカのTVドラマはかなり含蓄が深いが日本のTVドラマはどれもこれも見る元気を削がれる。
日本上陸前から洋書をamazonで買っていたが、その当時は本だけを売っていた。
今や万屋であり、日本での販売も世界中からの寄せ集めで、商品が届くのに何ヶ月もかかる。
おまけに欠陥品が増え、返品も返金もままならない。マスク被害も続出している。
amazonでは従業員のデモまで起きているが、不当解雇も問題になっている。もはや信用の得られる企業ではなくなっている。
通販は問題を抱えた企業が多いのは昔からである。インターネットが社会を変えたが富の一極化や流通の麻痺、商店街のシャッター街化、様々な問題を抱えている。
それでも便利なものを好む大衆は通販を利用する。
儲けるためには手段を選ばなくなってきたAmazonがいつまで続くやら。地方では店舗の閉鎖が連鎖的になって無店舗販売が増えている。東京に行かなければ直接商品を買うこともままならない。ところが店員とおしゃべり出来る場所もなくなった。