【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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『欲望解剖』 脳科学とマーケティングのフュージョン

2007年01月18日 | 書評
 脳科学者の茂木健一郎先生、法政大学大学院ビジネススクール教授の田中洋先生が各々のお立場から「欲望」を論じ、充実した対談まで収録した快著です。

 茂木健一郎先生は、TV番組の司会でも活躍しておられますし、書店の新書コーナーでは先生の著作を見かけぬことはありません。

 田中洋先生は、わが国のマーケティング、ブランド論の第一人者です。
 『企業を高めるブランド戦略』『デフレに負けないマーケティング』は私のバイブルですし、今の私は先生が翻訳された『世界最強CMOのマーケティング実学教室』を読みたくてウズウズしているのです。

 昨年(2006年)12月、この『欲望解剖』を購入し、そろそろ読み始めようとバッグの中に入れていたある日、田中洋先生と初めてお会いできたのは嬉しい限りでした。本書を読んだ後でしたらもっと良かったのですが贅沢は言いません(^_^;)。

(しまった! サイン書いてもらうんだった。。。でも本はアンダーラインと書き込みばかりになったし、先生にはmixiで「心の弟子」にして頂いたから、まだ機会はあるもんね~笑)
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 今まで、これからマーケティングの新潮流になるであろう「ニューロ・エコノミクス」関係の書籍は、G・ザルトマンの『心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす 』以外見当たらないと誰かがamazonのレビューに書いていたのですが、私も『心脳マーケティング』しか読んだことがありませんでしたので、ニューロ・エコノミクス入門書としても本書が刊行されたことの意義は大きいと思います。
 茂木先生は、経済合理性だけではな説明できない「異常項」の理論化を試みているのです。
 私もmixiで「神経経済学」のコミュ入ったし、ってことはどうでもいいか。。。
 それにしても幻冬舎さん、相変わらず刺激的な本出してくれますね(^_^)。

■記号消費からクオリア消費へ

 成熟消費社会におけるマーケティングでは、「クオリアの質の追求」のような芸術家的センスが必要とされる、という茂木先生のご持論、勇気づけられますね。

 「強化学習」「アディクション」「教師なし学習」「偶有性」「アタッチメント理論」「認知テロリズム」「昼間のセレンディピティと夜の意味統合」といった重要キーワードは、私の脳内でドーパミンを、ドーパ、ドーパと噴出させてくれます(古いね・・・)。

 ドーパミン、エンドルフィン、A10神経は、私が80年代に読みまくった栗本慎一郎氏の著作でお馴染みだったんですが、今、茂木先生のわかり易い理論を享受できることは幸せなことです。

 茂木先生のアタッチメント理論流で表現すれば、例えばルイ・ヴィトンやエルメスの勝負服、勝負バッグは、「世界に向かって自由に探索するための“安全基地”」ということになります。面白いですね。となると愛着を持たれる「ブランド」とは、人間が自由に生きられる、もっと「世界」を探索できるアイテムということになりますよね。

■文脈づけされた偶然の発見

 というのが、ネットワーク上におけるマーケティングの大命題とのこと、至極納得いたします。

 「消費者の性向や嗜好などを考慮した上で、そこに少しだけサプライズを加えることが、ストーンと脳に入っていくセレンディピティ」(65ページより)。

 「うまく偶有性を持たせ、半ば予想ができるけれど半ば偶然の要素」(同)。

 茂木先生は「夢」を「記憶の編集工程(互いに関係のあるものを結びつける)」と規定されましたが、このモデルはマーケティング(欲しい「モノ」と「ヒト」を結びつける)と同じ構造なんですね。
 そして今までそれを最も効率的にやってきたのがブロードキャスティング(マス・マーケティング)。これを茂木先生は「マーケティング1.0」と命名しています。
 こうなると私達にとって「マーケティング2.0」の姿は自ずと明らかになりますよね。

■普遍的な原則

 ところで茂木先生もそうなんですが、田中洋先生は、ベーシックな部分をきちんと押さえた上で、マーケティングの進化型・未来型を論じる方です。

 どんなに時代が経っても変わらないものがありますが、本質は変わらない、という立場から、マーケティングの起源はメソポタミアとのご説は、論理的で説得力があります。

  環境整備 → 大量生産 → 過剰(余剰生産)→ 選択肢増加(消費社会化)→ ブランド生成

 こういったベーシックな部分を押さえておけば、トレンドや流行は目まぐるしく変遷しても、「見失ってはいけない本質は見える」ということですね。

■「欲望機械」としての人間

 田中先生は、「欲望」を3段階に整理されています。

  1.欠乏としての欲望

  2.媒介としての欲望(顕示的欲求)
      *現代的な欲望には他者の欲望が入り込んでいるというジラールの理論より

 そして、第3の欲望が、「根源としての欲望」です。ジル・ドゥルーズと、フェリックス・ガダリ(注)らフランス現代思想家の、「人間」=「欲望機械」という概念に基づいています。

(注)80年代に20代だった私、最初「ドルーズ・ガダリ」という一人の人物だと思ったもんです(大汗)。

 フロイドの理論のように、まず「人間ありき」ではなく、まず「欲望」ありき。
 極端に俗っぽく言えば、「何だかわからないけど、心の奥底から欲しいから欲しいんだ~い」ということです。

 「何が」→「欲しい」ではなく、「欲しい」→「何が」という図式でしょうか。

 そう言えば、ラグジュアリ消費が満喫できるお金持ちになっても、「何が」欲しいのか自分でもわからない人がいますが、これも、

「お金が入った」→「何か欲しい」→「でも何かわからない」→「お金持ちが買うといわれているものを買おう」

という図式で説明できますよね。田中先生はこれを「富豪ニート」と呼んでいます。

 こういうとき私は「恋愛」をアナロジーにして考えます。

 「相手」→「恋愛モード」ではなく、「恋愛モード」→「相手」なのではないか?

 「相手」→「恋愛モード」に見えるパターンも、実は自分が無意識的にでも「恋愛モード」になっていなければ、「何だかわからない燃える(萌える)ような恋心」なんて湧いてきませんよね。

 話が逸れましたが(汗)、田中先生が鋭いのは、常識の逆をいく発想です。

「むしろ人は欲望をどのように抑制するのかという点に、マーケターはより着目すべきかもしれません。」(78ページ)

「つまり『なぜ消費者はそのときその商品を買わなかったのか』ということへの着目です」(同)

「人が何かを主体的に欲するという考え方は、実は疑ってみた方がいいのです」(79ページ)

「情報が不足するから情報を欲するというようにストレートに言うこともできません。(中略)むしろ情報を入手するためにモノが必要とされています。」(87-88ページ)

「これはおそらく人間それ自体が情報からできているからです。(中略)人間=情報は自らを拡大し、より豊富な存在になろうとする。人間という存在を超えるものが情報であり、情報こそが『欲望する機械』なのです。」(88ページ)

■ポスト・カルテジアン消費

 情報を媒介として心と体が一体化した消費現象「ポスト・カルテジアン消費」。これこそ、私が本書を読んで最も琴線に響いたタームです。

 iPodの使用をヒントにされたとのことです。わが国では特に携帯電話のことも頭に浮かびますが、iPodの場合は特にシャッフル機能を使いますよね。これって「脳」の機能にも共通するのでは? と私は思いました(仮説)。

 哲学的に言えば、人間の心と身体は別、と唱えたデカルトの二元論の止揚された形。

 マーケティング的に言えば、情報機器を「使う」とか「操作する」ではなく、情報消費をベースに、モノ(機械)と自分自身=アイデンテティとが一体となるような状況です。

「安くなった情報を入手してそれを楽しんだり、ハンドリングするためにモノ(情報機器)が必要とされる。iPodはまさにそのような商品です」(90ページ)

 となると、音楽コンテンツも「作品」や従来からのコスト構造、ビジネスモデルを常識に考えていると、「未来形」を見通すことはできません。

 現在は、まだ「デジタル情報」が「モノ」としてのCDやDVDに収まった形で流通していますが、同じ「デジタル情報」を収める「モノ」は、CDなどのパッケージに入っている必然性ははなくなり、最初から情報機器という「モノ」に入っているか(「iPod U2 Special Edition」のように)、簡単に入れれば良いという話になってきます。

 もちろん、CDなどのパッケージ商品は簡単にはなくなりませんし、シェアは低下するものの残っていくでしょう。また、わが国では、音楽配信普及のボトルネックは厳しく、多数派のユーザーはまだパッケージ商品から情報機器に情報(曲)を入れるスタイルがメインです。

 ただし、音楽配信のボトルネック(来月にはプレスリリース公表できそうです)が今のままであることは想定できません。
 少なくとも現在の10代以下の世代が消費のメインステージに立つ頃には。。。

 従来とは少し違う意味で、iPodなどの情報機器、ユーザビリティが高くなる携帯電話は、オーディオのみならずCDなどパッケージ商品の競合としてその存在感を高めていくことでしょう。

  <音楽配信 vs パッケージ商品> だけではなく、

  <情報端末(iPod) vs パッケージ商品>

という構図でも市場や時代の底に流れるユーザーのライフスタイルを捉えることが必要です。
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 あまりここで書いてしまうと、本書にご興味を持たれた方が本を買っていただけなくなるかも、、、ということでこの辺りで。

 最後に、<対談>で田中先生が述べられていた「レリヴァンス(自分との関連性)」と、「第三者効果(不特定多数向けの情報のオーラ)」のダイナミズムがこれからのご研究で解明されていくならば、マーケティングは画期的な進化を遂げるであろう、という大いなる期待で締めさせて頂きます。

 ご精読ありがとうございました♪

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これぞブランドのあるべき姿 《資生堂》

2007年01月15日 | マーケティング話
 本日(15日)の朝日新聞朝刊(経済面=7面)に、店頭のビューティコンサルタント(BC)のノルマを廃止した資生堂さんの記事が掲載されています。

 決定は2005年3月、前田新造社長の就任直後とのことです。

■資生堂「ノルマより信頼」
  必要ない商品買わせればマイナス 親身の接客 ファン増やせ(サブタイトル)


・市場環境と競合

 国内化粧品市場は頭打ち(成熟市場)。花王の傘下に入ったカネボウ化粧品も強力なライバルであるばかりでなく、外資の攻勢も。

・背景(社内の問題)

   開発者のメンツなど「社内事情」を優先
           ↓
   売れ行きの落ちたブランドを捨てられない
           ↓
   落ち込みをカバーするために別ブランドを投入

 という悪循環のため、ブランド数は一時100ブランドに。
 よって広告・販売促進、開発力が分散、トップシェアの殆どを他メーカーに。。。

・ブランド政策 「選択と集中」

 有名女優が競演するCMで話題となったシャンプーやコンディショナーの「TSUBAKI」ブランドには、50億円という広告・販促費を投入。代わりにほかのヘアケアブランドの広告・販促は中断した。

・ブランド哲学(前田新造社長)

 1.商品・サービスなど企業活動の「品質」は足し算ではなく掛け算。
   ひとつでもゼロがあれば、全てがゼロになる。

 2.大切なのは、今日買わなくても「資生堂と一生付き合いたい」というお客様を
   増やすことだ。

 3.ノルマの影響で大切なお客様を失っていた。

 この「2.」の部分が、ブランディングの肝(キモ)なのです。

 ブランディングは短期的な売上増と矛盾することも少なくありません。

 大々的な広告を行って知名度が高まったり売上が増加することは、ブランディングの一フェーズには変わりありませんが、それのみを「ブランディング」と考える、つまりセリングとブランディングの区別がつかない人が多いですよ。「打ち上げ花火」はブランディングとは似て非なるものですからね。

・BCの評価方法

 BCには肌の悩みや化粧品の選び方、化粧法などについて親身に相談に乗ることが求められる。
 その評価方法の一つが、はがきアンケート。BCがお客さんに手渡したはがきに、「要望を聞いたか」「また接客を受けたいか」など、BCの接客態度を4段階で評価。半年で22万通が送られてきた。

 やはり関与度の高いお客からのレスポンスは高いんですね。

■ブランディングの成否は企業トップの哲学次第

なんです。
 ブランディングに関わらず、「企業はトップ次第」。これは、沢山転職を経験してきた私の経験則から言っても100%間違いありません。

 前田社長は約10年(96年)、マーケティング担当の化粧品企画部長時代、ノルマ廃止に踏み切ったことがあるそうです。しかし、「売上が減ったらどうするんだ!」という抵抗勢力の批判で半年でノルマ復活。その後1年で海外事業関連の場所に移動。
 その後、取締役経営企画部長として経営改革に着手。それが評価され14人抜きで社長に抜擢されたそうです。

 もちろん、営業部門からは抵抗があったものの、積極的に議論をしかけ哲学を浸透させてきた苦闘には頭が下がります。

 どの企業でも、例えマーケティング・セクションだけが戦略を構築しても、社内各部署への「説得」で「刀折れ矢尽きてしまう」ことが多いですよね。素晴らしいブランド開発者が一様に仰ること、それは、
  敵は社内にあり
の一言です。
 まして、ブランディングは、ブランド・マネージャーの力だけでは決してうまくいきません。
 肝心なのはトップの哲学と実行力、リソースを十分に活用できる組織体制
 なのです。
(会社員時代、「匙を投げ続けてきた」私が言うのも何ですが、私は私で、今「個人」としてのリスクを背負っているのです)

 「一時的に売上が落ちても、2年、3年かけて信頼が得られれば、あまりある果実が待っている」(前田社長)

 前田社長のような経営トップが沢山生まれてくるならば、我が国の経済・社会の未来は明るくなるでしょう。
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*写真は、2006年7月14日に参加した「ブランド解体図説 第2回 資生堂マキアージュ」(エイクエント インク主催、@テピアホール)会場にて撮影。
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