国鉄再建・合理化の一環として北海道の「胆振線」が廃止になってから、20年以上が経過した。
初めて乗ったのはたしか30年前。
倶知安から乗車し、乗降を繰り返しながら伊達紋別まで行った。
フリ-切符だったので、その点は自由自在。
喜茂別までは平和な田園地帯を進んでいたが、ここを過ぎると様相が一変。
深い森林に。
なんでここに列車が必要なの、というくらい誰もいない。
むろん人家も皆無。
もともと林鉄で、木材搬送が主目的だったと聞いて納得。
今は一大観光地になっている北湯沢温泉の当時のさびしい駅前の記憶は鮮明だ。
名水亭どころか、ホロホロ山荘の前身である緑館も、さらに前の
村営国民宿舎すらなかったのだから。
あのころの大滝村(今は伊達市と合併)は、高齢化率が全道でもトップクラスで、
それを逆手にとって老人用施設を大量に誘致していたのだった。
今は送迎バスが国道を頻繁に行きかっているが、あの日に現状を想像するのはとても無理。
途中からはゆるい下りが続き、あまりエンジンもかからず、静かな走り。
ゆっくり昼寝するには最適の環境だった。
乗り降りも少なく、乗客としてはうれしい路線だったが、それゆえ廃止になったのも
やむを得ないか。昔日は夢のごとし。(2011.10.17記)
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