そらんぢ堂

『そらんぢ』の【墓標】

言の葉の達人たち✨

2023年02月16日 18時00分00秒 | 超雑記
私が詩を書き出したのは、バンド活動や曲作りに由来する。

当時作曲はするものの、真面目に書く『歌詞』は、それはもう酷いものであった。
※おふざけ歌詞は何故か書けました。

とにかく言葉を書き綴り、様々な文章を作った。

やがて、少しずつではあるが『自分なりの心地良いリズム』みたいなものを発見する。

リズム…つまり『声にして読んだ時でも心地良い文』だ。

自分なりの結論は、果たして世間的にはどうだろか?と、個人HPが流行っていた頃でもあったし、自分のホームページで作品を掲示しだした。

もうこの頃になると『歌詞』の事からは完全に外れ、自分なりのリズム感の言葉綴りばかりするようになった。

私はどうやら『短い詩』を心地良いと感じるみたいだ。

なるほど、確かに書き連ねた文章から、余分なものを削いで削いでとやるうちに、完成を見た作品たちは、ホームページを訪れてくれる方々から『いいね』と評価されるようになった。

そんな中で、ある常連さんから、『コンテストがあるから応募してみて』と言われ、冗談半分で応募したことにより、結果的に詩集が出版されて全国発売されることになった。
※現在は出版社倒産により詩集(中古本以外は)は手に入りません。

そんなこんなで、大病をした今でも、懲りずに同じやり方(それしか出来ないしね)で、『詩もどき』を書き綴っている訳なのですが、やはり短い言の葉の中にありったけの感性を詰める奥義と言うか、その究極は俳句や短歌なのだろうと思います。

今昔問わず歌人たちは皆とてつもない感性と魂を注ぎ込む。

残念ながら私はその様な力を持ち合わせてはいない。

本気で尊敬しますし、私には真似が出来ません。

まあ、私は私の気の向くままの言の葉遊び、まだもう少し続けてみたいと思います。

言の葉供養0164

2023年02月16日 15時00分00秒 | 言葉遊び、言の葉供養
『痛みの森の泉にて』

ここは様々な
傷を癒やす場所

痛みの森
そこにある泉

苦しみ
悲しみ
憎しみ

いろんな形の
痛みを背負い

その重さに
耐えかねて

ほらまたひとり
やって来た

私はただ
それを見ている
見守っている

別に与えられた
役目なんかではなく

私はただ
見ている
見守っている

※2/16書下ろし。
(ある人への返詩的なものでもあります)