Facebookで5月10日のタイムラインにアップした記事です。
前回からの続きです。
*****************************
よく結婚式で「(相手を)幸せにすることを誓います」と誓い合う。
日常生活でも多くの人達が「幸せになりたい」と願っているはずだ。
僕が何年も前から心に抱いてて、昨年あたりから「あ~! そういうことね・・」と確信するようになったこととは?
「幸せになりたい」と願うのって「今現在、私は幸せではない」とイコールよね。
そして、「幸せになりたい」と願っている限り、人は一生、幸せにはなれないんだろうなぁ、と。
対象がコトでもモノでもお金でも人の心でも、人の欲望には限りがない、と考えれば当たり前のことなんだけど。
たとえどんな状況に置かれようと、今、ここにいる自分を幸せと考える、いや実感できない人が、どんなに愛しい異性と結ばれたとしても、幸せを感じるのは一瞬(長くて3年ぐらい)だろうなと。
前からよく書いてるけど、自分を幸せに出来るのは自分だけ(不幸も一緒よ)。
極端なこと言うけど、幸せな人同士じゃないと二人とも幸せである、なんてあり得ないんじゃないかな?
子供がいないばかりか、結婚した経験のない僕が言うのも説得力が弱いかもしれないけど、パートナーに依存する「幸せ」って結構、脆いんじゃないかな?
余談だけど、強い「依存関係」ってのは危険だ。
自分の勤める会社とか上司・同僚・部下、発注元・発注先などのパートナーに頼り頼られることは普通だけど、「依存」しきってしまうのは危険ということね。
自分の業務や職場のストレスにやられちゃう人って、必然的に愚痴ばかり言うし、そういう人って組織に「依存」しきっちゃってるわけ。。
「辞めりゃいいじゃん?」と僕が言っても、本人が「もう辞める!」と酒飲んで愚痴っても、まず辞めることはない。
だって「依存関係」にあるんだから当たり前でしょ?
ブラック企業から抜け出せない人達はそのいい例だ。
その企業を選んでしまった自分を否定したくないから、ズルズルと無駄な努力をしてしまう。
「認知的不協和」って奴だ(仮にも「マーケティング」と名のつく企業の人で、この言葉を知らんかったらモグリだかんね・・)。
男女の関係にも「認知的不協和」はあるよ。
僕も以前は、男と女というパズルを「完成」させることが「幸せ」じゃないかと当然のように考えてきた。
つまり「欠落を埋める」という考え方。
が、結婚をした数えきれない友人・知人・先輩・後輩たちを見てると、当然のことながら結婚=社会制度なわけで、別れた人達も多いし、ただ経済的なことや子供がいるからという理由だけで一緒にいる人達も少なくはない。
どちらかが浮気をすれば、裁判になったり慰謝料が発生することもある(契約違反)。
生涯未婚者、離婚・死別などによる単身世帯が増えた今でも、家族を作る結婚制度は強烈な社会通念だ。
人には子孫を残すという、何万年来の動物的本能もあるし。
30代後半の頃、職場の女性からこう言われたことがる。
「井上さん、その歳まで一人でいたら、これから人と一緒に暮らすことなんて無理よ。そうだ! 亀を飼いなさい!」
僕は亀を飼わなかったし、僕にそう言い放った彼女は程なく離婚した。
離婚した人たちを責める資格なんて僕にはない。
むしろ、依存関係の泥沼で喘いでる(実は好きで喘いでる)人達には、「さっさと別れた方がいいよ」とさえ言いたい。
でも、たとえ離婚に至らなくても、パートナーが齢を重ねるごとに「劣化」したとかいう愚痴を聞いたりすると、それって「あんたの責任でもあるわけでしょ?」と思ってしまう。
恋愛のほんの初期だけ、パートナーの存在によって自分が「いい男」や「いい女」に感じられたのかもしれないけど、月日が経てば逆にパートナーによって自分が貶められたり(正確には自分で自分を貶める)、価値のない存在のように自分で自分を洗脳しちゃう人達って多いんじゃないのかな?
何やってんだろうね? 他人事として見ると人って馬鹿みたいでおもろいんだけど。
そんで、死ぬ間際になって、「ああすりゃよっかった、こうすりゃよかった」なんて、ホントお馬鹿よね。
自分も散々、女性に対し申し訳ない言動を弄したこともあったけど、何で自分をコントロールできなかったのかわからなかった。
それに過去の話なんで、今は全く気にしていない。
世の中に「価値のない人」なんて一人としていないんだけどね、たとえ犯罪者でもよ。
「運命の人」「理想のパートナー」の話に戻るけど、二人は同時にこの世を去るわけじゃない。
安井かずみと加藤和彦は、明らかに「運命の人」同士の夫妻だったと思う。
勿論、稀有なパターンだろうけど、そういう「運命の人」と結ばれるのは幸運には違いない。
が、類まれなる「運命の人」安井に先立たれた加藤は、「あの素晴らしい愛をもう一度」手にすることはできないまま、自死されるまでの15年間を生きていらっしゃったんじゃないかと想像する。
加藤和彦だけじゃなく、僕の身の回りを見渡しても、男って脆いな、、とつくづく思う。
日本の自殺者が年間3万人を超えてると言われて久しいけど、男性の自殺者は女性自殺者の3倍よ。。
パートナーの女性に先立たれた男の辛さなんて、独身の僕が想像することじゃないかもしれないけど、やはり、「男女のパズル」が出来上がって「完全」って考え方はどうかな?
二人でいた幸せから「転落」してしまうのは辛く、立ち直るのに時間がかかるだろうけど、一人でいても幸せ、一人でも「完全」なんだよという状況を楽しめるのが一番だと思う。
僕は次男坊で、「井上家」は兄夫婦の子供(甥)が継いでくれるわけで、気楽な身分だからこんなことが言えるんだろう。
だから一般性はないかもしれないけど、それでも「誰かといようが、一人でいようが幸せ」な自分って幸せだと思う。
僕に「運命の人」「理想のパートナー」がいたらそれも良し、いなくて死ぬまで一人だったとしてもそれも良し。
どちらにせよ、僕って幸せなんだろうな。
***************************************
▼記事へのご意見、お問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 36,999、PDFダウンロード354突破しました!
私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。
音楽 ブログランキングへ
マーケティング・経営 ブログランキング