【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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自国の文化を客観的に観ること

2018年08月17日 | サブカルチャーから捉えた日本人像
1週間前、Facebookのタイムラインに書いた内容です。
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東洋経済オンライン
「日本スゴイ番組」にドイツから見える違和感
日本好き外国人ばかり取り上げても仕方ない


6年前に出版した電子書籍にも私は書きました。
「Japanese Cool」とやらの日本のオタク文化(アニメや初音ミクをはじめとして)というのは、日本国内と同様、世界でも「マイノリティ」「少数派」に過ぎないんです!
ただ、「分母」が世界中となれば、それなりのマーケットスケールになりますよ、ということなのです。
私は「これって常識」、と考えていましたがそうでない人々も少なくなかったんだなと。
日本のカルチャー・サブカルチャーは、フランスの成熟文化とは対極をなす「ロリータ文化」です。
私自身も嫌いではないAKB48のPVは、欧州では立派な「ロリータ・ポルノ」になります。
調査なんかやるまでもなく、あきれたり眉をひそめる人たちが多数派でしょう。
手塚治虫を始祖とする日本アニメの登場人物も、例えば徹底したリアリズムのアメリカン・コミックに比べれば、「やたらとお目めの大きい化け物」なんですよ。
私が、日本のサブカルをけなすわけがありません。
私自身も「日本のサブカルの人」ですから。
ただ、世界という視点でメタ化しておかないと。
でなければ、東南アジア某国の某百貨店で「Japanese Cool」のフェアが閑古鳥で大コケ、なんておバカことが起きるはずがありません。
あと、これもセミナーの機会を頂いたときには言わせてもらってますが、海外の人達から日本人の気づかない日本の価値を「教えていただく」。
これが大事です。

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NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像 プロローグ 私たちはどう生きてきたか」

2015年01月01日 | サブカルチャーから捉えた日本人像
謹賀新年

新しい年を迎え、皆様のご多幸、お祈りいたします。

今、NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像 プロローグ 私たちはどう生きてきたか」を観ています。
サブタイトルは「タモリと語る戦後ニッポン」。
印象に残った2点をメモします。

■芸能の本質

カウンターカルチャー出身のタモリは言葉(コトバ)、コミュニケーションを信用していない。

「言葉」の解体
⇒ 「言葉」には「意味」がある
⇒ 「意味」の連鎖が「秩序」
⇒ 「秩序」を解体する=「秩序」の無意味化

赤塚不二夫のギャグは意味のない面白さ!

■自分との対話の大切さ

「自分との対話」はヘビー
⇒ 人々は自分との対話を避け、仕事・職場など「外部」に自分の存在意義を求める
⇒ 90年代バブル崩壊後、仕事が減り、新興宗教へ。。

堺雅人の以下のニュアンスのコメントも秀逸でした。

「自分と向き合う自分を、別の次元から見て笑う自分も必要」
⇒ メタ化ですね(笑)

*タイトル写真は、昨年秋に行った袋田の滝です。

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自らのクリエイティビティを認識できないのは機会損失でしかない

2012年04月25日 | サブカルチャーから捉えた日本人像
「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査

Facebookで津田大介さんが紹介されていた記事です。
経済産業省がいくら「Cool Japan」とか言ってわが国のカルチャーを輸出産業のメインに据えようとしても、根本的な問題がこれじゃないかと思います。

▼ケン・ロビンソン博士のコメント
「本当にクリエイティブな人はほとんどいないという、大きな誤解があります。実際にはみな素晴らしい素質を持っています。すべての人がそれを開花できていないだけなのです。こうした誤解の要因の1つは、我々の教育システムが、学生に本来備わっているクリエイティブパワーを引き出せていないことにあります。それどころか均一性や標準化を推進しているのです。結果的に我々は、人々が持つクリエイティブの可能性を伸ばすどころかつぶしてしまっています。今回の調査で明らかになったように、クリエイティビティーよりも周囲と合わせることを優先するような人々を生み出しているのです」


日本人は自らのクリエイティビティに自信がない。
この記事を読んで、やはり教育の問題が根幹かなと思いました。
拙著の39ページ(PDF版)にも書きましたが、まず「多様性」を「育む」ことが肝要。
しかし、そのままやってもダメ。
何せ、「同調圧力」は日本人の基本的心性。
それが、明治維新以来の富国強兵と殖産興業、さらには戦後の高度経済成長の推進エンジンでした。
まず、必要なことは「多様性」を育む(クリエイティビティの発揚と自己認識)ための、「多様性」を「認め合う」土壌づくりが肝要と考えます。

と言っても時間はないですからね。
今の子供たちが社会の構成メンバーの中心として活躍するときの長期的視点も大切ですが、今の私たちの自己認識、これを改めていかないと。

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アイドル文化とGS(グループサウンズ)

2012年04月21日 | サブカルチャーから捉えた日本人像
TVでAKB48とか観てると、「こりゃGSですね」とよく思います。
コスチュームのことですけど。
GSとはガソリンスタンドのことではありません。
1960年代のグループサウンズです。
(私はタイガースが一番だったかな。プロマイド集めに熱中してました)

■GSはヴィジュアル系の源

昨年発刊された、サエキけんぞうさんの『ロックとメディア社会』。

サエキさんが教鞭をとられている獨協大学での全学総合講座(メディア社会とロック)を基にされてますので、とても整理されていてわかりやすい書籍です。

1965年5月にリリースされた田辺昭知とザ・スパイダースのシングル「フリフリ」がGSの始まりといわれているそうです。
その初期形態がベンチャーズ的なエレキ・サウンドのブームを継承しつつも、ビートルズ、ローリング・ストーンズといったボーカル中心のロックンロールを土台にしておらず、欧米のロックバンドスタイルがそのまま輸入されにくかった当時の状況については、同書で詳しく述べられています。
70年代を目前に、GSがポシャッた経緯も詳しく述べられています。
そのあたりのことは、『創られた「日本の心神話」』の内容ともリンクします。

で、ヴィジュアル系バンドは、ついに開花することのなかったGSの遺伝子を受け継いでいるとのサエキ氏のご指摘(「ヴィジュアル系=GSの子孫」論)はすんなりと理解できます。

「GS全盛時の持ち味」=「中性的な甘酸っぱさ、軽さ」
 ⇒ 当時のロックが潜在的に持っていた黒人音楽志向性とは相容れないもの(同書206ページ)

で、ヴィジュアル系バンドは、経済効果としても音楽の生産量としてもGSの何十倍のスケール。
海外進出でも成果をあげている事実は、日本独自に発展した音楽文化が、自動車のように経済効果をあげられることを実証。
拙著でも書きましたが、もともと日本の文化にはユニセックス的な指向性があって、世界からも高評価を得ています。
歌舞伎とか典型的ですが、結構、倒錯的なものを当たり前のものとして持っているわけです。

GS以降、3~5年の期間で興隆や衰退を繰り返し、「洋楽をベースにしたポップス」という分野が、J-POPの登場までジャンルが普遍化してこなかった経緯についてご興味のある方は、同書をお読みください。

■アイドル=ロリータ文化は日本の普遍的文化

さらに、アイドルもそうなんじゃないかな? と私は考えます。
アニメとともに、日本独自の発展を遂げてきたアイドルですが、さえき氏の定義を引用します。

・「アイドル[IDOL]」という言葉は英語で「崇拝の対象になる人」
・そこから派生して「人気のある芸能人や多方面で活躍する歌手、タレント、声優」を指す
・狭義には「少女性・少年性の魅力を強くアピールする歌手、タレント、声優」

サエキ氏は、日本のアイドル文化の特徴を、以下のように的確に私的されています(黒字部分は引用個所)。

おそらく日本のアイドルのコンセプトの軸は、「永遠に少年、少女であること」は変わらない。日本人は、世界でも有数の「老けない」ルックスを誇る民族だ。加齢からの解放は、ある意味人類共通の願いでもあり、今やアイドルという存在が、年齢から解き放たれたイメージの追求役を担っているともいえる。(同書266ページ)

サエキ氏は、人類の普遍的な嗜好として世界に通用しうる日本のアイドル文化が内包するものを、「ピーターパン的シンドローム」と名づけています(「ピーターパン」については、拙著のPDF版85ページで「ピーターパンシンドローム」に言及しています)。

90年代後半、わが国の“ディーヴァ”ブームと比較すると、アイドル文化との明らかに相違点が見られます。
“ディーヴァ”のキーポイントは、卓越した歌唱力とファッショナブルなストリートファッションですね。

で、現在のK-POPですが、これはアイドルではなく“ディーヴァ”です。
KARAや少女時代の特徴は、ヒップホップ色の濃い楽曲で、アメリカ風のセクシュアルなダンスをこなし、ルックスも粒が揃っている。
明らかにアイドルとは違います(昨年書いた拙著では、まだこのあたりが混同したままでしたね・・・)
ディーヴァのファンは女性が圧倒的ですが、現在のK-POPでもその傾向。

「本来はロリータ的魅力で男性ファンが多いモーニング娘。やAKB48のマーケットとは別途に存在している」(同書267ページ)のがK-POPマーケット。
このことはしっかりと押さえておいたほうがいいと思います。

冒頭、「AKB48とか、アイドルってGSですね」と書きましたが、コスチュームでもスタイリッシュに洗練されたK-POPと日本のアイドルは明らかに異なります。
日本のアイドルってGSなんですよ、ミニタリー風なコスチュームとか。
もちろん、日本の誇るももクロもそうです。

音楽性とファッションセンス。
日本独自のアイドル文化の産物であるAKB48の楽曲を、海外アーティストがディーヴァ的に解釈するとどうなるか?
それがこれ(↓)です。
カッチョええっすね。

フライングゲット (Flying Get) / AKB48 Cover by GILLE


「気になる話題&おもしろ動画」で見つけました。

ロックとメディア社会
サエキけんぞう
新泉社

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「日本メディア芸術・文化仮想博物館」 2011.3/21 @慶應大学

2011年04月02日 | サブカルチャーから捉えた日本人像
東日本大震災から10日目、雨が降り肌寒い祝日の3月11日(月)、株式会社ヒューマンメディアさん主催の「日本メディア芸術・文化仮想博物館」(@慶應大学)に行ってきました。

午前中は2本の「仮想展示プレゼンテーション」。
(概要はサイトのほう見て下さいね)

海外の美術館などで展示を想定されていましたが、「よくもここまで!」と思ったぐらいのマンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの「展示品」でした。

最初、ヒューマンメディア社長、小野打さんの解説がありました。
セーラー服と袴(はかま)は元々、男性の衣装で、それらが女性の服装になったとのこと。
言われてみると当たり前のことも、普段はなかなか気づかないもんです。
“倒錯”が、文化として一般化してしまった例なんでしょうね。
このあたりの深層(メカニズム)も解明したいな、と僕は思いました。

「芸者」は、日本人が意図的に海外に発信したもの。
逆に「浮世絵」は、日本人には価値がなかったものを、海外が評価したもの。
明治初期には、お茶碗を包む紙、今で言うと古新聞のような価値しかなかったんでしょうね。

展示については、懐かしさを伴った感慨ひとしおだったんですが、それはあくまで“高コンテキスト社会”である日本でのこと。
「言葉にしなくてもわかりあえる」「阿吽の呼吸」というやつですね。
パネリストの誰かもおっしゃってました通り、海外では「解説」が必要。
コンテキスト(文脈)が大切、というか、これがなければ話にならないということですね。
どういう時間の流れの中で、どんな文化や風俗が交差し合って、どういう人物がキーパーソンになったとか。

「絵は観ればわかる。音楽は聴けばわかる。」

こういう認識は、ほぼ常識となっておりますが、落とし穴があります。
後述しますが、村上隆の作品は、作品だけのパワーで売れたわけではない。
コンテキスト(文脈)なんです。
程度の差はありますが、国内でもそうですよ。

巷に溢れかえる「コンテンツ」「作品」。
その中から“頭一つ出る”ためには、「観て下さい!」「聴いて下さい!」だけじゃ駄目。
「観てくれればわかる」「聴いてくれればわかる」というのはアーティスト・制作者側の傲慢です。

「何で忙しい俺が、お前の作品を観たり聴いたりしなきゃなんねぇんだよ?」
「その前に、お前は誰で、どういう人間で、俺が時間を割かなきゃならない理由を教えてくれよ」

そういう一般ユーザーを説得するだけの手間が必要なんです。

「良いから売れる・評価される」だけじゃなく、「売れる・評価されるから良い」。
ニワトリが先か卵が先か? なんですけど、こういう循環も必要。

あと、私見なんですが、“新しいもの”ってまず、マスからは受け入れられない。
サンミュージックの社長でいらした相澤さんの本に書いてありましたが、80年代、松田聖子をデビューさせるのに、大方のスタッフは反対だったそうです。
「こんなドン臭い田舎娘、人気が出るわけがない・・・」
彼女がデビューできたのは、たった一人の女性スタッフの情熱ゆえとのこと。
こういう例は沢山ある、と言いますか、大ヒットの定石かもしれません。
もし仮に安易な「好感度調査」を行ったら、天才って世の中には出られいもんかもしれませんね。

脱線しましたが、日本のメディアアートの海外進出について、僕が考えているポイントを書いておきます。

まず、「ジャパニーズクール」に熱狂する海外の人達は、海外では決してマジョリティではないこと。
定量データは手元にありませんが、そう推察します。
根拠は、現実と虚構に対する「スキーマ」の違い。
斎藤環氏の書籍にインスパイアされたこの記事で書きました。
「虚構それ自体に自律したリアリティが認められる」のが日本の社会。
日本のサブカルに憧れる海外の人達にとって、新鮮なんでしょうね。
何せ、彼らの社会ににはなかった「スキーマ」から産み出された作品なんですから。
でも、「彼らの社会にはなかった」が故に、彼らの国で彼らの存在はマイノリティだと思うのです。

それを裏付けるかのようなご発言が、学習院大学文学部哲学科の佐野みどり教授からありました。
日本で「かわいい」と言われている作品を、スペインの学生達に見せたら、

「怖い・・・」

という反応だったそうです。
佐野先生は“未成熟の怖さ”と表現されてましたが。
そりゃそうでしょう!
どんな作品を見せたのかわかりませんが、おそらく“かわいい”少女漫画だったのでしょう。
あんな大きくて、キラキラした眼の少女を見せられた日にゃ、そりゃ不気味でしょうね・・・。
僕らにとって当たり前の漫画の少女が、化け物に見えたんだと思います。
あんな少女は現実にはいない存在。
現実を映したものが絵、というのが彼らの「スキーマ」なのです。
ちなみに、スペインでは「妖怪」の絵で盛り上がったそうです。
「妖怪」はもともと「妖怪」、つまり最初から虚構の産物という認識なんで、違和感がなかったんでしょうね(笑)。

とは言っても、世界には多くの人がいます(当たり前か)。
小野打さんによると、中国の10~20代で、日本のメディアアートの(潜在?)ファン層は2億人いるとのことです(本当かよ? 笑)。
カテゴリと対象国ごとの細分化を行った上で、海外への発信は絶え間なく行っていく必要はあります。

で、午後は、多くの識者によるパネルディスカッション。
コーディネーターは、毎度おなじみの慶應大学大学院メディアデザイン研究科教授、中村伊知哉さん。

以下、自分で気になったご発言をメモしておきますね(敬省略)。

ダニー・チュー(MIRAI株式会社代表取締役)

・英国で日本の文化に興味をもったきっかけは「ニンテンドー」「セガ」。
・『ヤングジャンプ』のグラビアの西田ひかるに魅せられた。

金正勲(慶應大学大学院メディアデザイン研究科准教授、ハーバード大学法科大学院客員教授)

・韓国にいたとき、自分が好きだったのは西田ひかるではなく、酒井法子。
・ここ10年の間、日本は“クール”だったか? ⇒ “クール”じゃないでしょ。。。
・産業としてクリエイティブを推進したKポップとの実力の差は歴然。
・Kポップの世界は競争が激しい。
・日本のコンテンツは10年間進歩がない。
・産業的にうまくいかないものを、政策に頼ってはならない。
・日本政府には退場してもらったほうがいい。
・それに政府がしゃしゃり出てくると、外国政府との摩擦になりかねない。
・民間の力で海外市場にデフォルトを確立すべき。
・異文化とのフュージョンが大切。

▼デヴィット・ディヒリー(映像作家、ライター、キュレーター、翻訳家、2dk Co.Ltd.代表取締役)

・村上隆が美術館に商業作品を展示するというアクロバットを成功させたのは“文脈”ゆえ。作品力だけではない。
・「ジャパニーズクール」といっても積極的に発信した結果ではない!
 ⇒ このままじゃ、ダニー・チューさん(や自分)のようなキュレーターが潤うだけだよーん(笑)。
つまり日本人じゃなくて外国人が成長するだけよ。
・日本コンテンツの海外発信は、総花的ではなくマルチ戦略をとるべき。もっと絞らないと・・・。
・デジタル万能論は違う。

サヘル・ローズ(女優、キャスター、タレント)

・中東では日本アニメの対象・分野の多彩さが受けた。
・「海のトリトン」では恋愛と人間性。女性の自由恋愛が禁止されていたイランの女性は、恋愛をアニメから学んだ。
・「機動戦士ガンダム」は、戦争で肉親を失った子供達が、闘争心という面でシンパシーを感じた。
・「一休さん」も人気があった。
・発展途上国では、アニメも教材となる。
・海外とのコラボで日本文化の調和を図ったら?
・キャラクター・フュージョンが新しいのでは?
・今までにないものを作る。例えば海外に「ときわ荘」を作るとか。

王敏(法政大学国際日本学研究所教授)

・中国では1979年に「鉄腕アトム」がテレビ放映された。
・中国の80年代以降の世代は、日本の同世代と同感覚。
・「現象」は消えるので、深層の精神性が大切。
・日本人は自己認識不足だ。
・海外の動きと連動すべき。どこが“中心”でもいい。

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