先日、福島県川俣町へ向う県道の脇に、何やら堰堤らしきものが長々と伸びているのを
発見した。直感で、あれは廃線跡と判定できた。
後日、ネットで検索すると、探訪記が載っているではないか。
「国鉄川俣線は、東北本線松川~岩代川俣間約12キロを結ぶ鉄道で、
大正15(1926)年営業開始、昭和47(1972)年廃止云々」
なるほど、それで途中の福島市役所飯野支所(旧飯野町役場)前の駅跡に
SLが保存されているわけね。
地元の人に聞いたら、昔は川俣は地域経済の中心だったという。
そういえば県立高校もあったっけ。
鉄道や主要国道のルートから外れたばっかりに、マイナーな扱いになっているが、
本来の実力はこんなものではないのでは。
近年、アルゼンチンのコスキン市と提携して、フォルクローレの音楽祭
とかやっているが、潜在的な力は侮りがたい。
一つ間違ったら、「川俣県の県庁は川俣市にあります」
なんてことになっていたのかも。
それくらい福島県はここという中心部がなく、求心力に欠けるということか。
歴史的・文化的に「会津若松」、商業は「郡山」、行政は「福島」とバラバラ。
もともと違うものを無理やりくっつけただけ。
初めから三つの県にすればよかったかも。
だから川俣がそうなっていてもおかしくはないということだ。
たんぼの中の廃線跡(現況は一通の細い道路)に立っていると、
一瞬向こうから機関車が短い客車を引いてこちらにばく進してくる幻影に襲われた。
40年もたてば、地域の人には忘れられてしまうのだけれども。(2012.2.19記)
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