放射能の話はもう飽きた。いまさら汚染水を飲んだからといって寿命が変わる
わけでもあるまい。年配者はそれ以外の理由で先に死ぬ。
というわけで、昔の旅行記に戻る。
私が新潟県の蒲原温泉に行ったのは、昭和49年だからもう37年前のこと。
2月の豪雪期で、大糸線の某駅で降りると、宿の雪上車が迎えにきていた。
けっこうな距離を走ったような記憶がある。積雪は2メートルくらいだったか。
宿は意外に大きく、夏場は込み合うのだろう。泊り客は10人もいなかった。
だからガラガラにすいていた印象。
食事は典型的な山の宿で、肉や魚が並ぶご馳走というわけではなかったが、十分満足。
土地のものがいろいろあれば良い。温泉は快適だったという以外、格別の印象はない。
でも個人的に思い入れが深いのは、この宿で娘の名前を決めたから。
それから20年。テレビのニュースで姫川の災害現場が写り、あっと声をあげた。
あの宿が土砂に埋もれている。佐藤静雄建設大臣が現地視察に向かう映像。
再建を願ったがもう無理だろう。なにしろ道路がない。
一度行ってみたいが、最近のレポートを見ると、絶望的。
それでもお湯は勝手に湧いている。せめて小屋でもあればね。(2011.4.11記)
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