職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

女性の為の般若心経パートⅩ

2006年11月08日 | ブログ
皆さん、如何でしたか?
12因縁(12因起)分かりましたか?
エッ!分からない!
ウ~ン、親の因果により今の自分があり、自分の因果により、子がある。
そして、自分は愛により、執着心を起こし、苦しむ。

つまり、皆さんが好きな恋愛は苦の始まりって事かな?
詳細は女性の為の般若心経パートⅨを読んで下さい。

今日は仏陀の根本教説である四諦について解説する。
四諦は般若心経の中にも無苦集滅道と出てくる。

四諦とは苦諦・集諦・滅諦・道諦から成っている。
苦諦とは
人生の厳かな真相を示す。「人生が苦である」ということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿である。このような人間苦を示すために、仏教では四苦八苦を説く

「四苦」とは、生、老、病、死、の四つ、 これに、愛し合うものが別れてゆかねばならない「愛別離苦」、憎み合うものが一緒に生活しなければならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)、求めても得られない「求不得苦」(ぐふとっく)、最後に人間生存自身の苦を示す「五陰盛苦」(ごおんじょうく)を加えて「八苦」と言う

集諦とは
「苦の源」をいうので、苦集諦といわれる。「集」とは招き集める意味で、苦を招きあつめるものが煩悩であるというのである。つまり、、「苦の原因である煩悩」「苦を招き集める煩悩」を内容としている。
具体的には貪欲や瞋恚(しんに)、愚痴などの心のけがれをいい、その根本である渇愛(かつあい)をいう。これらは欲望を求めてやまない衝動的感情をいう。

滅諦とは
苦滅諦といわれ、苦のなくなった涅槃のことを言い、いっさいの煩悩の繋縛(けばく)から解放された境地なので解脱の世界であり、煩悩の火の吹き消された世界をいう。

つまり、解脱とは私は○○だ、私はこれほどの事を為したから、あのような結果があって当然だ、こうあるべきだ・・・等々の世俗に纏わるとらわれからの解放を意味する。従って目の前に起こった出来事が、どんなに自分にとって不都合であろうと、甘んじて受け入れるという、そうした精神がもてることを解脱という。

仏教では、この解脱に慧解脱(えげだつ)倶解脱(くげだつ)を説く。慧解脱とは「智慧」の障りを離れていることで、正しい智慧をえていること。倶解脱とは慧の障りをはなれるだけでなく、「定」の障りをも脱していることである

道諦とは
苦滅道諦で、苦を滅した涅槃を実現する方法をいう。これに八正道が説示される。
八正道とは
1 正見
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
2 正思惟
財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活の否定であり、それを思惟することが正思惟である。
3 正語
妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである。
4 正業
殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることをいう。
5 正命
まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明を滅する方向に動いてゆく生活である。したがって、それは人間の日常性に根差している価値を追求する生活を否定するものである
6 正精進
これが、やがて四正勤(ししょうごん)として、すでに起こった悪不善を断ずる努力、未来に起こる悪不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれるようになった。
7 正念
身にありて身を観察して住し、熱心にして正しく理解し、精神を集中し、明瞭な心と精神集中と、専一なる心とをもって、如実に身体を知る
8 正定
これは心身一致の禅定において正しい智慧を完成することである。この「正定」によってはじめて、「正見」が得られるのである。
正見----正命・正定 ---- 正思惟・ 正語 ・正業/正精進・正念


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