もうすぐ8月ですね。
8月といえば、終戦記念日がありますね。終戦記念日に合わせて、戦争のお話などすると面白いかな、と思います。とはいえ、こういうデリケートなお話は双方から叩かれそうなので、ある程度覚悟がいる話かとは思います。面白いといっても、やはり笑う話というよりは、研究材料として興味深いということですから、慎重な時代考察が必要だと思います。
というわけで、順を追ってお話を書いていこうと思うのですが、タイトルが妙ですね?なんだか関係なさそうですね?んん?
今回は、紫式部の源氏物語です。源氏物語といえば、光源氏がいっぱいハッスルするお話という印象ですが、エロゲにもシナリオがあり、内容が面白いから評価されるわけです。内容が面白くなかったら、1000年も残っていませんから、ちゃんと面白さを理解したいと思い、少し、ほんの少し、勉強しました。
今回の内容は、宇治十帖と呼ばれる、光源氏の隠居した後の物語を中心に述べていきます。ここでは、源氏の息子(実は柏木と女三宮の息子)の薫と、匂宮(今上帝の息子)を中心としたお話です。
当時の平安京では、放火による火災が度々起こっていました。政治の腐敗や、飢饉などから先の見えない不安な時代でした。とはいえ、貴族に生まれた薫は何不自由なく、源氏のような野心を燃やす必要もなく、スムーズに出世の道を歩んでいました。しかし、彼は生い立ちの不安からか、独りごちることが多くあり、仏教の道に関心を抱くようになります。一方で、大君という女性に惹かれ、求婚を申し込むも失敗し、先立たれてしまうとその面影を追うように、浮舟という女性に迫るようになります。
薫は律儀な性格で、浮舟に対してまめに贈り物や屋敷の用意をするなど、心遣いが非常にできる人物です。一方で、優柔不断で独り言も多く、煮え切らない性格でもあります。
で、これが一体どう現代につながるのか、というところですが、この人物というのは、「生活は満たされているのに不安に満ちている」人物です。
敗戦直後の日本は、本当に何もなくなってしまっていました。生活も苦しく、生きていくのがやっとという時代です。裕福な生活ができる人などほとんどいなかったでしょう。しかし、言い方は悪いですが、裏を返せばこの時代は「最悪な時代」でした。ある意味で、もはやこれから上に上がるしかないという時代です。彼らの必死の努力が実り、やがて日本は高度経済成長へと大きく飛躍します。これは本当に素晴らしいことです。よくも、あの状態から持ち直せたものだと感心してしまいます。高度経済成長期は、「もっともっと上を目指せる時代」でした。この時代を経験した人々は、これからの発展を待ち望み、希望に満ちながら毎日忙しく働き、また、遊びました。いずれも、前を見るしかない、または前を見続けられる時代でした。
現代、とりわけ平成生まれの人々は、不景気しか経験していません。しかし、生活に困窮するということもあまりありません。生きるのには十分な生活が保証される反面、これ以上の伸び代を見たことがないのです。これからどう成り上がっていくのか分からず、不安に駆られています。ある意味で、「生活は満たされているのに不安に満ちている」のです。これから発展できるのか、また失敗してしまわないだろうか、ただでさえ不景気なのだから、安定したい。そんな気持ちが、彼らの夢を公務員へと導いています。これが、なんとなく不安を感じている薫と重なるような気がするのです。
匂宮も積極的な人物ですが、一方で依存の多い人物でもありました。薫への対抗心から、様々な試みを行い、その一件が決着し冷めてしまうと、また薫との対抗を繰り返す……。彼の場合は、どことなく、薫に対する劣等感のようなものを感じます。私は(だけかもしれませんが)、他人のことを自分より優れていると常常感じ、毎日焦りに駆られて、何かできるでもなく生活しているのです。
光源氏は臣籍降下の影響や、母への憧れなど、前を向くきっかけがあり、正編一部ではどんどんのし上がっていきます。正編二部では、行くところまで行ってしまい、女三宮の登場でどんどん苦しみの中に落ちていきます。そこには、一部での輝きはありません。
このように当てはめていくと、源氏物語の世界は、ある意味現代への時代の流れに近いと言えるのではないでしょうか。光源氏は戦後からバブルまで、薫と匂宮は現代の世代に共感できる部分が多いのではないでしょうか。薫の人間性にとてつもない共感を覚えた民間人。でした。
・・・自分でも今回は流石に主観的すぎるのかな、と感じましたが。
8月といえば、終戦記念日がありますね。終戦記念日に合わせて、戦争のお話などすると面白いかな、と思います。とはいえ、こういうデリケートなお話は双方から叩かれそうなので、ある程度覚悟がいる話かとは思います。面白いといっても、やはり笑う話というよりは、研究材料として興味深いということですから、慎重な時代考察が必要だと思います。
というわけで、順を追ってお話を書いていこうと思うのですが、タイトルが妙ですね?なんだか関係なさそうですね?んん?
今回は、紫式部の源氏物語です。源氏物語といえば、光源氏がいっぱいハッスルするお話という印象ですが、エロゲにもシナリオがあり、内容が面白いから評価されるわけです。内容が面白くなかったら、1000年も残っていませんから、ちゃんと面白さを理解したいと思い、少し、ほんの少し、勉強しました。
今回の内容は、宇治十帖と呼ばれる、光源氏の隠居した後の物語を中心に述べていきます。ここでは、源氏の息子(実は柏木と女三宮の息子)の薫と、匂宮(今上帝の息子)を中心としたお話です。
当時の平安京では、放火による火災が度々起こっていました。政治の腐敗や、飢饉などから先の見えない不安な時代でした。とはいえ、貴族に生まれた薫は何不自由なく、源氏のような野心を燃やす必要もなく、スムーズに出世の道を歩んでいました。しかし、彼は生い立ちの不安からか、独りごちることが多くあり、仏教の道に関心を抱くようになります。一方で、大君という女性に惹かれ、求婚を申し込むも失敗し、先立たれてしまうとその面影を追うように、浮舟という女性に迫るようになります。
薫は律儀な性格で、浮舟に対してまめに贈り物や屋敷の用意をするなど、心遣いが非常にできる人物です。一方で、優柔不断で独り言も多く、煮え切らない性格でもあります。
で、これが一体どう現代につながるのか、というところですが、この人物というのは、「生活は満たされているのに不安に満ちている」人物です。
敗戦直後の日本は、本当に何もなくなってしまっていました。生活も苦しく、生きていくのがやっとという時代です。裕福な生活ができる人などほとんどいなかったでしょう。しかし、言い方は悪いですが、裏を返せばこの時代は「最悪な時代」でした。ある意味で、もはやこれから上に上がるしかないという時代です。彼らの必死の努力が実り、やがて日本は高度経済成長へと大きく飛躍します。これは本当に素晴らしいことです。よくも、あの状態から持ち直せたものだと感心してしまいます。高度経済成長期は、「もっともっと上を目指せる時代」でした。この時代を経験した人々は、これからの発展を待ち望み、希望に満ちながら毎日忙しく働き、また、遊びました。いずれも、前を見るしかない、または前を見続けられる時代でした。
現代、とりわけ平成生まれの人々は、不景気しか経験していません。しかし、生活に困窮するということもあまりありません。生きるのには十分な生活が保証される反面、これ以上の伸び代を見たことがないのです。これからどう成り上がっていくのか分からず、不安に駆られています。ある意味で、「生活は満たされているのに不安に満ちている」のです。これから発展できるのか、また失敗してしまわないだろうか、ただでさえ不景気なのだから、安定したい。そんな気持ちが、彼らの夢を公務員へと導いています。これが、なんとなく不安を感じている薫と重なるような気がするのです。
匂宮も積極的な人物ですが、一方で依存の多い人物でもありました。薫への対抗心から、様々な試みを行い、その一件が決着し冷めてしまうと、また薫との対抗を繰り返す……。彼の場合は、どことなく、薫に対する劣等感のようなものを感じます。私は(だけかもしれませんが)、他人のことを自分より優れていると常常感じ、毎日焦りに駆られて、何かできるでもなく生活しているのです。
光源氏は臣籍降下の影響や、母への憧れなど、前を向くきっかけがあり、正編一部ではどんどんのし上がっていきます。正編二部では、行くところまで行ってしまい、女三宮の登場でどんどん苦しみの中に落ちていきます。そこには、一部での輝きはありません。
このように当てはめていくと、源氏物語の世界は、ある意味現代への時代の流れに近いと言えるのではないでしょうか。光源氏は戦後からバブルまで、薫と匂宮は現代の世代に共感できる部分が多いのではないでしょうか。薫の人間性にとてつもない共感を覚えた民間人。でした。
・・・自分でも今回は流石に主観的すぎるのかな、と感じましたが。
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