■モジュール型から統合型へ-IT産業の潮流
7月21日の「日本経済新聞」朝刊23面の「経済教室」は、
慶應義塾大学の田中辰雄准教授の「IT潮流、日本勢に追い風」。
因みに田中先生には、2006年から2007年の一時期、
先生が主催された「著作権保護期間延長による経済効果検証」プロジェクトの
末席にて勉強させて頂いた。
(自分は大した貢献が出来なかったが・・・)
<ポイント>
1.過去30年間、IT産業は「モジュール化」が進行
2.モジュール型より使いやすい「統合型」へ
3.「クラウド」も統合型サービス優位の一例
オープンモジュール型の利点は、技術革新が活発なときは非常に大きく、
90年代、パソコンはワープロ専用機を駆逐した。
オープンモジュール化の流れに乗りきれなかった日本企業は、
自前主義、囲い込み型と批判された。
日本の統合型の成功例、「携帯電話」も、
「ガラパゴス化」などと否定的に捉えられた。
しかし、突破的技術が一巡して、
新しい革新の魅力が薄れてくると、
トラブルに対する「自己責任」を強いられている
ユーザーの不満が高まってくる。
iPad の登場は、ごく自然の出来事。
iPad はハードとOSと通信機能と
一部のソフトをアップルが一体的に提供しており、
パソコンより統合化された製品だから。
(携帯型パソコンとしてみれば、iPad は極めて統合度の高い製品)
もともと統合型の製品は、日本企業の得意とするところ。
以上が田中先生の論旨だが、
ITリテラシーの低い自分も、
このPC立ち上げ時に出てくるメッセージがウザイので、
マイクロソフト社に、「何とかしてくれ!」
とメールを送ったら、
「それはHP社に連絡してくれ」との返信。
面倒なんで、何もしていないが、
今度は、新しく買ったプリンタのせいで、
別のウザイメッセージが。
今度はキャノンだよ。。。
嗚呼、これが「モジュール」型の弊害かな、と。
そう言えば、先日、あるシンポジウムで、
東京大学先端科学技術研究センターの森川博之教授が、
「水平統合」と「垂直統合」の話をされた。
・水平統合 : テクノロジーが固まっていない時期に最適
・垂直統合 : テクノロジーが固まっている時期に最適
「水平統合」は「モジュール化」とほぼ同義。
「垂直統合」も「統合化」ということ。
森川氏も田中先生と同じことを申していた。
「iPod、iPad、Kindle のモデル(垂直統合)は、NTTのiモード」
「きっと米国のビジネススクールで、iモードを勉強した連中が・・・(笑)」
■人間のモジュール化
で、自分が気になるのは、IT環境のモジュール化よりも、
“人間のモジュール化”ということ。

斎藤氏によると、語本来の意味のモジュール化とは、
(1) さまざまなシステムの機能を構成する、半自律的な作業単位のこと
(2) ネットワーク化が進むにつれ、多くの分野がモジュール化され、新たな形で再構成される
そして、
(3) グローバリゼーションがグローカリゼーションをもたらす一つの典型的パターンがあるかも
ということだ。
*注:「モジュール化」とは産業界における組織の理論としてK・Y・ボールドウィンが提唱(『心理学化する社会』198ページより)
<モジュール化の段階>
(1) デジタル化が対象にあらたな分節をもたらす
(2) 分節は機能と効率を中心になされ、モジュール間はネットワークで結ばれる
(3) ネットワークは、同質のモジュール間の結合を促進し、時には特定のモジュールの肥大化をもたらす
「こうした機能全体の解体と再結合は、しばしばグランドデザインを欠いた形でも起こり得る。そのもっとも著名な成功例は、おそらく、『リナックス』の開発だろう。リナックスを支えた『オープンソース』の思想を、ひとつの究極のモジュール化と呼び得るかもしれない」 (同書198ページより)
そして「モジュール化」は、産業界のみならず、
教育、流通、医学などの諸分野で進行しており、
「解体と再構成」は、人間そのものにも及んでいく、
というのが斎藤氏の指摘だ。
「人間のモジュール化」=人間の諸機能が解体され、ネットワーク上で利用可能な形で再構成される
「たとえば個人の情報を大量に詰め込んだICカードが普及すれば、この傾向はさらに進むはずだ。個人情報は、個人認証、経済機能、医療情報、対人関係など、さまざまなモジュールに分割され、さまざまな形で利用されることになる」 (同書199ページより)
■欲望のモジュール化
さらに斎藤氏は、われわれの“欲望”の「モジュール化」を指摘する。
欲望の“分割化と再結合”だ。
▼「性欲」
⇒ ネット上の「出会い系」サイトなどで、欲望を共有できる相手を見つけ目的を達成
▼「物欲」
⇒ ネットオークションで満たされ続ける
▼「知識欲」
⇒ アマゾンなどのサイトに登録すれば、自分の知的関心に合った本を勝手に推奨してくれる
▼「禁煙」
⇒ 禁煙マラソンのメーリングリストがある
▼「死」
⇒ 誰かが募集しているネット心中の相手に応募する
「まさにネット心中が典型であるが、ここには個人対個人の出会いは存在しない。ただモジュール化し、断片化した欲望を介しての連帯があるだけだ。だからやりとりは匿名のままでも可能だし、むしろ匿名のほうが都合が良いくらいだ。たまたま心中相手のことを深く理解してしまって、その挙句『二人で強く生きていこう』などということになったら、まったく本末転倒ではないか。」(同書199~200ページより)
このあたりの「モジュール化」を、自分が肌感覚で実感したのは、
やはり、SNSを使うようになった2005年辺りだと思う。
改めて、「人間は多面体でいいし、それが自然なんじゃないか?」と。
多くの「オフ会」「勉強会」で、
ハンドルネームで呼び合うことに違和感を覚えつつも、
だんだん慣れていった。
Jリーグ関係のコミュニティ仲間で、
知り合ってから5年経った今でも、本名(名字)をよくわからない人もいる。
(顔を合わせる回数が少ないせいもあるが・・・)
そう考えると、
80年代後半、文字通り“言葉”による定義付けによって、
“世の中での存在” を明確化(クラスター化)された 「オタク」は、
時代の最先端だったのでは? と思ったりするよね(笑)。
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お読み頂き有難うございます。
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7月21日の「日本経済新聞」朝刊23面の「経済教室」は、
慶應義塾大学の田中辰雄准教授の「IT潮流、日本勢に追い風」。
因みに田中先生には、2006年から2007年の一時期、
先生が主催された「著作権保護期間延長による経済効果検証」プロジェクトの
末席にて勉強させて頂いた。
(自分は大した貢献が出来なかったが・・・)
<ポイント>
1.過去30年間、IT産業は「モジュール化」が進行
2.モジュール型より使いやすい「統合型」へ
3.「クラウド」も統合型サービス優位の一例
オープンモジュール型の利点は、技術革新が活発なときは非常に大きく、
90年代、パソコンはワープロ専用機を駆逐した。
オープンモジュール化の流れに乗りきれなかった日本企業は、
自前主義、囲い込み型と批判された。
日本の統合型の成功例、「携帯電話」も、
「ガラパゴス化」などと否定的に捉えられた。
しかし、突破的技術が一巡して、
新しい革新の魅力が薄れてくると、
トラブルに対する「自己責任」を強いられている
ユーザーの不満が高まってくる。
iPad の登場は、ごく自然の出来事。
iPad はハードとOSと通信機能と
一部のソフトをアップルが一体的に提供しており、
パソコンより統合化された製品だから。
(携帯型パソコンとしてみれば、iPad は極めて統合度の高い製品)
もともと統合型の製品は、日本企業の得意とするところ。
以上が田中先生の論旨だが、
ITリテラシーの低い自分も、
このPC立ち上げ時に出てくるメッセージがウザイので、
マイクロソフト社に、「何とかしてくれ!」
とメールを送ったら、
「それはHP社に連絡してくれ」との返信。
面倒なんで、何もしていないが、
今度は、新しく買ったプリンタのせいで、
別のウザイメッセージが。
今度はキャノンだよ。。。
嗚呼、これが「モジュール」型の弊害かな、と。
そう言えば、先日、あるシンポジウムで、
東京大学先端科学技術研究センターの森川博之教授が、
「水平統合」と「垂直統合」の話をされた。
・水平統合 : テクノロジーが固まっていない時期に最適
・垂直統合 : テクノロジーが固まっている時期に最適
「水平統合」は「モジュール化」とほぼ同義。
「垂直統合」も「統合化」ということ。
森川氏も田中先生と同じことを申していた。
「iPod、iPad、Kindle のモデル(垂直統合)は、NTTのiモード」
「きっと米国のビジネススクールで、iモードを勉強した連中が・・・(笑)」
■人間のモジュール化
で、自分が気になるのは、IT環境のモジュール化よりも、
“人間のモジュール化”ということ。

斎藤氏によると、語本来の意味のモジュール化とは、
(1) さまざまなシステムの機能を構成する、半自律的な作業単位のこと
(2) ネットワーク化が進むにつれ、多くの分野がモジュール化され、新たな形で再構成される
そして、
(3) グローバリゼーションがグローカリゼーションをもたらす一つの典型的パターンがあるかも
ということだ。
*注:「モジュール化」とは産業界における組織の理論としてK・Y・ボールドウィンが提唱(『心理学化する社会』198ページより)
<モジュール化の段階>
(1) デジタル化が対象にあらたな分節をもたらす
(2) 分節は機能と効率を中心になされ、モジュール間はネットワークで結ばれる
(3) ネットワークは、同質のモジュール間の結合を促進し、時には特定のモジュールの肥大化をもたらす
「こうした機能全体の解体と再結合は、しばしばグランドデザインを欠いた形でも起こり得る。そのもっとも著名な成功例は、おそらく、『リナックス』の開発だろう。リナックスを支えた『オープンソース』の思想を、ひとつの究極のモジュール化と呼び得るかもしれない」 (同書198ページより)
そして「モジュール化」は、産業界のみならず、
教育、流通、医学などの諸分野で進行しており、
「解体と再構成」は、人間そのものにも及んでいく、
というのが斎藤氏の指摘だ。
「人間のモジュール化」=人間の諸機能が解体され、ネットワーク上で利用可能な形で再構成される
「たとえば個人の情報を大量に詰め込んだICカードが普及すれば、この傾向はさらに進むはずだ。個人情報は、個人認証、経済機能、医療情報、対人関係など、さまざまなモジュールに分割され、さまざまな形で利用されることになる」 (同書199ページより)
■欲望のモジュール化
さらに斎藤氏は、われわれの“欲望”の「モジュール化」を指摘する。
欲望の“分割化と再結合”だ。
▼「性欲」
⇒ ネット上の「出会い系」サイトなどで、欲望を共有できる相手を見つけ目的を達成
▼「物欲」
⇒ ネットオークションで満たされ続ける
▼「知識欲」
⇒ アマゾンなどのサイトに登録すれば、自分の知的関心に合った本を勝手に推奨してくれる
▼「禁煙」
⇒ 禁煙マラソンのメーリングリストがある
▼「死」
⇒ 誰かが募集しているネット心中の相手に応募する
「まさにネット心中が典型であるが、ここには個人対個人の出会いは存在しない。ただモジュール化し、断片化した欲望を介しての連帯があるだけだ。だからやりとりは匿名のままでも可能だし、むしろ匿名のほうが都合が良いくらいだ。たまたま心中相手のことを深く理解してしまって、その挙句『二人で強く生きていこう』などということになったら、まったく本末転倒ではないか。」(同書199~200ページより)
このあたりの「モジュール化」を、自分が肌感覚で実感したのは、
やはり、SNSを使うようになった2005年辺りだと思う。
改めて、「人間は多面体でいいし、それが自然なんじゃないか?」と。
多くの「オフ会」「勉強会」で、
ハンドルネームで呼び合うことに違和感を覚えつつも、
だんだん慣れていった。
Jリーグ関係のコミュニティ仲間で、
知り合ってから5年経った今でも、本名(名字)をよくわからない人もいる。
(顔を合わせる回数が少ないせいもあるが・・・)
そう考えると、
80年代後半、文字通り“言葉”による定義付けによって、
“世の中での存在” を明確化(クラスター化)された 「オタク」は、
時代の最先端だったのでは? と思ったりするよね(笑)。
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