風のいろ・・・

どんな色?

誠実な言葉・・・

2016年03月07日 | 小説

☆小説「魂の色」








「ありがとう。正直に話してくれて。人は話の深刻さで心を惹かれるのではないと思うの。真摯な誠実な言葉に感動するんだと思う。だってそれって本当に強い人間にしかできないでしょう?強いと言うのは単純に我慢強いとか、痛みに鈍く、保気らんかとしているというのじゃなく、傷付いても笑えて、苦しくてもそれを理解し、追い込まれても冷静で、今あることを、受け入れ、引き受けられる人を強いと思う。そういう人はむしろ繊細で元来は弱い自分を知っている人よ。臆病で注意深く慎重な人。想像力が豊かでないと成り得ないわ。・・・」










※「魂の色」









「・・・漢字は言葉の意味を深く豊かにする。その点で日本文学の言葉の表現の奥ゆかしさに感動した。歴史や経済、哲学に興味をそそられたのも同じ理由からだ。過去の人間が何を思い目指して社会や国を組み立て運営したか、その過程の中で犯す過ちと抱いた理念や理想の形が何だったのかを考え想像することが楽しい。その人間社会で国を建て栄させるための手段と方法が言葉と通貨だ。即ち言葉と通貨はコミニュケーションに欠かさない大事なツール、必須のアイテムだ。しかし哲学はその理想的理論と現実との矛盾に答えが出せないでいる。それが顕著になるのは戦争であり、人間の業だ。戦争は言葉と通貨という伝達方法では止められなかった。これは理屈に合わないし非合理的だ。それなのに人は争うことに快感がある。興奮とでも言おうか。歴史はそれを教えてくれる。
快楽主義とは自己の快楽を追及して苦難を避けることを善とし、人生の目的や道理とする主義だ。人類が快楽を善とするなら誰にも戦争は止められない。ラッセルの幸福論に、退屈の反対は快楽ではなく興奮だとある。人は興奮するためにどんな苦痛も喜んで受け入れると言う。それが究極の行き着く先なら、もはや人類に言葉は不要となってしまう。ヘブライ語では言葉は神であり、意味であり、背景だと表現する。そういう観点からすると、言葉は伝達機能をはるかに超える魂の領域になる。・・・」














※「魂の色」











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