紅葉紀行(1)宝金剛院――地理
焦かれる思いで出かけたけれど紅葉にはまだ余裕があった。春の花にせよ秋の紅葉にせよ、そのもっとも美しい盛りに巡り合わせるのはむずかしい。
だいたい京都に出るときはまっすぐ東に走って桂大橋の西詰めまで出る。そして洛北を目指すときには橋を渡らずそのまま桂川の左岸をまっすぐ北に上がる。洛中に出る場合はこの橋を渡って行く。
この桂大橋の西詰めには桂離宮がある。これほど近くを何度も通り過ぎながらこの離宮の中にまだ一度も入ったことがない。いや遠いむかしに誰かに連れられて来たことがあるかもしれないが、すでに多くの観光地名所と一緒になってしまって定かではない。それほどに神社仏閣にはさしたる関心もなかった。しかし今は、この桂離宮はできるかぎり近い内に見ておきたいと思うばかり。
洛西から洛央に入るためには、いずれにせよ桂川を渡らなければならない。桂大橋でなければ上野橋を渡る。桂川に架かる橋にはその他に久世橋、久我橋、羽束師橋、五条西大橋などがある。行き先によって渡る橋も代わる。紀貫之たちの生きた昔は土佐日記にもあるように、難波から京に入るためにはみな淀川からこの桂川を上って行った。
山家集で待賢門院に寄せた西行の歌を詠んだ縁で宝金剛院を訪れてみようと思い立つ。場所は花園近くと聞いていたから、距離としては桂大橋を渡っていた方が近い。けれど途中に嵐山にも立ち寄ろうと思い上野橋から行くことにする。
上野橋を渡り桂川の右岸に沿って北に走るとやがて左手に松尾橋が見える。さらに北に走ると嵐山や遠く愛宕山の山容が姿を見せ始める。桂川のせせらぎは午後の陽光を川面に照り返していた。ススキの穂が川面の光を背に風に揺らいでいる。荻と区別ができない。
遠くの小倉山や愛宕山のあたりをながめても、まだ紅葉には間があるように見えた。西行が詞書きに詠っていたように「紅葉未だ遍からず」で、「かつがつ織れる錦」にも至っていなかった。
それでも秋は秋で、ところどころの黄葉と紅葉は美しい。画布に向かい油絵の具を手にすることもできないから、持参したデジカメにせめて秋の名残を留めておこうと数葉の写真を撮る。できるだけ人出を避けるために平日を選んできたけれど、すでに秋の観光シーズンに入っているのか、嵐山にはもうかなりの人出があった。
渡月橋の橋のたもとは観光客で混み合っていた。その間を抜けて大堰川の右岸にそって往くと右手には何軒かの料亭が列んでいる。このあたりの料亭で宴会に出た記憶も今はもう忘却の淵の中。時雨殿の前を通って夢窓疎石の開山になる天龍寺の境内に入る。境内の紅葉はよく色づいていた。
勅使門から出て山陰嵯峨野線を横切り新丸太町通りまで出る。このあたりは観光客と自動車の列で混み合っていた。嵯峨小学校の脇を抜けてそのまままっすぐに往けば清涼寺に出る。ここから大覚寺や落柿舎も近い。またいつの日か時間を掛けて歴史探索に訪れる日を期待して、今日は東にまっすぐ目的の新丸太町通りを行く。二時を少し回っていた。
京福常盤駅を過ぎ双ヶ丘の交差点を横切り、花園黒橋のバス停に至ったときふと脇を見ると法金剛院の標識のある駐車場が目に入った。地理を探すのに手間取るかもしれないと思っていたのにあまりにもあっけない。