四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

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日本人は物への思い入れは深いが、人間への思いやりは浅い。

2015年05月17日 07時24分31秒 | 文学・思想
日本人にとってオリンピックは肉体の祭典である。

かつて社会主義国ではオリンピック選手を養成するのに選手をロボットのように扱った。食事にこっそりと薬物をいれドーピングによって筋肉を強化した。その分精神や肉体に異変を来たし、金メダリストが若くして廃人になっていった。

これが国家の指導のもとに行われた肉体強化の結末である。

しかし、今や世界中がスポーツにおいては、かつての社会主義と同じになっている。薬物こそ使わないがサプリメントで筋肉を強化しているいるし最短の筋肉強化のトレーニングを行っている。もちろんこの最短は最強のトレーニングであり肉体がパンクするぎりぎりのところまでトレーニングする。若くしてあまりの激しいトレーニングによって精神構造と肉体構造に異変を来している。

女子は生理がなくなり男性化するという。より速くより強くという目的以外にはなく、ひたすら金メダルだけを目指すのである。本人との意志とは別に少しでも才能があればかり出して強化チームへ引き釣り込む。

いよいよ日本でもスポーツ庁などを発足させ、金メダリストを増やすという。

時に部活動ではいじめや強制トレーニング(しごき)が増える。

日本ではスポーツの世界で先輩後輩の序列が厳しい。根性でもってトレーニングを果たそうとする。なおかつ日本では選手への暖かいまなざしも、おもてなしもない。

スポーツ選手はスポーツメーカや企業にとっては宣伝のターゲットとなる。時にメダリストが国会議員となるがその脳みその程度は肉体ほど強化されているわけではない。それでも日本の国民からは多數の支持を得ている。

つまり肉体といういわば物質。動物なら肉であり、生命の維持活動に役立つものとなる。日本源は食べられることはないとはいえ、今や物質的な商品の意味合いが強い。

企業でも頑強な社員を求めるのである。とにかく肉体系体育系は体力がある。企業にとっては24時間働き続ける社員が必要である。

ところがこのような社員は40歳を迎える頃から体力と精神に異常をきたし、大病を患うことが多いのである。

日本にはゆとりがない。スポーツはこのゆとりをますます殺してしまう。日本語には運動という言葉がある。スポーツはルールでがんじがらめである。ところが運動には別段ルールはない。一人で勝手に身体を動かせていればよい。メダルを目標にする必要もない。

人間を思いやり人間の事を考える人々がスポーツの事を話題にしている事はない。もっとも兵隊に置ける強化は別であるが、国家はスポーツ選手を必要とするよりも兵隊を求めることが多い。

今は軍事力を強化する時代である。スポーツが巷の人々を兵隊として訓練するにしてもスポーツの名を借りて老若男女に到るまで強化するのは良いかもしれない。


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