下を向いて歩こう ~国鉄・JRの乗車位置案内~

全国各地を走った特急列車や急行列車の痕跡を、旅行の途中に探し回りました。国鉄やJRの乗車位置案内を少しずつアップします。

敦賀駅5番のりば(北陸本線)

2024年05月23日 22時48分21秒 | 北陸本線

 

撮影日:2023.12.30

場所:北陸本線敦賀駅5番のりば(下り)

列車名:「白鳥」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」

北陸新幹線の延伸により脚光を浴びることとなった敦賀駅。国際航路の玄関口、新線付け替え以前は峠に挑む重要拠点で、晩年は寝台特急の機関車の付け替え駅としても知られ、一貫して北陸本線の要衝でした。新幹線が延伸し、特急は高架下の専用ホームに発着するようになり活気は薄れてしまいましたが、並行3セク専用ホームとなってしまった5番線には北陸本線を彩った特急列車たちの痕跡が見つかりました。「北越」は北陸対新潟の特急列車の印象ですが、「ごーさんとお」までは関西対新潟の特急列車だったようです。


江津駅2番のりば(山陰本線)

2024年05月22日 23時55分04秒 | 山陰本線・山口線

撮影日:2022.08.27

場所:山陰本線江津駅2番のりば(下り)

列車名:「まつかぜ」

山陰本線の特急列車といえば「まつかぜ」。区間が分割され、一度は愛称消滅しながらも、2003年に「スーパーくにびき」から返り咲きました。江津駅の2番線には、関西と博多を結んでいた頃と思われる遺構が残っていました。特急列車も2両編成が当たり前の現在からは想像しにくいですが、ゆとりのある長さのホームいっぱいに特急らしい編成が停車していたのでしょう。


江津駅1番のりば(山陰本線)

2024年03月06日 22時00分02秒 | 山陰本線・山口線

撮影日:2022.08.27

場所:山陰本線江津駅1番のりば(上り)

列車名:「石見ライナー」

江津駅の1番ホームには、急行のようなダイヤで山陰各都市をきめ細やかに結んだ名称つき快速列車の痕跡が残っていました。晩年は高速化され、「アクアライナー」としてキハ126形が運用されていましたが、1997年から2001年までの間はキハ58・28形の「石見ライナー」として運転されていました。山陰本線は各種特急列車も運行されていました。2番ホームには何が残っているのでしょうか。


新大阪駅9番のりば(東海道本線)

2024年03月05日 22時41分52秒 | 東海道本線・身延線

撮影日:2023.12.30

場所:東海道本線線新大阪駅9番のりば(下り)

列車名:「きたぐに」「日本海」「トワイライトエクスプレス」

新大阪駅の下り列車線ホームには、北陸本線が“日本海縦貫線”の役割を担っていた末期の名残が見られます。車掌用の停止位置案内ですが、臨時化され短編成化された急行「きたぐに」および寝台特急「日本海」、そして最後まで人気列車としての責務を全うした「トワイライトエクスプレス」が残っています。「きたぐに」「日本海」は2012年まで定期列車として走り、その後1年間は臨時列車として多客時のみ走りました。トワイライトエクスプレスは2015年に北陸新幹線が開業し並行在来線が切り離されるまで活躍しました。なお、「くろしお」用だと思いますが381系6両編成の表示も残っていました。


相馬駅2番のりば②(常磐線)

2024年03月05日 22時10分35秒 | 常磐線

撮影日:2023.11.04

場所:常磐線相馬駅2番のりば(上り)

列車名:「ひたち」「みちのく」

 

常磐線の特急列車といえば現在も活躍する「ひたち」ですが、東北本線経由の「はつかり」とともに上野と青森を結ぶロングラン昼行特急「みちのく」もありました。やはり1982年の東北新幹線開業時に失われてしまいました。また、1番ホーム(下り)にはこういった表示も残っていました。交流機関車が旧客を連ねて走るのが当たり前だった頃、急行格下げなどで徐々に電車化が始まった頃のものでしょうか。