こんにちは?
今日は如来寿量品第十六です。
如来寿量品では仏がどう言う存在か、この世の真の姿がどう言う物かを示している。
如来寿量品の内容は
「愚かな貴女には仏が目の前に居るにも関らず、仏が死んだと思うでしょう。
それは、諸の神通力を使って、心が逆さまになっているような貴女の眼には、すぐ近くにいてもわたしの姿が見えないようにしているのです。
しかし、貴女がわたしの教えを深く信じ、素直で柔らかな心をもって、ただただ仏に遇いたいという願いを起して、そのためならば命も惜しくないぐらいの気持ちになった時にこそ、わたしは多くの弟子たちと共に、この世の霊鷲山に姿を現わし、「わたしは常にこの世に生きていて、決して死んだりはしないのだよ。衆生を救う手段の一つとして、死んだように見せたりするだけなのだよ。」と、貴女に語り聞かせるのです。
仏の眼から見たこの世は、このような不滅の浄土であるにもかかわらず、貴女の眼から見れば、この世は大火に焼き尽くされているかのようで、悲しみや恐怖や諸の苦しみに充ち満ちているように見えるわけです。このような貴女は、悪い業を積み重ねてきた罪のために、どれだけ長い年月が経っても、三宝(仏・法・僧)の名を聞くことすら出来ないでいるのです。
仏の言葉は真実であって、何の偽りもありません。
しかし、凡夫は心が逆さになっているので、それを救う適切な手段として、実際には生きているのに死んだことにしているわけなのです。
なぜならば、いつでも仏に遇えるとなれば往々にして、わがままな心が生じて、気持ちがたるんで五官の欲望に執着してしまい、ついに悪業の道に堕ちてしまうからです。」
一部加工してあります。
以上
すべての物事は因縁因果によるもので、この法則を見つけたのは仏であり、この法則は
永遠な物です。つまり、仏 (因縁因果の法則)は死なない。
また、人もこの法則の中に存在する。だから、相手により、自分の価値が決まり、お互い同じ価値観を共有する者同士だけが存在すること